Tale_Laboratory
物語と心を通じて 少しでも前を向くことができるように。
空想の世界の日常を自由に描いています。
Tale-Laboratoryのオンライン・ワークショップ「箱庭物語プロジェクト」を楽しんで頂けたら、そのお気持ちを魔法の箱へ
人は思考することを止めることはできない。 何も考えていないようで、実はいろいろ考えている。 大抵は、もう過ぎ去った過去のことだったり、まだ来ていない未来のことだったりする。 期待か不安か、心配か希望か、とにかく「今ここ」ではないことについて、あれこれと想像し、空想し、妄想している。 その勝手な思考は、大抵はストーリーになっている。 ああなったらどうしよう。 こうなったらいいな。 これくらいだったらいいけど、あれになるともうダメだ。 人は頭の中で勝手に作ったストーリ
自分や他人に対する好き嫌いとは結構厄介なもので、 自分自身の悪いところはいくらでも見つかる。 自分自身の良いところは見つからない。 他人の悪いところが気になって仕方ない。 これらは多くの人に当てはまることかと思うが、 まず自分の良いところが見つからないのは、ある意味当たり前だ。 なぜなら、自分から見える自分の良いところとは、全然すごく見えないからだ。 自分にとっては当たり前すぎて、息をするようにそれができるものだから、全くすごいと思わない。 でも、他人から見た
多くの人が、できることなら安心して平穏に生きたいと思っている。 どんな問題だろうと、大きかろうと小さかろうと、いちいちそういうものに心を取り乱されたくないと願っている。 つまり、動揺したくないのだ。 でも、僕たちを動揺させるようなことは、 いくらこっちが望んでなくても、 好き勝手にやってくる。 だから、動揺するような事態をあらかじめ無くすように行動することはあまり現実的ではない。 重要なのは、何かが起こっても心が動じないようにするにはどうするかを考えることだ。 そ
人は見たいものを見る生き物である。 そして、常に確認をしたい生き物である。 確認をすることで安心を得られるからだ。 見たいものを見る。 これは、自分にとって楽しいものや、嬉しいものを見たいという気持ちは当然ほとんどの人にある。 これは分かりやすい。 日常的に無いものに、大きな刺激を受けやすいので、楽しさや嬉しさを自分で自覚しやすいからだ。 だが、厄介なものもある。 それは、日常的なものだから、一見すると気付きにくい。 それは自分自身に対する消極的な感情である。 不
現実とは、自分が世界をどう解釈するかで変わる。 仕事でも勉強でも、ただただ辛いものだと解釈すれば地獄だが、 そこに自分を成長させる何かがあるはずだと解釈すれば、宝が眠る島に見える可能性がある。 世界をどう解釈するかということは、 自分が何に注目しているかということにもつながる。 そして、何に注目するかは、自分が意識的に選ぶことができる。 例えば、SNSに注目して世界を見ると、 世の中は暗くて、ひどい人が多くて、とてもじゃないが希望が無いように見えてしまう。 だが、
原因があるから、結果がある。 どんなことも、元を辿れば何かしらの原因がある。 だが、原因と結果は入れ替えることが可能だ。 人は楽しいことがあると笑う。 この場合、原因が楽しいことで、結果が笑うだ。 だから人は、人が笑うのは楽しいことがあった時だと考える。 だが、この原因と結果は入れ替える。 楽しいから笑うのではなく、 笑うから楽しいと、変えるのだ。 不安なとき、心配なことがあるとき、人は笑うことができないと考える。 楽しいことが無いから。 だけど、ここでこそ
誰もが、自分はこういう人間である、 という認識を持っていると思う。 臆病、チャレンジ精神旺盛、物覚えが悪い、人と話すのが好き。 これまでの人生や経験で、何となくできあがってきたであろう、その認識だが、 それに縛られてしまうと苦しいことになる。 創作物のキャラクターのように、 現実の人間は、そんなにキャラが固まってはいない。 親切な人間も、人に冷たくなってしまう日もあるし、 ポジティブ思考の人間も、ネガティブなことしか考えられない時期がある。 逆に、自分は大人し
この部屋を見てどう思うだろうか? 散乱した物で机や床の上が埋もれている。 自分の部屋もこれくらい散らかっているという人も、汚い部屋を見て、 こういう部屋を見ると、すごく元気が出るなあ! とはならないのではないか。 少なくとも、良い気持ちはしないと思う。 こんな風に目で見えると、散らかっている部屋を良いものだとは思えないし、片付けたほうがいいと思うこともできる。 だがこれが、直接目に見えない心の中のこととなると、中々感じることができない。 改めて考えてみると、僕た
