#111 釣った魚でもなく、釣り方でもなく|本当に必要なものとは
こんにちは!
自分の大好きで、20年以上も情熱を注いでいるサッカーが止まっている。
「不要不急」は新型コロナウイルス禍に見舞われた2020年を象徴する新四字熟語と言えるのかもしれません。
イベントの中止や延期が相次ぎ、「不要不急」の基準とは何か、文化・スポーツは不要なものなのか、といった議論まで起こりました。
ここ、ラオスでは「僕の情熱のサッカー」は「不要不急」です。
つまり、重要じゃない。
サッカー出来ないことは、とても息苦しい。でも、健康第一ですからね!
重要なものだ、と思ってもらえるように
そんなことを自分のプレーや、ピッチ外での取り組みからラオスの人たちにも感じてもらえたら嬉しいものです。そこにチャレンジをしています。
ラオスの旧正月の10日間の休みからロックダウン2週間を終えて、ようやくサッカーが戻ってくると思っていたら2週間の再ロックダウンが通知されて5月20日まで外出禁止の中、新たに目標を切り替えてリーグ再開に向けてできることをとにかくやっていこうと思います。
食事制限、より重点的な弱点の補強、また自分の強みをさらに強化するというところに取り組んでいます。
今はサッカーができないですが、これもまたシーズン中にできないことなので準備の期間が増えたと思って、取り組みます。
さて・・・
先日、僕がこんなことできないかなと思って、自分から連絡をさせていただいた日本のとある財団の方々と2回目のミーティングを行いました。
(このミーティング、そしてその後のメッセージのやり取りからたくさんの気づきがありました。今回はそれを書いていきます。)
どんな事かざっくりというと、子供達が放課後の時間を有効に活用できる空間、また様々な理由により教育の機会を得られない子供達への機会提供の場を作りたいという事です。
そこにどうスポーツチームが関われるか、というのをお話しさせていただいていました。
今回はその中でも僕が注目をしていた長野県にそのコミュニティモデルを持たれている方にも参加していただきました。彼らは自分たちで継続していけるように「稼ぐ」というところに着手していたからです。
走り書きで汚いですね・・・。
とまあお話をさせていただく時間を頂き、とても貴重な時間となりました。やはり僕はサッカー選手としてのフィールドではたくさんもがき、考え、努力をしてきたとは思いますが、新たな分野では本当に自分の知識不足や足りない部分に直面することが多いです。
悔しいとともに、丁寧に教えてくださる方々がいることに感謝です。
これから学んでいき、ぜひそれを実現していきたいと思いました。
まさに新たな分野に取り組むときには、
「どうやったらそれができるのか。」
というところから始まるわけです。そうしたスタート地点から、何が自分にできて、何が自分に出来ないのかを整理する必要があると思います。
以前は自分で全てやらなければいけない・・・なんて自分の十分な力もないのに思っていました。
そんなことですごく悩んでいた僕はお世話になっている先輩に相談しました。やりたいことがあるのだけれど、それが自分には到底出来そうにない。
主に資金的な部分でした。
一時帰国するときはいつも連絡しています。
その先輩が僕にかけてくれた言葉は強烈に今も自分の胸に焼き付いています。そして、それがその後の活動に大きく影響を与えてくれました。
「タクヤ、自分に出来ないことはやっちゃいけないんだよ。」
シンプルですが、ものすごく的を捉えていて
僕の中にあるBULL(ブル)に突き刺さりました。お酒の席での話だったので、それを言った本人はきっと覚えていないと思います(笑)
そのときは幕張に滞在していて、幕張行きの最終バスに猛ダッシュしたのを忘れられません。
わからない事、出来ないことは人に聞くとか、助けを求める事っていうのは大切だと思いました。自分に出来ないなら、それをどうやって実現させられるのかと周囲に相談するということです。
孤児院での活動なども発信することに力を入れてきていますが、それは自分にできることには限りがあるからこそ、伝えることでその仲間の輪を広げていくことがとても大切だと思ったからです。
まあそんなこんなで新たに作り上げるという作業はとても面白いのですが、それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に難しいです。
でもその過程こそがとても大切だと思うんです。
苦しんで、絶望して、そこからどう立ち上がっていくのか。サッカーでも一緒なんですよね。
勝った時は学ぶことがほとんどない。負けたときこそ、うまくいかなかったときこそ成長するチャンスがあると思います。
中田英寿さんが今やられている新しいビジネスについて問われたときに、
「僕としてはサッカーしていたとき、それと同じことをしているに過ぎないんです。」
と答えていました。ああ、そういうことかと思った。でもそれをサッカーというフィールドから他に移行できる人は限られていると思う。
それは常に俯瞰しながらプレーしていた中田選手のサッカーから得たスキルだと思った。
僕の得意技のようになりつつある話の脱線が続いてしまいました。
どんなことをいいたのかと言うと、
「どうしたらできるのか」
と言うのが大切だと思うのです。
僕はこれまで様々な支援活動に携わらせていただきました。これは与える側に立つと言う経験でした。
しかし、与えることが本当の支援になると思わなくなりました。
なぜなら、与えられた側が、「与えられる」ことを待つ、もしくはそれを元に準備をしてしまっていると感じたからです。
もちろん、その最初の一歩、二歩として与えることも必要だと思います。
しかし、ここで一つ大事なキーワードを加えさせてください。
「主体的に、自分ごととして取り組んでいるならば」です。
チームのマネジメントをし始めて、ラオスの選手たちにもよく言われることなんです。
「Up to you」(あなた次第)
なんじゃそりゃ。自分たちがやりたいこと、自分が追い求めている夢や目標に向かって取り組むべきことじゃないのか?
