これまでにサッカーを通していろんな国に行きました。そして、実際にシーズンを戦うために現地で生活をして行く中で思ったことを書きます。 これまでにトライアルを含め、生活をしたことがある国をあげると アルゼンチン、イタリア、マレーシア、ネパール、台湾、カンボジア、タイ、ラオス、モンゴルと9カ国になります。 「明後日来てくれるか?」 なんていう連絡を受けて飛行機に飛び乗ることは稀ではありません。 実際に、ネパールでプレーすることになった時はそんな感じでした。 「首都のカト
頑張ると言うことは誰にだってできると思ってやってきた。 でもそれは、環境とかさまざま背景があって、難しいところや、非効率的な状態下にあるところもあるのを世界を走ってきて見てきた。 僕のいう世界とは南米や、東南アジアの発展途上にある国々だ。 僕はサッカーを通してその世界を見てきた。 そこでも、同じようにサッカー選手を夢見る子供たちがたくさんいる。純粋にボールを蹴っている。ボロボロになった服、裸足ですら、楽しそうにボールを追いかけている。 子供達には非はないし、ご両親た
僕はこれまで、考えるよりまず行動と思ってやってきた。 とにかく自分の頭で考えたところで結論は出ないし、とにかくやっていくしかないと思ってきた。 怪我をしてから、なかなか回復が思うように進まずに悩むことがとても多くなった。焦りや不安が募って、何をどう消化していけばいいのかわからなくなっていった。 不安とは「先がどうなるかわからないこと」だと思う。 しかし、それが楽しかった。 うまくいかなくたってやり直せばいいと思っていた。むしろ失敗というのは数ある成功への方法を見つけ出
黄色という色から皆さんはどんなことを思い浮かべますか? おそらく「危険」とか、「危機」とかそういうのを思い浮かべるのではないでしょうか。 お花が好きな人はもしかしたら向日葵とか元気なイメージを連想する人も多いかもしれません。 僕にとって、黄色という色は【夢】や【憧れ】、【勇気】を連想させる色なんです。 それは、小さい頃から柏レイソルを見て憧れて育ってきたからです。 つまり、どんなものを見てきたかによって目に見えるものの認識も変わるということです。 黄色を見続けてい
人間の身体に起こっていることは本人しかわからない。 常に納得する原因や理由を探してしまう。 僕の場合は事故にあって右足を大きく損傷した。脛の骨が3分裂しているのだからとても大きな怪我だ。 そんな怪我をすれば誰だって具合が悪くなったり、やる気がなくなったりするだろう。 事実、いろんな選手と話をしていても同じように「無気力」に陥ったという。 僕は事故にあって衝突するまでの記憶はあるけれど衝突してから少しの間の記憶がない。 気づいた時には右足が折れていて、目の前の車から女
大怪我をして、今一番辛いことは骨の痛みではない。 いままで大切にしてきたことができないことだ。 それは「とにかく頑張ること」だ。 骨の中には隋内釘というチタン製の金属が入っていて、ボルトで固定されているのでもう同じような衝撃が発生すること以外では基本的に折れることはない。 僕は上手い選手ではない。 いつも言っているけれど、本当に上手い選手ではない。 じゃあどうやってこれまでサッカーを続けてきたかというと、人より努力すると言うことだ。 質がない分、量をこなすことによ
まず初めに、心に従って書いているので文章としてまとまっていないし、言葉も綺麗ではないかもしれない。自分と自分の対話を文字起こししたと思って欲しい。 今の不調に対して、メンタルが弱いからとか精神的なことだと言われるけれど、正直自分はメンタル強いと思う。 昔はとてつもなく弱かった。 だからコーチングやメンタルトレーニングに通って鍛えた。それでも耐えられないくらい体に異変や異常が起きていると思う。 中足骨折っても、頭割れても、肋骨折れても、40度の熱を出してもサッカーの試合
「タクヤさん、試合いつ?」 いきなりそんな声が聞こえた。 大切な人が寝言で突然つぶやいた。 あまりに突然のことで僕は驚いた。 こんなことを寝言で聞いたのも初めてだった。 本人も覚えているかわからない。 きっとそんな夢でもみていたのかな。 しかし、その声、言葉は心にものすごく響いた。 突き刺さるくらいに。 今日は満月の夜。 サッカーがしたい。見せたい。 最近、自分の昔のプレーを見て懐かしく思うと共に自分が求めている姿を再確認する。 ああ、恋しい。 無我夢中でボー
