冷蔵庫と古本にて、存在と循環アリ。

今日はあいにくの雨。
昨晩から、"しとしと"降り始め、日がな力なく地面を叩いていた。
いっそ降らなきゃいいのに、と思うくらいに情けない雨だったが、いろいろと用事のある日だったので、微弱であるに越したことはない。
友人と軽トラを借りて必要な品々を集めに行ったのだ。

まずスーパーに水と緑茶と炭酸水を買いに行った。
私と友人は、普段の移動手段を自転車しか持たないので、この際、軽トラがあるときに買い溜めしておけ、と考えた。
二人とも免許はあるが、私はペーパーである。
当面の飲料を確保したあとは、冷蔵庫を探しにリサイクルショップに向かった。
これが本日の主たる目的である。
もちろん冷蔵庫はすでにあるが、小さい。
食材を入れたらすぐにいっぱいになるので、飲み物が全然冷やせない。
だから、もっと小さいやつを見つけて、それを飲料専用にしたいのだ。

まずはスーパーからも近く、よく利用する店へ行った。
以前にここでちょうどいいものを見つけていたから、まだあれば話は早い。
しかし、なかった。
新生活のシーズンである。
出遅れた。
やはり前回寄ったときに腹を決めて購入するべきだった。
なかったのだから早く店を去ればいいのに、私たちは一通り店内を物色した。
好きなのだ。リサイクルショップ。
大学時代もいつものメンツで車旅行など行くと、リサイクルショップを見つける度に寄り道して無駄金をはたいていた。
まぁ、無駄金こそ活用金なのだが。
それで今日は、古着のコーナーで、へんてこなパジャマを見つけて思わず買ってしまった。
上下でジャスト1000円。
ビリジャン(まぁ、緑)の地に、水色のシャツと赤色のシャツを着た二人のカウボーイが、何種類かのポージングで生地いっぱいにひたすらコピー&ペーストされている。
少々反省しているが、買ってしまったものは仕方ない。

次にもう一軒寄ったが、良い感じの冷蔵庫が見当たらなかったので、ここは早々に退散した。
昼も近かったので、ランチも兼ねて移動することにした。
この移動がなかなか大変だった。
隣の街まで行くだけなのだが、運悪く前についた車がとんでもない非常識人の車だったのだ。
法定速度よりも10km以上下回るノロノロ運転で、信号ではクラクションを鳴らさないと進まない。
しかも、ご高齢でもなさそうで、何か具合が悪のかと思いきや、ミラーでしきりに髪型を気にしたりして単純にヤバいやつだったのだ。
なんとかたどり着いたうどん屋で愚痴を言いながら麺を啜ったら三分もせずに食べ終わってしまった。
なぜあんなふうに時間を浪費させられたのか。
まったく。

気を取り直してさらに一駅数えた街まで移動した。
期待値の高いリサイクルショップがあるからだ。
しかし、ここでもなかった。
店員さんによると、入ってもすぐに売れてしまうとのこと。
小型の冷蔵庫は思いがけず人気のようである。
その店のすぐそばにブックオフがあったので、私の要望で寄ってもらった。
図書館がまるで役に立たないので、どうしても書棚の具合を見ておきたかったのだ。
結果としては素晴らしい収穫があった。
購入したのは三冊の文庫。
岡潔(著)・森田真生(編)の『数学する人生』、川上未映子のデビュー作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』、宮崎駿と養老孟司の対談本『虫眼とアニ眼』。
会計合わせまして800円。
幸運にも欲しかった本に(三冊も、しかもローコストで)出会えたので嬉々として店を出た。

そのあと一応家電量販店にも寄ったが、やはり新品は高く、他に用事もあったので今日は冷蔵庫は諦めた。
友人はもうメルカリで買おうか、と言っていた。
時代である。

最近は読書期間なので、なかなか自分の文章で考えることをせずに日記みたいな文ばかり書いているが、これは一体何の役に立つのか。
そんなこと気にしていないようで気にしているようでやはり気にしていない。

今日何か自分の考えを書くとすれば、ここ数ヶ月"しとしと"という擬音語になんとなく妄想していることがある。
言ってしまえば、頭のなかで"死と死と"と読み替えてしまうのだ。
これは、三月の上旬に書いたメモに、そのアイデアのはじまりが記録されていたのだが、そのときの私は、「生まれる意志を持って生まれてきた子どもがいたとしたら、彼はどのように死を認識しているだろうか」などと考えていたようである。

私たちは皆、自分が生まれるとは知らされずに物心つけばこの世界に存在し、肺呼吸などをしていたが、不思議なことに存在してしまったわけだから、「存在しなかった」では絶対にないのだ。
なんと死ぬことはできても、存在しなかったことはできず、生まれてくることはできても、存在しないという手は打てなかったようであるから、存在してしまった以上、「存在しない」がない。
では、私たちはまるで、軒下から地上に、非力にも落ちては消える雨垂れのようで、死と死とを繰り返しては、しとしとと地面を打つ雨粒の残響に似ている、とは思いませんか。
と、今日のところは何か言っているふうに茶を濁して終わろうと思う。