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Weekly自分_220926-221002_さすがに2日間美味しいものをたらふく食べるのはキツい

はじめに

このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は今週気になった情報のリンク集になっています。
特に気になったものは所見みたいなものも書いてあるので気になる人はぜひ購読してください。

今週の雑感

長いこと大阪で一緒に仕事をしていた先輩が東京に行ってしまったりしました。一気にやることが増えたような気がしているのですが、実際のところはまだそんなこともないような予感がしたりしています。
週末は徳島にいたのですが、ぎりぎり9月30日に徳島に入れたので今年の9月愛媛以外の四国の県に行くことができました。
確実に仕事が動きだしてきていますが、覚えておくこととさっとさらってしまうものを見極めてしっかり伏線を張っていこうと思います。

今週の「今日のダーリン」を読んで

9月26日

『前橋BOOK FESのクラファン、今日が締め切り』
という言葉を拾いました。

「日本のいちばん長い日」、僕は映画で見たのですが、本当にめちゃくちゃ長い一日で驚きました。
自分がもし当事者だったとしたら完全に途中で心が折れてしまっていたように感じます。

その中でもやはり最後まで自分の選んだ道を信じぬいて、色々な人に共感してもらい、助けてもらった人の意志というか意見が通ったように感じています。

そんなことを思い出しながら、季節が変わって寒くなってきて、少し身体が緊張していたことに気付いたりしています。
この時期、なんとなく無気力感になるというか、一旦全てのやる気がダウンしてしまうような気もしていて、あぁ季節が移り変わっていくのだなぁと思います。

あっという間に10月ですが、なかなかに予定が入ってきています。ひょえ~

9月27日

『そうかぁ、親子であっても遠慮が出てきちゃうのかな。』
『いっそ妻を撮るってのは、どうしてないんだろう?』
『そういえば荒木経惟さんは「妻」の陽子さんを撮って、「私写真家」として有名になっていたっけなぁ』
『家族のことって、微妙に不思議なルールがあるみたい』
という言葉を拾いました。

スマホというものを持つようになって本当にたくさんの写真を撮るようになったと思います。
個人的に家族の写真を撮るようになったのは本当に意外なことの一つで、結婚するまでの僕は、自分や自分の両親の写真をあんまり撮らないようにしていたし、自分が写っている写真もあんまり見なかったからです。

見なかった理由を思い出してみたのですが、あんまりネガティブな意味はないっぽくて、単に自分や家族が記録されているものに興味があんまりなかったのだろうと思います。いつでもいるし…。

それが、いざ自分に家族ができると割とちゃんと写真を撮ったりしていて本当に驚きます。
なんだかんだ人間は視覚優位な生き物なので、視覚から思い出される記憶みたいなものが多いのだろうなと思ったりします。

記憶のトリガーとしての写真などのメディアって感じなのかもしれませんね。

9月28日

『「やりかけ」だけが人生だ』
『頭のなかを、きれいに整理しようとしすぎると、ぜんぶまとめて終わらせてみたくなるんだろうな』
『「やりかけ」が終わらないから、生きていけるのさ』
という言葉を拾いました。

「やりかけはよくない」と小さいときにいろいろな人に言われたような記憶があります。
しかし、大人になって振り返ってみると、「どこまでやればやったか」がわからないものが本当に多いように感じます。

例えば「算数」なんかは小学校からやり始めますが、中学に入るとなぜか突然「数学」という名前に変わってしまって、高校に入ると数学はⅠ~Ⅲ、A~Cみたいな感じでどんどん枝分かれして僕の目の前に立ちはだかってきました。

そして大学に入ったら入ったで、もはや「数学」という授業名はどこかにいってしまい、微分積分とか幾何学みたいな感じのもっと細かいジャンルに分かれて僕たちの前に立ちふさがってしまうんだから本当に難しいです。

