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鍛冶屋

 私はじりじりと私の顔を焼き尽くすような炎をあげる炉の前にいる。炎は炉からはみ出して、今にも私を襲いそうだ。だが、ここから逃げるわけにはいくまい。私にとって、これは仕事なのだから。私は最後までやり尽くさなければならない。

 私は横に積まれた鉄の塊を一つ手に取った。ずっしりと無機質な感触を手に感じる。今日はこれでいこう。そう考えて、私は手にした鉄を火箸に挟み、慎重に炉の中に入れた。

 炎は一片の鉄を入れたくらいではビクともしない。燃え盛る火は相も変わらず私の顔に襲いかかる。その灼熱の猛攻に耐えながら、私は鉄に満遍なく熱が伝わるよう、火箸をゆっくり、ゆっくり、回していく。

 鉄が真っ赤に染まった頃、私は火箸をそおっと引いた。そして、赤く輝く鉄を金床に置き、火箸を大槌に取り替えた。

 これで一体何度目だろう。私がこの焼けた金属片を前にするのは。私は、かつて一度だけ見た刀の切っ先の、黒く、また白く反射する光の姿に魅入られて、家族の制止を振り切って、刀鍛冶の道に進んだのだ。

 だが、今日まで私は理想のものを何一つ作り上げてはいなかった。それで、私は店が休日だというのに今日もこの炉に向かったのだ。

 一つ、二つと全身を使って大槌を振り上げる。ドスッ、ドスッ、と鈍い音とともに、ぼーっと輝く鉄片は伸びていく。

 私は無心に身体を上下させていた。いや、無心になろうと身体を上下させていた。ドスッ、ドスッ、という鉄らしからぬ音を聞きながら、それを変な音だなと思いながら、しかしその変な音だなと思う心を抑えつけることに必死になる……ようやく抑えたと思ったら、今度は大槌を振り上げる腕が重いことに気を取られ、腕を振るのが嫌になり、嫌だとか重いとか思う自分も嫌になり、くそうと思って叩いている鉄片を見ると、見事なまでに伸びきっていた。ここまでくるともう刀にはならない。

 今度もまた私は何も作ることができなかった。私は大槌を脇に置き、伸びきった鉄片を向こう側に投げ捨てて、ふうーっと息をついて背中にある肘掛け椅子に座り込んだ。そして今も轟々と燃え盛る炉の炎を、恨めしい思いでじっと見つめた。

 いったい自分は何を作ろうとしているのか、今や私にはわからなくなっていた。刀を作ろうというのはわかる。でも、どんな刀を? あの博物館で見た漆黒と純白の刀だろうか? 確かに、あれを作れるのであれば素晴らしい。でも、私が望むのはそれじゃない。私は誰かの真似事をしたいわけじゃない。私は、私が惚れたあの刀の、漆黒と純白が織りなし、訴えかける何ものかを、私自身の手で作り上げたいのだ。

 刀が訴えかけるもの……命を持たない無機質なものが訴えるものといえば、それは甚だおかしく聞こえるが、だがあのとき私は確かに一片の鋭い鉄の塊から、何かを受け取った。それは人を死に追いやるものでありながら、どことなく慈悲深く見えた。人の生を否定するものでありながら、全ての存在を受け入れるだけの器を持っていた。そうだ、あのとき、人生を打ち捨て、親を切り、自分をも切り刻もうとした「俺」の、一筋の涙でさえも受け止めてくれたのだ。私はその刀の前で、なぜ涙が溢れたのかいまだにわからない。だけれども私には、その刀こそが、私の魂を救う力を持っていると感じたのだ。

 それから私は三日三晩、ほとんど寝ずに著名な刀鍛冶を探した。ようやく見つけた刀鍛冶は、高齢だったが、私を弟子に取ることを快く受け入れてくれた。そうして運良く始まった私の刀鍛冶の人生は、しかし十年の間、売り物になるようなものを全く作れなかった。その間、私は何度も元の生活へ逃げかえろうと思ったものだ。だが、そのたびに私は、師匠によって諭され、踏みとどまった。

 師匠は私がこの世で二番目に惚れた存在だった。彼はまさに私が惚れたあの刀そのものだった。決して全てが純白ではない。かといって全てが漆黒でもない。生真面目でもあれば不真面目でもある。朝早くに起きて刀を一本仕上げたかと思えば、次の日には昼の三時まで寝ていることもある。かといって決して身勝手というわけではなく、自由に振舞っているように見えて他人のことは人一倍気にかける。しかしそれでも誰かを愛しているというわけではなく、ある時などは近くに住む親友の死に際して涙はおろか、苦悶の表情一つ浮かべなかった。

