海外に出ると僕の名前は「日本人」
これまでにサッカーを通していろんな国に行きました。そして、実際にシーズンを戦うために現地で生活をして行く中で思ったことを書きます。
これまでにトライアルを含め、生活をしたことがある国をあげると
アルゼンチン、イタリア、マレーシア、ネパール、台湾、カンボジア、タイ、ラオス、モンゴルと9カ国になります。
「明後日来てくれるか?」
なんていう連絡を受けて飛行機に飛び乗ることは稀ではありません。
実際に、ネパールでプレーすることになった時はそんな感じでした。
「首都のカトマンズ空港にこの日にきてくれたらクラブと繋ぐから来れるか?」
というメッセージを頼りに韓国・仁川を経由してネパールへ飛び立ちました。
毎回、プレーする環境を得るために必死なので、不安とかそういうのは考えません。
行ったら何かあるかもしれないし、ないかもしれない。でも行かなかったら何もないだけ。
ただそれだけです。
イタリアに行った時は、フィウミチーノ空港(ローマ)に到着したら迎えにきているはずの代理人がインフルエンザになったという小学生でもわかるような嘘をついて、
あまり英語が通じなかったので、イタリア語に似ているスペイン語を駆使して長距離バスに乗って約6時間かけてポルト・サンジョルジョという街に移動しました。
深夜2時に誰も知らない街に降り立ちました。そこにも誰もいなかった…。
海外に出るとまず「日本人」と呼ばれる
日本では、初対面の相手と会話をする際には
名前を聞いて、名前で呼ぶことが多いかもしれないですが、僕が行った国々ではまず最初は国籍で呼ばれてきました。
「Japanese(日本人)」という感じです。
これはどういうことを意味すると思いますか?
それは、僕がしたことは「日本人がしたこと」になるということです。
そこには、日本人としての責任があるのです。
近年、海外での日本人の犯罪が少なからず発生しています。
最近ではカンボジア・シェムリアップでも悲しい事件がおきました。
そのために、今年の3月に僕がシェムリアップを訪れた際に乗ったタクシーのドライバーにこんなことを聞かれました。
「申し訳ないけれど、ナイフは持ってないか?」
これは、シェムリアップで日本人が起こした事件に起因します。
それ以前にカンボジアを訪れた時には
「日本人はカンボジアに教育など、たくさんの支援をしてくれている。だから私は日本人がきたらその恩返しに親切に対応するようにしているんです。」
そう言ってくれたカンボジア人のドライバーがいた。
これまでに日本人が積み上げてきたことが、そうした信頼や感謝の念を生んでいる。
しかし、それは一瞬で崩しれてしまうことでもある。
だからこそ、僕は海外で生活する際には日本人として生活をしているんだという事を意識している。
日本人として海外で生活する責任
僕たちが海外に出て、そうした人たちに温かく迎えてもらえるのには、理由があるのです。
これまでに訪れた日本の人たちが築き上げた信頼や貢献の上に、今の僕たちがいます。
だからこそ、それを台無しにしてはならない。
自分たちにできる小さなことでもあれば、やるべきだと思うのです。
僕はサッカーをする傍らで、ボランティアや社会貢献活動を行っています。
微々たるものですが、継続して6年になります。
海外の、特に発展途上の国々の子供達と触れ合う中で気づいたことや感じたことが、非常に多い。
与えるだけでなく自分自身も与えてもらっているということを教えてくれました。
ただ、こうした活動をすることは日本人としての責任でもあると思っています。
日本は海外から見たら新型コロナウィルスの感染源国
今年発生した新型コロナウィルスによるパンデミックは、世界中で多くの方が犠牲となりました。
アジア人というのは、このウィルス感染源国として認識されています。もちろん全ての国ではないですが、そうした目で見られているというのは否めないです。
僕らだって、中国というワードだけでコロナウィルスを連想しますよね?
要はそういうことなんです。
だから僕はカンボジアの孤児院への支援に、あえて消毒液など新型コロナウィルス対策に使うことができるものを送りました。(2020年3月)
僕ら自身がそのウィルスに対して取り組んでいるという姿勢、一緒に問題解決に向けて対策をしていこうというメッセージを伝えたかったです。
そして、僕は幸せなことに大好きなサッカーを仕事として、サッカー選手をしています。
サッカーは世界中で愛されているスポーツだと思います。
だからこそ、そうした社会貢献活動にサッカーを掛け合わせることで
彼らに伝わるメッセージ性も強くなると思っています。
そして、サッカー選手とは僕にとって夢を与えてくれた存在なのです。僕にとってはただサッカーが上手い人、とかそういう事ではないと感じています。そういう存在が身近にいた事が自分にとってとてもラッキーな事だったと思います。
彼らにもそんなことを思って欲しいし、僕にできることがあるのであれば取り組みたいと思っています。
孤児院の子供達がもし、こうした姿を見て、「サッカー選手って素敵だな」とか思ってくれたらなと思っています。
海外でプレーする上で、
「サッカー選手」そして「日本人」としての責任があると思っています。
不要不急と言われているスポーツ。
しかし、僕はスポーツは生きる上で必要なものであると思っています。
なぜなら、多くの仲間と出会い、たくさんの苦労や感動を与えてくれました。
そうしたメッセージをこれからもサッカーを通して、伝えていきたい。
日本人として、日本の良さを守っていきたい。
海外では、みんなの名前は「日本人」です。
みんな日本代表なんだ!