渡邉卓矢 / 東南アジア サッカー選手

プロサッカー選手 / 一般社団法人Zelos 東南アジアを中心に(世界7カ国)選手として活動す… もっとみる

渡邉卓矢 / 東南アジア サッカー選手

プロサッカー選手 / 一般社団法人Zelos 東南アジアを中心に(世界7カ国)選手として活動する傍らで、社会貢献活動に取り組む。AED寄贈、孤児院訪問、シューズ支援は6年間で800足以上。(HP)http://takuyawatanabe.jp

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海外に出ると僕の名前は「日本人」

これまでにサッカーを通していろんな国に行きました。そして、実際にシーズンを戦うために現地で生活をして行く中で思ったことを書きます。 これまでにトライアルを含め、生活をしたことがある国をあげると アルゼンチン、イタリア、マレーシア、ネパール、台湾、カンボジア、タイ、ラオス、モンゴルと9カ国になります。 「明後日来てくれるか?」 なんていう連絡を受けて飛行機に飛び乗ることは稀ではありません。 実際に、ネパールでプレーすることになった時はそんな感じでした。 「首都のカト

    • 自故日記(37) 戻すのではなく

      9/11に再手術を受けて、骨の髄の中にあった金属を取り除いた。 なぜ除去したかというと、感染の疑いが消えきれなかったこと。 だから、一度開けてみて、しっかりとクリーニング(洗浄)をして、清潔な状態を築くことが必要だった。 もしかしたら感染はないかもしれないし、 もしかしたらいつか感染が起こるかもしれなかったし、 そもそも感染していたかもしれなかった。 ……………。 その結果としては感染は一切なかった。 しかし、これは結果論でしかないから手術する必要なかったのか

      • 不便や問題が生み出すもの

        日本人はとても優しく、人のことを思いやることができる。 それはお互いの関係がどうであるかによって大小はあると思う。 例えば、親子関係。 親は子に対して最大限の愛情を与えてくれるかもしれない。これは無償の愛とよく言われる。 恋人関係はどうだろうか。 大切なパートナーが困っているならば助けてあげたいと思うのは当然のことだと思う。 では、友人関係はどうだろうか。 こうなると、内容によっては許容できないと思う。 例えば時間や労力がかかるものに対しては「ご飯ご馳走してあげるか

        • 出来たことが出来ない 〜怪我をして変わったこと

          事故にあって、脛骨と腓骨を骨折してサッカーから遠ざかっている。 いや、正確に言うと全く遠ざかっていない。 以前よりもサッカーの試合を観に行くようになったし、サッカーはプレーするだけだったけれど、それが出来ないから違う角度からのアプローチも取り組んでいる。 自分がチームとの契約をするだけではなく、知人や友人などの海外アジアでの移籍に関する相談を受けたりもする。 怪我をして、辛いのは 「出来たことが出来なくなること」であり、それを認識されることにある。 すると、自分でト

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        海外に出ると僕の名前は「日本人」

          自故日記(36) リアル

          事故にあって、2ヶ月くらいしてからだろうか。 体調や心理的な部分で大きく変化が生じて来た。 足の違和感や痛みをリアルに感じることで、 自分の行動に制限が生じた。 体が3つに分かれているような気分だった。 頭と上半身と事故によりケガを受傷した下半身だ。 頭では何をしなければいけないのか、 何をするべきなのかを感じている。 しかしなかなかそこに体が動かない。 上半身に関しては、ケガもしていないので自由に鍛えることもできた。 受傷した下半身に関しては動かしたくても動か

          自故日記(35)再手術

          今シーズンをプレーしていたラオスで3/26に事故に遭い、3/30に手術を行いました。 事故より5ヶ月を経たこのタイミングでこれ以上の骨癒合が進まない可能性があるとのことで、再手術を提案されています。 下肢の骨折は血流があまり良くないので、治りがあまり良くないのです。 だから、血流を良くするためにゴムチューブを使って足首の低背屈のトレーニングをたくさんしたり、 骨は骨同士が荷重がかかることによる刺激でくっつこうとする性質があるので全荷重ができるようになってから歩行のトレ

          事故日記(34) 置いてきた

          4ヶ月が経過して、僕は日本での治療をするために8月頭に帰国をした。 コロナ以降ずっと生活の拠点はラオスとなっていたのでそれなりに多い荷物があった。 それは全て持ち帰るか…。 僕は一部のみ持ち帰るという決断をした。 なぜなら全部持ち帰ってしまうと、もう戻れなくなってしまうかもしれないと思ったからだ。 荷物があれば戻らなければならない。 それがモチベーションになるのではないかと思ったのだ。 しかしながら、荷物を置いてきたせいでいろんな荷物が不足してしまいなかなか不便で

          情熱は生き物

          僕は怪我してから、5ヶ月という時間を経て精神的に大きく落ち込んだ。 なぜ落ち込んだのだろうかというと僕がとても大切にしていた情熱というものが 大きく揺れていたからだと思う。 怪我した当初というのは情熱は燃えまくっていた。 とにかく早く復帰がしたい。 明日にでもサッカーがしたい気持ちが燃え続けていた。 しかし、徐々に今はサッカーがしたくてもできない現実を「理解」していく。 そうすると、日々の行動に対してのモチベーションは大きく低下していく。 大怪我をして分かったことは、

