見出し画像

「非母語でのコミュニケーションに耐えられる人」を育てる

英語科教育法IIIの第8回。
リスニング指導の講義回のログ。

洋楽を使ったリスニングの利点と課題

今回はリスニング指導ということで、私が英語技能科目で毎時間行っている洋楽リスニングを英語科教育法のメンバーにもまずは体験してもらう。

使った曲はCarley Rae JepsenのCall Me Maybe.

韻の踏み方や、語彙・フレーズのレベル、(PVも含めた)曲のストーリー性などから割と使いやすい曲で、中学生でも大学生でも使ってきた(ディクテーションするところを変えたり、意味を取る活動を入れたりすることで難易度の調整やクラスの目的や空気に合った活動に変えることができる)。

英語教員免許の取得を目指す学生ということで割と難易度を高めに設定したが、意味を考えたり前後の音を参考にしたりしながら粘り強く取り組んでいた。
そこまでは前段で、英語科教育法としてのメインはその後「洋楽リスニングの良さと限界」を考える時間。
メリットとしては「自然と大量のインプットを得られる」「意味を考えながら聞くことができる」「楽しみながらリスニングに取り組める」といったこと等が挙げられ、限界や課題としては「英文法が崩れているところがある」「歌なので、実際の会話での発音やイントネーションと違うところがある」といった指摘があった。

基本的には全ての学習法にそのメリット・デメリット(あるいはカバーしきれないこと)がある。そのことに教師が自覚的であることが重要で、活動の意義を理解しながら、そしてそこで学習者が抱え得る難しさも同時に想定しながらあらゆる学習活動を組み立てたい。

リスニングの難しさと育てたい学習者像

リスニングにはリスニング特有の難しさがある。それは外国語をそれなりに学習した経験のある人なら誰もがある程度感じるところではないだろうか。読めば結構分かるのに、リスニングになると全然分からないという人も少なくないだろう。私も高校3年の夏ぐらいまではセンター試験のリスニングに苦戦した覚えがある。

ではそのリスニング特有の難しさとは一体何なのか。
まずは学生に考えてもらい、こちらからは岡田ほか(2015)『基礎から学ぶ英語科教育法』(pp. 114~5)をベースに、以下の8項目を伝える。

  • 文字の不在

  • 単語の切り分け

  • 冗長性

  • 短縮

  • 話し言葉の不完全さ

  • 話す速さ

  • 発音・アクセント・リズム

  • インタラクション

この8項目に含まれる「冗長性」(フィラーや繰り返しなど、実質的に意味を持たないことも話されること)や「インタラクション」(聞こえなかったことをもう一度話してもらったり、理解していることを相槌で示したりすること)、「話し言葉の不完全さ」(完璧に文法的に正しいとは限らないこと)などは、教室でCD等の音源から整った音声が流されるリスニング活動ではなく、リアルなやりとり等の中でのリスニングもリスニング指導の射程に組み込まれていることを示す。
これらのリスニング特有の難しさを理解しながら、そういったハードルを少しずつ超えていけるような指導を計画することが非母語でのコミュニケーションに耐えられる人を育てるために求められる。

「非母語でのコミュニケーションに耐えられる人」というのは最近私が持っている「育てたい学習者像」みたいなものだ。
外国語学習(そして教授)では「積極的にコミュニケーションが取れる」とか「活発にやり取りをすることができる」とか、やたらとアクティブさ自発性を求められがちだが、このことの問題はすでに『行動する社会言語学』の中で岐阜大学の仲先生が指摘している。

また(特に英語の先生は)「コミュニケーションを楽しむ」とか「伝わる喜び」とか、やたらとコミュニケーションに対して楽観的な見方をしがちなことも気になる。私のそのような問題意識を形成した文献もここに並べておく。

それでも「私ってアクティブじゃないから」「私は別に楽しくないから」という理由で外国語コミュニケーションを諦めてほしくはない。
世の中がグローバル化していることがローカルなエリアでも如実に感じられるこの時代に、「母語が違う」というだけで即「関係を持たない」と決め込んでしまうことは、社会のWell-being、そして特に言語的マイノリティの人々のWell-beingに繋がらない。そういう社会にしないことが外国語教育者に今与えられている使命だと考えている。
だからこそ、積極的に外国語を話したいかどうかは個々の学習者に任せるとして、「多少の不便さや緊張は伴うけども、なんとか母語の異なる人とも何かしらの言語や非言語的手段を用いてコミュニケーションが取れる」という人を育てたい。(だからこそ、「もう外国語なんて一切ごめんだ!」という気持ちにはならないような授業をしたいと思っている)

リスニングに限らずあらゆる技能についてそういう発想を根底に持つと、生徒に完璧さを求めることはないし、また完璧な状態にクリーニングされた素材を使って勉強するだけで終わることもない。
もちろんトレーニングとして必要があればそういう素材も使うが、出来るだけオーセンティックな(=本物らしい)ものを使いたい。そして、素材の本物らしさ以上に、活動に本物らしさを持たせたい。