やったと言えばやったことになるって訳でもなさそうなんですけどね。

9月29日

『「動詞で考える」ということを、ずっとやっている』
『「ホームラン」を動詞で考えると、観客のぼくらは「見る」、「よろこぶ」、「おどろく」などがあるが、スワローズの村上選手だったら「打つ」となる』
『ほぼ日手帳の動詞は「開く」から始まる』
『「動詞で考える」は「有り様」を決めていくことができる』
という言葉を拾いました。

「名詞のはじまりの動詞は何か」みたいなことを読みながらぼんやり考えていました。
例えばほぼ日手帳が「開く」から次の動詞が導かれるように、名詞には「はじまりの動詞」みたいなものがあるのだろうなぁと思ったりしています。

そう考えてみると、僕のこの日記のような備忘録のような文章は糸井重里さんのエッセイを「読む」ことから始まっています。
「読む」から「思う」を経て「書く」に繋がり「noteにアップする」、「書いたことをお知らせする」みたいなところまでが一連流れになっています。
それを「読む」人がいて、その人たちが何かアクションをして~と連鎖していくのかもしれないなぁと書きながらなんだか感心してしまいました。

なんだかノード理論のノードとエッジみたいなことを考えているのかもしれませんね。

9月30日

『「お願い」を実現していく「器」』
『「第一回」には、きっと「いてよかった」ことがあるに決まっている』
『よろしくたのしくいさましく』
という言葉を拾いました。

最初の一回目というものは本当にドキドキワクワクです。
なんせ何かがしたいのはわかっているのに、それを実現するために何をすればいいかがわからないからです。

だからこそ、あーだこーだ言いながら色々なことをたくさんの時間を掛けて話し合ったりするのですが、話し合いに参加する人も何をしたらいいかわかっていないので何を話し合えばいいかわからないのです。

そんな時に「やってしまえ!」ととりあえず大きな声を出して自分が思うより良い方向に人を導いていく人の存在が本当にありがたいのだろうなぁと思っています。

まぁ、とんちんかんなことも言っちゃうんですけどね。

10月1日

『あらたになにかで盛り上がるようなことがあったときの原動力は「よそもの、わかもの、ばかもの」だと言われる』
『なにかが変わるときというのは、知らなかった、気がつかなかった、というような「まぬけ」な要素が大事だったりする』
『「ほぼ日」という会社は地域の行事に真剣に取り組む遊びをまじめにやる会社、ということが自己紹介できたことはなによりよかった。』
という言葉を拾いました。

よそものには気持ち的なものと実情を表したものがあると思います。
わかものにも気持ち的なものと実情を表したものがあると思います。
そして、ばかものにも面白いことに気持ち的なものと実情を表したものがあると思います。

僕はいつもだいたい周りを俯瞰してみて色々な人やものが関わり合っていく様を見るのが好きなのですが、この「よそもの、わかもの、ばかもの」という3つの言葉が合わさったときに起こる現状維持からは産まれないようなエネルギーというものが、停滞していたものだったり下降気味だったものを変える力になるのかもしれませんね。

元気ですかッ!?なんてね〜

10月2日

『どんなにうまく行っても、すべてがよかったなんてことは、絶対にない』
『どこかでバランスを壊すのが変化というもの』
『戦さの物語が人のこころに響くのは、欠けや傷が影として見えるからじゃないか』
『「自信たっぷり」じゃないと熱狂はつくれないとしても、正直な気持ちを語ることの先、「信頼」は少しずつだけれど集められるかもしれない』
という言葉を拾いました。

今日、仕事をしていてまさしく熱狂と信頼みたいなことについて考えていました。

僕は今まで、わりと信頼を重視して仕事をしてきたように思います。
その中でいろいろと良い関係性が築けたり、それがきっかけで仕事でよい成果が残せたりしてきたのも事実なのですが、どうにも「この先」みたいなところに行くためには熱狂というものが必要な気がしてきています。

その「熱狂」という言葉が意味するものは何なのか?
ここで書いてしまうのは簡単なことなので、ぜひ読んだ人にも考えてみて欲しいなぁと思ったりしています。

Plus Ultraって言葉もありますもんね。

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。