僕のなかなか表現できなかった内側で起きていることを書いてみたいと思う。 きっと理解し難いと思う。 自分でもそうだ。じぶんが自分ではない感覚だからだ。でも、結局はいまのじぶんがいまの自分なんだ。 いまのじぶんは本来の自分の5%くらいしか使えていない感覚。使わない、のではなくて使えないのだ。 時速200kmで走る車が時速10kmしか出せなかったらどうだろう。 周りからはふざけているように見えるかもしれない。運転席に座る自分はアクセル全開に踏んでいるのにだ。 この場合、そ
僕はモンゴルという国で女子U16代表チームのトレーニングの補助をしていたのですが、 途上国×女性であることによる環境の厳しさを感じて、 「男性」であるという偶発的に得たもので環境を得ていたという事に気付かされ、それが当たり前だったことに恥ずかしく思いました。 そこで法人を作る際の定款に 「女性のスポーツ支援」 を入れようと思ったのですが、 というお言葉をいただき、あえて明記しませんでした。 (気持ちとして女性のスポーツ環境の支援は特に取り組みたい) それがこの
僕は子供の頃からサッカー選手になりたいと思った。 しかし、その前になりたかったのは「ウルトラマン」だった。 夢は叶えられるものだと良く聞いていたので、僕はとにかくチャレンジした。 家の2階から大きな声で『シュワッチ!』と叫んで気合を入れてジャンプした。 飛べると思った。 でも、結果は1階まで転げ落ちて腰を強打した。 電話一つですぐに駆けつけてくれた本物のヒーローである救急隊員さんに担ぎ込まれて救われた。 大きな挫折を経験した僕はそのウルトラマンよりも30倍以上の時
皆さんは夢を持っていますか? もしくは、そんな夢に向かっていたことはありますか? 夢があるって素晴らしいことだと思うんです。 僕は子供の頃にたまたま家の前を毎朝ランニングに出かけるお兄さんから夢をもらいました。 そのお兄ちゃんがたまたま柏レイソルのサッカー選手だったことがきっかけで僕はサッカーに没頭した。 5歳にして(あのお兄ちゃんのように)サッカー選手になりたいという夢を持っていた僕に対して、「夢があるって羨ましい」とか「俺も夢を見つけたい」なんていうことを言うひ
いつものようにトレーナーさんと確認をさせてもらいながらリハビリをしている時の話だった。 僕は「復帰」というゴールに向かってどのように進めばいいのかわからないことに対して不安を抱いていた。正確に言えば、これまで大怪我をしてことがないから歩んだことのない道のり、プロセスに対して不安を感じる。 そんな僕のメッセージを見て、トレーナーさんはこんな言葉をかけてくれた。 「これまでは先がわからないことに対して期待を抱いてきたのに、今は先がわからないことに対して不安を感じているんだね
僕は途上国の孤児院で活動をすることが多い。 サッカー選手として、その子供たちと触れ合ったり必要な物資を届けたりする。 子供達の笑顔を見ると、そこが孤児院であることを忘れてしまうくらいに彼らの笑顔は素晴らしい。 そんな笑顔を見て、僕は自分がどれだけ恵まれていたのかということを教えられた。 気づいた、というより教えられたというくらいインパクトが強かった。 その孤児院では親に捨てられた子供たちがほとんどだった。 人間に対して使うべきではない言葉だと思うけれど、拾(ひろ)って
脛骨と腓骨を骨折して8ヶ月が経過して、骨に関してはサッカーをする強度を得ることができました。 しかしながら、まだまだ解決するべきことは多くあります。だから、まだサッカーすることはできていません。痛みに関しては本当に少しずつ無くなっているとは思います。 僕はいま日常に苦しんでいます。 ようやく骨がくっついて骨折が治ったと思ったけれど、それで復活ということにはいかない。 病院にいた期間や、症状の回復に対して悩み続けた時間がからだには相当のストレスを与えていました。 歩けな
3月末に事故に遭ってから自故日記というのを書いてきました。 僕の中で、この「じこ」というものから離れて新たなステップを踏み締めていきたいという気持ちも込めて、ここからは復帰に向けての気持ちや現実を綴っていきたいなと思います。 戻るでもなく、一度作り直すというイメージ。 だから再構築するということでReconstructです。 事故に遭ってから約8ヶ月が経過します。 これまでの経過は上記の日記を辿っていただければと思うのですが、再手術なども経て今日を迎えています。 気持