頑張ることができるというのは幸せ
頑張ると言うことは誰にだってできると思ってやってきた。
でもそれは、環境とかさまざま背景があって、難しいところや、非効率的な状態下にあるところもあるのを世界を走ってきて見てきた。
僕のいう世界とは南米や、東南アジアの発展途上にある国々だ。
僕はサッカーを通してその世界を見てきた。
そこでも、同じようにサッカー選手を夢見る子供たちがたくさんいる。純粋にボールを蹴っている。ボロボロになった服、裸足ですら、楽しそうにボールを追いかけている。
子供達には非はないし、ご両親たちにも非はないだろう。
そういう場所があって、そこに生まれて頑張ってきたんだ。
そういう環境なんだ。
その頑張ることがよりし易くて効率的に進められるような場所が世界にはある。東南アジアの発展途上にある国々ではそうした僕らの感覚からいう"恵まれない"環境がとても多くあった。
ただ、彼らの内に秘める想いは自分が子供の頃にサッカー選手に憧れ夢見たものと同じだと感じた。
そこで「やりたい!」と言えば環境を用意してもらえた自分と、やりたくてもやれない彼らの環境を見て、とても痛く学ばされた。
僕は、生まれながらにそういう環境を与えてもらってきたと世界を見て感じた。
子供の頃はそれが当たり前のように見えていただろう。自分のいる場所では、みんなそれが同じだったから。
日本は同じように見せるのが今よりもより習慣的だったと思う。
学校でのように、同じカバンを背負って同じものを食べて過ごす。
だからみんな同じように振る舞うから気付くことができない。
でも、自分がその枠を飛び出して見てると、それが当たり前ではない環境を見た。
感謝を感じたし、そこで同じように頑張っている子供達や選手をみて、自分はその環境を与えてもらっていた分、何かできないかと思った。
お金じゃなくても、彼らに夢や希望を語って、感じてもらって一緒に頑張ることも非常に価値あることだ。
彼らは外の世界の人間に今までとは違う結果、希望を見出すのかもしれない。
要はそれまでの限界と、その先のビジョンを持っている人間とでエネルギーが変わる。
「どうせ無理だ」というのか、「もしかしたら」と思って取り組むのかでは大きく結果は変わるだろう。
ある日突然に突然、事故に遭って怪我して、あらゆる不定愁訴というものが体に起こり始めた。
それが原因で、その頑張るというのがしたいのにできなくなって。
でもサッカーに戻りたいなら頑張らないといけない。
なのに体は思うように動かない。常に微熱があるような状態。
病院行っても原因はわからない。精神的なものだと片付いてしまう。それは当たり前だろう。それだけ大きなことが突然起こって、長い時間を過ごせばそんな反応が出るのは仕方がないことだと思う。
でも、それを耐えて少しでも動こうと努力してもその辛さは消えない。むしろ襲いかかってくるようだ。
復帰したいなら頑張らないと。身体がきつくたってそこは気持ちだろうって。
僕は下手くそだとサッカーを続けていくうちに思ったし、でも一般で言う頑張ることだけはこだわってきました。
だから気持ちが弱くてどうのとかではなくて、それができないくらい体に異変が生じて苦しんでいる。
訳のわからない症状、状態だからそれを理解するのは難しいと思うし、側から見たらそれでもやっていくしかない。
その姿を見て、頑張る気持ちや意志が足りないんだって。
そんな言葉ももらったし、分かっているのに苦しさが消えない。
病院で何も原因や、いまの症状が該当するものに引っ掛からないから健康なんだと思われてしまう。
1ヶ月ほど調べ上げて大学病院では「健康」という表現でなくて、「今の医療でわかっている病気やその初期症状には該当しない」と言われた。
復帰するには絶対的な量が必要なのは分かっている。自分も怪我した時はそう意気込んでスタートした。
だからこそ、それができない状態まで身体が弱っているのか、痛んでいるのか、症状として出てしまっていることが辛い。
本当に辛いのに、体が言うこときかなくて辛い。
それが怠けているように見えたり、復帰への意思が弱いと見えたり。
自分は自分なりに人生賭けてやってきて、そこに楽しみをものすごく感じてたものがサッカーです。
何としても戻ってやると意気込んで耐えてきたのに思うようにはいかなくて。
日常生活を行うだけでも苦しいのが現状。
頑張っている姿を勝手に自分も評価して、周りの人もそれ見て「頑張ろう!」って言ってくれて、それにまた自分もエネルギーをもらって。
それがいまは何故かその時で言うようなエネルギーがでないし、無理矢理にでもそれを出そうとすると身体は悲鳴をあげてしまう。
それが何より苦しい。
頑張れるということは幸せなことなんだと思う。
その時はそれに必死に、夢中になっていたからわかりづらい。
頑張ることできっと壁にも当たるかもしれない。
でも、頑張ることを楽しめている時は、その壁が不思議と苦痛とは感じないものだ。
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