          自故日記(33) 後退か進展か

          これまでの経過や経緯に関しては改めて自故日記を読んでもらえたらと思います。 まず、最初に伝えておくべきだと思う。 僕はおそらく再手術を受けることとなる。これは折れている脛骨の膝に近い(近位)にあるほうの骨のつき具合があまり良くなく、このまま待っていても骨がつかない可能性が高いという判断によるものだ。 あんなに痛かった手術をもう一度やらなければならないのかと思うと気が滅入ってしまう。 再度、中に入っているボルトなどを取り出して新たに入れ替えるという複雑な手術になるだろう

          できること

          交通事故に遭って、怪我をしてサッカーができない期間が4ヶ月半を過ぎました。サッカーだけでなく、色んなことができなかった。 腓骨と脛骨を分節骨折していて、なかなか外を出歩くことも容易ではない。そんな間にも体力はどんどんと落ちていく。ただ、いまは自分の右足は回復のために戦ってくれているんだと思う。 この期間に何か自分にできることはないのだろうかと考えました。 サッカーすることで子供達に何か与えることができていて、それを子供達が喜んでくれていたことに自分は喜びや生き甲斐を感じ

          自故日記(32)

          久しぶりの更新になります。 腓骨と脛骨をラオスで開放骨折して4ヶ月が経過しています。 現状はまだ荷重100%の許可は出ているけれど足は違和感だらけです。 どうにかしてサッカーに復帰したい!!! その気持ちが一番強いです。 しかしながら、自分の体の状況はそれからはるかに遠く感じています。 なんとか戻りたい。 その気持ちで必死に動いています。 しかし、足の痛みや不安から気持ちはとても落ち込みます。 骨がくっつけばそれで終わりだということではありません。 4ヶ月も競技

          日本とアジア。アジアの逆襲?

          僕は普段、東南アジアに住んでいて久しぶりに日本に来た。治療のためだけれど、あらゆるものの変化を感じています。 最近、タイの友人たちは日本に旅行に行きたい…とみんな言ってきます。 僕はここに大きな変化を感じました。 数年前には、 タイ人の友人たちは「日本には行きたいけれど、日本は全てが高いからね…」 と言っていた。しかし今はどうだろうか。 「日本は何でも安いから旅行に行きたい!」となっている。 逆に日本人の僕らからしたらタイは全てが高くなってきている。日本のものだ

          日本とアジア。アジアの逆襲?

          先禁国

          僕の住んでいるラオスは本当に自由に溢れている国だと思う。 自由すぎるが故に、僕ら日本人からすると思ったように進まずにストレスを感じることもあるかもしれない。 僕もラオスに来た当初はそうだったけれど、3年が経過した今は「これくらい」がちょうど良いのかもしれないと感じている。 これは、ラオスだけではないと思う。 お隣のタイやカンボジアも似たような空気を感じて"いた"ことがある。 発展とともに整備されていった。 タイといえば、先日大麻が解禁された。 日本などでは違法とされ

          自故日記(31)

          1ヶ月のバンコクでの治療を経ていまはラオスに戻ってきました。レントゲンを見ると少しずつ骨はついてきているが、まだまだ骨がつき切るまでには時間がかかるだろう。 今回、ラオスに戻ったのはタイの滞在可能期間もありますが、手術をしてくれた執刀医に会うなどの予定があったからです。 そんな僕はいまは松葉杖を使わずに歩くようにしている。もちろん全く痛みがないというわけではない。痛みはあるけれど、レントゲンを見て全荷重をしても良い(プレート固定によってこの状態なら折れることはない)という

          システムエラー

          コロナ禍を経て、あらゆるサービスが加速したと思う。携帯一つで欲しいものを注文することができる時代だ。そして、自宅まで届けてくれる。 望めばコミュニケーションは0(ゼロ)で完結することも可能だ。 僕はいま怪我をしているので、移動が不便なためにこのサービスをよく活用する。 ステイホームとは違うけれど、部屋にいることが多い。移動範囲も限られてしまう。 現在は治療のためにバンコクに滞在しているため、食事をオーダーすることが多い。 環境に配慮するべきだけれど、ホテルに備え付け

          自故日記(30)

          交通事故に遭って腓骨と脛骨を開放骨折して、手術から3ヶ月が経過しました。 事故に遭ってから、歩けない時間をこれだけ長く過ごしているので行動範囲もとても狭くなっています。 行動範囲が狭くなることで思考も狭くなってしまう。これはおそらく脳に対する刺激が少なくなっていくことになるのだと思う。 だから、なるべく本を読んだりいろんな人と話をしたりして考える事を増やすことが必要なのかなと感じています。 当初、 「3ヶ月で歩けるようになる」 「4ヶ月目からは軽いジョギングができる