雑念という念は無いのかもしれない
心を強くすることについて、
雑念や妄想は良くないものとして捉えられることがある。
しかし、雑草だって理由があってそこに生えてきているわけで、
雑草はなぜ雑草と呼ばれているかと言えば、
特に価値が見出されていないからだ。
でも、雑草には土に栄養を与えるというメリットがあったりするし、
「雑草魂」なんて言葉もあったりして、人を勇気づけたりする場合もある。
意味が「無い」のではなく、「見い出せていない」だけの場合もあるということだ。
つまり、自分が雑念とか妄想とか思っていることも、ただ単に悪いものとしてすぐに判断するよりも、
一度、ただそのまま観察することで、新しい何かを見つけることができるかもしれない。
そのうちの一つが、物語だと思う。
世にある物語の多くは、最初は誰かの単なる妄想だったパターンは多いだろう。
そこから、ああなんじゃないか、こうなのではないかと、その妄想を伸ばしてみたり、縮めてみたり、切り取ったりして、一つのストーリーという形になったのではないか。
だから、雑念や妄想に対する意識を変えてみるとおもしろいかもしれない。
これまでは、悪いもの、人生に邪魔なものとして捉えていたかもしれないが、
そのような勝手な判断をせず、ただ観察することで、
実は、とんでもない宝石の原石だったりするかもしれないのだ。
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