ソーシャル・ディスタンス・デペイズマン

今日は晩御飯がいつも以上に素晴らしかった。
同居している友人の手によるもの。
圧力鍋を使ったイカ大根と、豚肉ときんぴらレンコン。
最近友人の料理スキルは、さらに磨きがかかってきた。
なんといってもメインのイカ大根。
圧力鍋の威力はさることながら、味付けが絶妙だった。

私らは自分たちの文化的な食事を総称して「文化」と呼んでいる。
そして毎日のように「文化」の写真をLINEのグループで他の友人たちに見せつける。
そういう習慣が、この何週間かの私の流行になっている。
楽しんでいるのは、私だけである。
今日は写真を送るだけでは飽きたらなかったので、ビデオ通話にして自慢してやろうと考えた。
結局通話に出たのは、一人だけだったが。

それで、張り合いなく、通話に出た一人の友人に対して、我々の愉快な食事を見せつけたりしていた。
そういう下らないことをしていると、弟からLINEが来た。
"オンラインご飯"をしよう、とのことだった。
世間でも、Zoom飲み会とかが流行っているらしい。
ついさっきのネットニュースによると、どこかの首相は、来る連休の帰省は、ビデオ通話による「オンライン帰省」で済ませましょう、と、提案したとか。
弟とは明日、オンラインご飯をすることになった。
明日は、私が自慢される側かもしれない。

オンラインによるデジタル飲みにおいては、やはり電波の悪さが、"間"の悪さの指標になるのだろうか。
『あいつはすぐ(画面が)固まる。たまには良いWi-Fi環境にいろよ。まるで話が噛み合わないぜ。』とか。
あとは、現実では不可能な大胆な顔面の修正とか、各自の部屋に「飲み会」用の撮影スペースを設けるのだろうか。
映りが良くなるように照明をたいたり、おじさんでも、自分の映り具合ばかりを気にしたり。
みんなYoutuber的な苦労を知ることになるのだろうか。
あるいは、案外みんなリラックスして、自然体で関わり合えて、なんだこっちの方がみんないい感じじゃん、とかってなるのだろうか。
下らないけれど、オンライン飲み会が、人々にどういうパースペクティブの変化をもたらすのか、少しは気になる。

話を戻す。
食事後、電話先の友人といろいろ喋っていた。
私も友人も、思い付いたことを次から次へと脈絡もなく話す。
その中で、一つの早口言葉ができた。

呪術師、熟女と手術中。
(じゅじゅつし、じゅくじょとしゅじゅつちゅう)

オンラインでは、こういうこともあり得るかもしれない。

これからの飲み会はシュルレアルなものになるのだろうか。
それぞれのデバイスが表示するのは、それぞれの社会的仮想空間である。
そこでは、現実の諸条件を越えた、あるいは現実の日常性を異化する、ありとあらゆる集合の可能性が開かれている。

まるで、解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の不意の出会いのように。