そう考えると、リスニングの難しさは全て避けては通れないものだ。

授業内で英語を聞く機会を増やす

リスニングはリスニング活動としてだけでなく、授業中のあらゆる場面で行うことができる。人間は目を休めることはできても、耳を完全に休めることはできない。私は「英語の授業は英語で」という方針で授業をすることは滅多にないのだが、生徒に多くの音声インプットを与えたいと思えば授業中のあらゆる場面で英語をしっかり聴かせてあげたい。時々やるリスニング活動よりもそういう日常的なリスニング機会の充実の方が大事な気もする。

Teacher Talk

授業内で英語を話す機会を増やすための一つ目の手段がTeacher Talkだ。先生が授業中のインタラクションを英語中心に行うことで生徒が英語を(意味に注目しながら)聞く機会が増える。
今日の授業では先生として生徒にわかりやすい英語を話すためにMERRIERアプローチを紹介した。ただ、これを意識して授業をしていると色々と考えることが多すぎるため、まずは自分の授業内の英語を7つの視点で振り返るのに使うのが良いと考えている。

スピーキング(発表)や音読活動のオーディエンス

続いて、生徒の英語を生徒が聞く場面も授業中には多く作り出せる。例えばスピーチ活動もそうだし、そんな大きなものでなくても他の生徒が音読しているのを聞くことも立派なリスニングになる。

授業では先週の英語科教育法Iの模擬授業生徒の発表を他の生徒が聞いていない場面を見せ、この場面でどういうアプローチをすれば他の生徒にきちんと聞かせる事ができるかを考えてもらった。と言っても、時間が押してまともに共有はできていないのだけど。それぞれで持ち帰って考えてくれればひとまずOK。

先週の英語科教育法Iの模擬授業の振り返りはこちら▼

生徒同士のインタラクション

生徒同士で会話をさせることもよくある場面だろう。
基本的にはスピーキング(やり取り)の活動として行われるのだろうけど、誰かが話している時は当然誰かが聞いている。そしてそこでは次のような事が求められる。

  • 相手の英語の不完全さを補いながら聞く

  • 相手の英語が分からなければ聞き返す

  • 相手の発言を聞いて適切にリアクションする

これらも全て「非母語でのコミュニケーションに耐えられる人」を育てる上で大切にしたいことだ。
過去に見た生徒の中で「生徒同士で話すの楽しいですけど、間違った英語を話したり聞いたりするのはどうなんですか」みたいなことを聞きに来てくれた生徒がいた。

もちろん英語を今よりもっと上手く(ネイティブみたいに)話せるようになりたいという生徒からすると、お互いに不完全な英語を話すという状況にストレスを感じるかもしれない。
しかし、それも「非母語でのコミュニケーションに耐えられるようになる」ためのトレーニングだという視点を与え、そしてそれに納得してもらえれば大きな問題にはならない。彼があの時納得してくれていたかは分からないけど。

かく言う私は日本語母語話者同士で英語を話すことを強いられることがすごく嫌いで、正直あまり授業者としてもそういう活動をすることに積極的にはなれない。
だが、「非母語でのコミュニケーションに耐えられる人」を育てたいという想いのもとであれば少しはできるし、そういう考え方を教室の生徒たちと共有できればかなり気持ちも楽になるだろうなと最近は思う。

文献案内

今回の授業の復習用に3つの文献を案内した。

岡田ほか(2015)『基礎から学ぶ英語科教育法』第7章

今回の授業内容の多くがこの文献に基づいているので、全体をザッと復習した上で、もう少し細かいところまで学びたい人向け。
(これの新学習指導要領対応版ってもう出てたりしますか?ご存じの方いましたらご教示ください)

伊東(1999)『コミュニケーションのための4技能の指導』第3章

「生徒が英語を聞く機会を増やす工夫」という章題の通りという感じの章。
活動としてのリスニング指導は上の岡田ほか(2015)で事足りるかなと思うが、授業内でたくさん英語を聞かせるにはという視点で言うと、それだけに一章割かれているこの文献はありがたい。

ただ、この本は全体的に実際の教室の場面が描写されているにも関わらず、それが具体的にイメージしづらいのが難点。描写の問題というよりは「なんか嘘っぽい」という感じ。授業の参考文献にしようと思って読めば読むほど私の中で信頼度が落ちていて、来年度あるいは来期に向けて別の文献を探したいところ。
以前Twitter等にも書いたのだが、実際の生徒の書いたものとして紹介されている英文も、どうも本当に生徒が書いたものとは信じ難いのだ…。

canの定着を図る段階なのにused to使う? canの定着を図る段階で、頻度を表す副詞oftenを入れてるのは、まぁいいか。canの定着を図る段階なのに接触節!?

阿部公彦『理想のリスニング』第8章

リスニング指導にフォーカスした上記二つの文献とは違って、リスニングの難しさや奥深さを感じられる文献として。
「こういうリスニングもあるよ」と、リスニングをこれまでより柔軟に捉えられるようになるための文献。(というか素材?)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?