「個性が大事」「自己表現をすることは素晴らしい」 多くの人が、小さい頃から多かれ少なかれ言われてきた、常識のようなものだが、 常識だからと言って、それを深く考えずに取り入れてしまうのは危険だ。 こういうものは、慎重に扱うことが重要である。 個性が大事、自己表現が大事という論調で懸念するのは、 他の人がやっていないこと、 今まで良しとされていなかったことをやることが、個性や自己表現だと思ってしまうことだ。 突飛なファッションや、集団から浮くような言動をすることと個性は
多くの人が、大なり小なり問題を抱えている。 そして、それを何とかしたいと思っている。 お金や健康、仕事、人間関係など問題の種類はそれこそ千差万別だろう。 だが、共通していることがある。 それは、問題が消えるときは、解決策が見つかったときではなく、 その問題を、問題と捉えなくなったときだ。 死ぬことが怖くてたまらないと心配が尽きないという問題が解決するのは、 不老不死の薬が手に入ったときではない。 いつかは死ぬことを受け入れたうえで、死よりも、今生きていることに
オタキングこと、岡田斗司夫氏のチャンネルでの話。 「デジタル生存競争」という本の紹介なのだが、 世の中には、金持ちという表現ですら足りないくらいの金持ちがいると、 何となくそういう人たちがいるとは思ってはいたけど、 そういう人たちは普段どういう考えを持っているのかはいまいち分からなかった。 きっと、ビジネスのことを考えているのだろう。成功者なんだから、成功者らしいマインドを持っているのだろうと思っていたが、 そういう面だけでもないらしい。 彼らのような人たちが気
心を強くすることについて、 雑念や妄想は良くないものとして捉えられることがある。 しかし、雑草だって理由があってそこに生えてきているわけで、 雑草はなぜ雑草と呼ばれているかと言えば、 特に価値が見出されていないからだ。 でも、雑草には土に栄養を与えるというメリットがあったりするし、 「雑草魂」なんて言葉もあったりして、人を勇気づけたりする場合もある。 意味が「無い」のではなく、「見い出せていない」だけの場合もあるということだ。 つまり、自分が雑念とか妄想とか思っ
人生とは、自分が世界をどう解釈するかでいくらでも変わる。 と、思っているが、 それは、「意味」を見いだせ、ということとは違う。 何か、自分にとって悪いこと、不都合なことが起きた時、 「これにはきっといい意味があるんだ」 と、前向きになるための、無理やりポジティブは何か違うと感じるのである。 確かにそういう時もある、少し強引に自分を奮い立たせるときも必要だとは思うが、それだけで本当の意味での、積極になれるとは思えない。 前向きになれない、意味のないことも人生にはあ
物語は人の解釈の幅を広げてくれる。 物語の世界は全てが自由だ。 そこに「正しい答え」はない。 もし、自分で物語を創作したとして、 グッドエンドが正しくて、バッドエンドが間違い、なんてこともない。 ただ、自分がそう創りたかっただけである。 大切なのは、なぜ自分はそういう物語を創りたかったのか、なぜこういう物語が好きなのかを考えることだ。 そして、自分自身の人生についても同じことが言える。 今現在、どのような環境、状況に置かれていようとも、自分がそれをどう解釈するかは自
RPG(ロールプレイングゲーム) 「役割を演ずる」ゲーム。 普段の自分とは違う自分を演ずる。 それは、腕っぷしの強いやつかもしれないし、 怖いもの知らずのやつかもしれないし、 誰とでも仲良くなれるやつかもしれない。 そんな、普段の自分からはかけ離れたキャラになりきることは、 普段の自分にも影響を与える。 「人はなりたい自分になれる」というのは、ある意味その通りなのだろう。 ただ、ああなりたい、こうなりたいというだけではダメだ。 それでは一瞬の欲望でしかない。 貯
人生を生きやすくするコツは、 「解釈」を広げること、増やすことだ。 解釈が狭いか、少ないとすぐ詰みやすい。 何か失敗をした時、 これで終わりだ。 もう自分はダメだ。 きっと嫌われた、失望されたに違いない。 と、勝手に頭の中で同じ場所をグルグルしてしまったりすることは、結構多くの人にあるのではないだろうか。 しかし、そこで失敗に対して別の解釈をすることで、そのグルグルから抜け出せる可能性は高い。 で、肝心なのはどうすればその解釈の幅を広げられるのか。 方法はいく