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信仰のルーツ①

先日遠路からの客人を案内して母校・立教大学池袋キャンパスに行ってきた。
とても美しく、良い思い出が詰まっているキャンパスで、住まいから近いので、時々ふらりと足を運ぶのだ。

しかし私の立教との関わりは大学からではなく、何と小学校から始まる。
何かの拍子で出身校の話題になり、立教小学校から大学まで通っていたことを話さなくてはいけなくなると、なんともバツが悪い気持ちが沸いてくる。
なぜなら、十中八九

「おぼっちゃまなんだね」

という反応が返ってくるからだ。
確かにクラスメイトの親は大企業の社長だったり、国際線のパイロットだったり、医者だったり。
しかし私の両親は小さな飲食店をやってはたたみ、また違う飲食店をやる、という中卒のしがない商売人だったから、全力で「そんなことないぞ!」と否定しないといけない。これが何とも面倒なのだ。

当時の学費がいくらだったのか知る由もないのだが、現在のデータを調べてみると、

入学金30万円、年間の学費等は101万4,000円、その他校外行事等費用やPTA会費、給食費が19万4,800円で、初年度納付金は150万8,800円となっている。(以下のサイトより引用 )

確かに「おぼっちゃま学校」である。
ではなぜクリスチャンでもない九州の田舎育ちの中卒の両親が、そんな身の丈に合わない私立ミッションスクールに長男を入れたのだろうか?

幼稚園の年中くらいから、私の意思とは全く関係なく私立小学校受験対策の塾に通わされていたのを覚えている。
そして努力したような記憶が全く残っていないのだが、私は晴れて立教小学校に合格し入学したのだった。

この小学校で、教科書類と一緒に最初に買い揃えるのが口語訳聖書と聖公会の子供向け祈祷書、聖歌集であった。
授業の前に必ず朝のお祈りの時間があり、授業に「聖書」の時間があり、聖公会の教会歴に合わせて、節目節目で全校規模の礼拝があった。
音楽の授業では、公立の小学校で使う教科書に載っている歌はほんの少しで、ほとんど聖歌を練習するのであった。

聖書の時間は専属のチャプレンが、創世記1章からイスラエルの王国の歴史、イエス様の生涯、パウロの世界宣教まで6年間にわたって子供向けに丹念に語ってくれたのだった。
約40〜50分の授業で必ずいいところで物語が終わるので、私を始め数人のクラスメイトは、放課後にチャプレン室に押しかけて、

「先生、さっきの続きを話して〜」

とダダをこねたものだ。
そんな子供たちをチャプレンはニコニコしながら受け入れてくれ、話の続きは次の授業まで取っておかないといけないから、違う聖書のお話をしてくれたのだと思う。
今でも暖かく楽しい思い出としてはっきりと記憶に刻まれている。

当時聖書の御言葉カードが配られ、それを暗唱しなければならなかった

そんな小学校生活を送る中、5年生になった時、学校が週休2日制を取り入れたらしい(友人談)。
そして学校からは、土曜日休みになったのだから、日曜日は家の近所で教会を探して行くように、という通達が出されたのだ。

クリスチャンではない両親は、真面目な性格ゆえ何の疑念も持たず、学校の通達だからと近所で教会を探したそうだ。
今の時代のようにインターネットなどない時(1974年頃)だし、クリスチャンじゃないから探しようもなかったはずなのだが、父が

「家から池袋に歩いて行く途中に、大きな教会があったような気がする」

と思い出したそうなのだ。
当時、豊島区北大塚3丁目に住んでいて、池袋の東口までは徒歩15分くらいだったので、父は時々歩いて池袋に行っていたのだろう。 
今から思えば「導き」としか言いようがないのだが。

そして小学校5年生の私は、クリスチャンではない両親に連れられて、4歳下の妹と家族4人で日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 中央福音教会 

に初めて足を踏み入れることになったのだ。その時はこれが私の人生の道筋を大きく決定づけることになるとは思いもよらずに。
(続く)

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