どうやら僕がチームを強くするためにしていた努力が、彼らが自分たちで主体的に
「自分ごと」として取り組む姿勢を育てることができていなかった。
よく野良猫などに餌を与えると、それを覚えてそこに来れば餌を得られると思い、野生での生活ができなくなると言いますよね。
そう言うことなのだと思った。
この日本人のところに来れば、「もらえる」のだと。
でも僕が本当にしたいのは、「もらう」ことではなく「自分で掴み取る」ことなんです。
僕は海外に出て、自分が叶えたかった夢を叶えました。でもそれは日本にとどまっていたら叶えることができなかった。
自分が熱望して、どうしたらそれを実現できるか模索した中で飛び出した。
それを掴み取るために。
だから、ラオスだからできないとか、モンゴルだからできないとかそう言うことを考えて欲しくない。それを取り払って欲しい。
努力をすれば、自分で掴み取ることができる。
そんなことをイメージできるようになって欲しい。
手に入れたいそのものを与えるではなくて、それを得るための気づきを与えるべきだとおもっています。
魚を釣るために必要となる釣り竿を与えるでもなく
自分たちが手に入れたいその魚を得るためには何が必要なのかを考えること。それを考える事で、魚を釣るためには「釣り竿」が必要だと言う発想を得る。
こんなものがあれば海の中にいる魚にアタックできる、とね。
初めから釣り竿がポンっと置いてあったら良いかもしれませんが・・・きっと釣り竿の使い方も知らないのにそれを得ても仕方ないですよね。
気づきのきっかけにはなると思いますが、それは主体的に考えている人だけです。
魚が欲しい!と言う人だけですね。
僕がするべきことというのはきっと、彼らとともにその釣り竿作りから主体的に取り組むことなのだと思います。
サッカーの現場での話でいうと、サッカーが重要な存在へと変わるために何が必要なのか。そして、それは僕が望むものではなくて、彼らが、僕らが望むものでなければいけない。
なかなか大変な作業になるかもしれません。
釣り竿を主体的に作る人間づくりが必要だと思いました。
もしかしたら、ラオスではそこには「魚」が存在しているということを教えてあげなければいけないかもしれません。
繰り返しますが、ここでいう「魚」=「目標、夢」です。
そして、僕自身は、釣りを教えに行く場所、海原自体も考えていかないといけないのかなと思っています。
魚がいないところで釣りをしても、釣れません。
むしろ、釣れないところで必死に釣りを教え、釣り竿まで作らせて
そこに魚がいないことを知ったら、絶望しますよね。
釣りをしに行く場所を変えるのか、はたまたその海原にこれから大きく育つだろう魚すら育て始めないといけないかもしれない。
苦労がある中で、うまくいかない中で“もがく”からこそ気づきがあるのかもしれません。
今回も読んでいただきありがとうございました!もし何か面白いとか気づきがあればサポート機能より応援していただくと、毎日の活力に変わります。
ロックダウン中は特にそれがそのままエネルギーに変わります。(全てではないと思いますが、チーム活動が止まると給与も止まりますから・・・笑)
それではまた明日!!くれぐれも健康にはお気をつけて!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?