 師匠が私を諭すときも、決して「やめるな」とは口にしなかった。それどころか、「おお、そうか」と言うだけのときさえあった。しかしそのたびになぜか私はこの鍛冶屋に戻ってきたのだ。

 入門して十年ののち、私はようやく売り物になるものを作れるようになっていた。しかし、どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。成長に「ある日突然」なんてことはありえないのだが、それでも私はある日突然、売り物になるものを作れるようになっていた。師匠はそれを見て、「十年も経てばそれくらい作れるようになる」と言っていたが、「今は作りたいものを作っている。次は作られるものを作りなさい」と諭された。

 私がそれまでとは違う苦悩に悩まされるようになったのはそこからだ。それまで私は常に模範解答のようなものを追って、刀を作り上げていた。師匠曰く、それは確かに正しい型だ。だが、一言、師匠に「楽しいか?」と聞かれると、私は途端に答えに窮してしまう。師匠の鋭い眼光は、刀を叩く私の硬い表情を見透かしていた。

 師匠はこうも言った。「子どものように無心に叩く。それで刀を仕上げることができれば一人前だよ」と。またこうも言った。「君は刀を叩くときにあれこれ考えすぎている」と。

 その頃から、私の鍛冶の主題は無心になった。来る日も来る日も一心不乱に槌を振り下ろした。だが、私は一向に無心になれなかった。叩いても叩いても伸びきる鉄や、重くなる腕が私の心を捉えた。それに気づくと私は自分の心に釘を打ちつけるようにして、槌を鉄片に叩きつけるのだった。

 そうしてまた一年、二年と時が過ぎた。その間に師匠は死んだ。いまわのきわに一人しかいない弟子の私に言ったのは、「これでようやくおまえはわしを必要としなくなるわけだ」という一言だった。でも私には、いまだに師匠が必要に思えてならない。

 轟々と燃える炎の中で、ふと小さくキィッと鳴く声が聞こえた。声の方を振り向くと、そこには鉄片の山の上でヒクヒクと鼻を動かすネズミが立っていた。

 私はネズミは嫌いだ。それなのにこの鍛冶屋にいる間、数え切れないほど出くわした。しかし、師匠はそれを殺すことは決してしなかった。何のために使うのか、ネズミが鉄片を抱えて逃げ出そうというときにも、「よいよい、持ってけ、持ってけ」と手で追いやった。おかげで私は十年以上もの間、ネズミとともにこの狭い鍛冶屋で過ごした。

 ところがどういうわけだか、私はこのとき目にしたネズミを嫌う気持ちが起きなかった。そういえば師匠が死んでから今に至るまで、ネズミを見たことがなかった。そこに何か関係があるのかは知らない。でも、今、こうしてネズミを目にして、懐かしく思う気持ちが沸き起こっているのは間違いなかった。

 ネズミの目は輝いていた。それは白と黒に輝いていた。純白と漆黒とがそこにはあった。なぜだ! それは私があのとき目にした刀の色そのものではないか! 師匠の人柄そのものではないか! どうしてあの混沌が、この小さな命のうちに宿っているのだろうか?

 ネズミは再び小さくキィッと鳴いた。そして鉄片の山を、私めがけて駆け下りた。私はとっさに身体を引いた。ネズミはなおも私めがけて駆けてくる。今や恐怖が私を捉えた。私は逃げ切れない。ネズミはなおも駆けてくる。そうして私の足元に来たときに、ネズミはようやく立ち止まり、私の顔を仰ぎ見た。

 黒と白に光る目が私を捉えた。瞬間私の身体の緊張はほぐれてしまった。私はただ唖然としてネズミの目を覗き込んだ。ネズミは相も変わらず漆黒と純白をその目に湛えていた。

漆黒と純白は問うた。

「どうしてお前は我々に惚れる」

「どうしてお前は我々を捉える」

「我々は常に揺れ動くもの」

「刀の黒と白でさえ揺れ動く」

「お前は我々を見くびっている」

「お前は我々を捉えようとしている」

「だがお前は我々が何であるかをわかっていない」

「わかってないから探すのだ」

 ネズミはいつの間にかいなかった。炉の中の火は今にも燃え尽きそうだった。扉から差す日の光は日没が近いと知らせていた。

 私は立ち上がった。今日はこれで終わりだ。だが、明日には何かができるだろう。漆黒と純白が何であるかはわからない。刀が訴えることも、ネズミの瞳が語るものも、師匠が伝えたかったことも、私にはわからない。でも、それはどうでもいいことだ。私はただ、漆黒と純白が好きだった。炉で燃え盛る炎は好きで、鉄片の山を駆け回るネズミは嫌いだった。そして、それらが一緒に混沌と混ざり合って出来上がった刀が、好きだったのだ。

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