空想お散歩紀行 神に愛された男
死んだ後の世界というものは、どういう所なのかというのは一度は誰もが考えたことがあると思う。
だが実際、死んでから来てみて思うことは案外普通だなという感想だった。
私はここに来たわけだが、生前に特に未練は無い。
はっきり言うが、私の人生は成功に満ち溢れていた。
子供の頃から才能に恵まれ、それは成長するに従ってより勢いを増していった。
勉強、スポーツ、ビジネス。少なくとも人間が生きる上で通る道で私はことごとく他の人たちよりも頭一つ二つ抜きんでて結果を残してきた。
誰かが言った。「神は二物を与える」と。「神は決して平等ではない」と。「あいつは神に愛された男だ」と。
それらの声を一体どれだけ聞いてきただろう。
否定するつもりはない。実際私は結果を出してきた。成功者と呼ばれる存在の中でもさらに突出してきたと自負している。
だが、全く努力をしてこなかったわけではない。確かに大抵のことはすぐに理解できたし、コツを掴むこともできた。だが、それでも何も努力せずに栄光を掴んできたと思われるのは心外だった。
だが、正直言うと、そういう多種雑多な妬みや嫉みの声も心地よかった。それは私が優れていることの証だったから。
そう、ここに来るまでは。
死んでから来たこの世界。
ここでは神と呼ばれる存在が、命を司っている。
神は産まれる前の、命の元となる魂を一つ一つ見ている。
それは魂というのは実に多彩な特徴があり、決して同じものは無いとのことだ。
そして神は、それら魂の一つ一つに自らの力を注ぐことで地上に新たな命として誕生させている。
私は機会があり、神がその作業をしているところに立ち会ったことがある。
神は魂それぞれをしっかり見て、そして語りかけていた。
「うん。この魂は実に強い魂だ。これなら多くの苦難にあっても耐えることができるだろう。だからこの魂の人生には、金や健康の問題で多くの試練を与えよう」
神の手の上にあるその魂は力強い光を放った後、すっと消えていった。きっと地上に降りたのだろう。
次に神が手に取った魂は先程のとは逆に弱々しい光だった。
「ふむ、これはかなり力の弱い魂だな。これでは、地上でちょっとしたことがあっただけで壊れて消えてしまうだろう。この魂の人生には、特別な才能と多くのチャンスと、大きな成功を与えよう。そうしないとダメなほど弱い」
その時私は気付いた。
神は平等だったこと。そして確かに私は神に愛されていた。いや、気遣われていたことに。
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