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どうしても言葉が当てはまらない日

2022年が終わる。今年は年始に決めた「英語日記を毎日書く」がどうやら達成できそうだ。「毎日〇〇をやる」という目標を達成するのは初めてかもしれない。まあ懺悔しておくとサボった日は、ある。心が折れそうになった夜もあるし、何も書くことがなくてキーボードに手を添えたまま眠ってしまった夜もある。しかし昔偉い人が言っていた。「三日坊主になったとしても四日目でちゃんとやれば問題ない」と。そこからまた続けていけばいいのだ。この言葉は僕の中で結構大事にしていて、いつでも取り出せる位置にしまっている。だからサボってしまった次の日はちゃんと二日分書いてインスタにあげた(英語日記は全てインスタに投稿している)。

2022年は何があったかなと思い返した時に、やはり一番大きかったのは6月の一時帰国だろうなと思う。僕は2019年の11月に渡豪してそれ以来だったから、2年半ぶりの帰国だった。目的は友人の結婚式に出席してスピーチをすること。その一点のみだ。
その頃にはもう煩わしい隔離等はなかったので入国もスムーズにできて、実家で1週間ほどゆっくりした後に迎えた6月19日。決戦は桑名の地だった。

実は僕はスピーチの他に余興も頼まれていて、大学野球部の同期と一緒に何がいいか議論を重ねた。結局「恋愛ゲームがいいんじゃないか」という、今思えば謎の結論に着地し、映像に強い友人が見事な10分尺の恋愛ゲームを本当に作ってきた。内容は新郎新婦がゲームのキャラクターとして登場し、3択の問題が出題され、ゴールインを目指すという王道?恋愛ゲームである。新郎新婦には式中に実際にプレーしてもらいクリアを目指してもらう。余興としてはかなり斬新だったのではないか。

どうなるんだろう。僕は不安だった。余興中の僕の役割はというと司会進行であった。ゲームをいかに分かりやすく伝え、限られた時間でスムーズに進行できるかがミッションである。
式前のリハーサル、これが式場スタッフの人たちにむちゃくちゃウケた。「こんなの初めてー!」を連呼していた。よしよし、これは何とかなりそうだな。順番的には乾杯→会食→スピーチ→余興だったので、僕はスピーチを何とか成功させることに頭を切り替えた。

披露宴前の挙式。新郎新婦のアイデアから「誓いのキス」は「誓いのハイタッチ」に変更された。僕は戦慄した。なにしろ2年半ぶりの日本なので「このご時世は感染症対策で、挙式でのキスも許されないのか」と本気で思ってしまったのだ。後で新郎に聞くと「んなわけあるか」と一蹴された。

式場から披露宴会場に移動する。僕はここから一気に緊張が高まってきて、周りからは「顔色が悪い」「医務室に行った方がいいんじゃないか」「お前が結婚するのか?」と指摘される。

これがスピーチ前の僕だ。何で俺がここに座らされているんだと言わんばかりの表情である。違う。緊張している。

乾杯の音頭をとるのは、新婦の勤務先の社長。これが長い。緊張のせいもあったのかもしれないが、朝ドラ1本分くらい長く感じた。乾杯の挨拶をするのは大体がお偉い人なので仕方ないが、どうしてみなさん前半は自分の自慢話をしたがるのだろう。「私は○○系の事業を3社やっておりまして秋から△△の方にも乗り出すつもりでありまして」。知らねえよ。こっちは緊張してんだ早く終われ。良いこと言ってる風で特に中身がない大演説の末、社長は近くにいた社員を周りに呼び寄せ「これから会社でいつもやっている儀式を執り行います」と高らかに宣言した。虚を突かれるとはまさにこのこと。ギラギラ系の役者友達の舞台を見に行った時に、彼の役割がセリフのない幼児だった時を思い出した。

何をやるのかと思えば「エイエイオー!エイエイオー!エイエイオー!」と叫び始めた。ほぼほぼアニマル浜口の「気合いだ!」であった。周りを囲んでいる奴らは京子さんだ。もういいよ。僕は乾杯の音頭を待たずして注いでいたビールを少し飲んだ。

いわゆる「しばしの団欒」が終わり、ついに僕の出番がやってきた。僕はこのスピーチに関して決めていることが二つあった。
①手紙は用意しないこと
②嘘をたくさんつく

何度かこういった披露宴に出席しているから分かるのだが、こういうスピーチは大体流される。用意した手紙を読むだけの予定調和に終わるからだ。せっかく話すのだから僕は聞いてもらいたい。だったら何も見ずに話す方がいいだろう。そして冒頭からふざけよう。さすればみんな食いつくだろう。その算段であった。

「新郎の友人であります松本拓郎です。新郎の啓悟くんとは大学時代の野球部の同期でありまして、同じ日に入部しました。背の高い啓悟くんは、当時は今よりも身長が高く、おそらく220センチくらいはあったと思います」

シーン。静寂。遅れてくる失笑。ああ、掴み損ねた。Mー1の時のキュウってこんな感じだったんだろうな。あれ。おかしいな。絶対に捉えたはずが空振り、みたいな虚無感。

そこからは伴奏するピアノの鍵盤が少しずつズレるかのように、僕が発する言葉がことごとくハマらない。唯一「松本という姓の3人で外野を守ったことがあり、それぞれの母親の名前が『ゆうこ』」というエピソードは中笑いをいただいた。ちなみにこれは嘘ではなく本当の話である。山田邦子さんなら何点つけてくれるだろうか。

手紙は用意していないものだから、僕は虚な目でずっと前を向いていたわけだ。「あ、大演説社長はどんな顔をして聞いてくれているのだろう」。僕はチラリと彼を目視すると、僕には目もくれず机上の料理を黙々と食していた。あの「エイエイオー」の勢いはどこへ行ったのか。僕も応援してくれ。そしてお前は嘘でも笑っとけ。

大汗かいて何とか演説を終え、一息つく間も無く余興である。この時点で僕の緊張は完全に解けていた。それがよくなかった。「即興で恋愛ゲームをプレーしてもらう」という体だったわけだが、ある程度の流れは新郎と僕の間で決めていて、新郎にはカンペを渡していた。そして何を思ったのか、僕はそのカンペを取り上げてしまった。「こんなもんあるからいけねえんだ!」という僕の中のルフィが疼いたのかもしれない。

そして会場のリアクションも良くなかった。「私たちは一体何を見せられているのか」という雰囲気のまま終わってしまった。リハでは大笑いだった式場スタッフさんも、どこか卑猥なものを見る目で監視していた。

新郎新婦には申し訳ないがこの余興中の記憶はすでに抹消してしまったのでこれ以上詳細なことは書けない。とにかく大スベりだったことは確かだ。親御さんに謝罪へ出向いたことは言うまでもない。

結婚式はもちろん主役である新郎新婦のものだし、一番大変なのは彼らだ。本人たちが満足し、喜べればそれで良いのだろうけど、願わくば「リベンジ結婚式」を挙げていただきたい。誰のリベンジかというと僕のリベンジでしかないのだけれど、次ならスピーチで笑わせれるし泣かせれる。余興では聴衆のニーズに応えてみせる。「誓いのハイタッチ」も次なら純粋に受け入れられる。エイエイオーも喜んでやる。

ということです。2023年も皆様よろしくお願いいたします。有馬記念は40円勝ちでした。良い年越しができそうです。現状よりも少し前に出れればそれで十分でっせ。

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