バグりに気付くとバグりが治る

先週まで二十時間連続睡眠ぐらいの反動があったのだが、今週は三時間も寝れない。

「夏は暑くて冬は寒い」ぐらいは理解できるのだが「寝」に関しては安定したい。暑かろうが寒かろうが寝たい。

そう、寝たいのだ。こんなのは異常だから。

「嗚呼、回復したい」

これが今日のテーマだ。

昨日、LINE@にこのような質問が来た。
概要はもっとあるのだが、結論これだ。

診療内科のいい探し方ないすか?

A.大変な日々、心中お察しします。そしてここまで応援ありがとうございます。

僕は心療内科アドバイザーではないですが、やはり心療内科と抗うつ剤によって支えられている人間なので、病院肯定派です。

かつては先生のクオリティが低かったのですね。
ただ、十年前よりも精神病への理解、テクノロジーの進化、先生や治療の質に向上を感じます。何より若い先生が増えました。

おそらくセロトニンの生成や新皮質の過敏性により、神経に異常が出やすい体質なのかと思います(専門医ではないので勘です)

しかし、いまは以前より安全で効果の高い薬も増えています。セルシンのジェネリックなどは即効性もしっかりしています。

ご質問の「良い病院の探し方」についてですが、これは正直、「美味い店の探し方」と変わりません。

好みもそれぞれですし、合う合わないもあります。しかし少なくとも「悪くない店」はこの世のどこかにはあります。

変な話、今が最悪と思えば、気長に探すのも悪くないのではないでしょうか。病院巡りをする時間が一年後の自分を救うなら価値ある時間です。

また、これは自戒を込めていますが「マジで治すつもり」というのが大切かと最近感じております。

気持ちとか気合いかよ!と言われたらそうなのですが、「治りたい理由」というのが動けない僕を救ってくれました。

いろんなファンの方が心の問題についてLINEをしてくれてお答えしているのですが、この「マジで治すつもり」なる言葉が刺さるケースは多々あります。

アドバイスなどとおこがましいですが、ご自身が骨折や肺炎同様に「病気」である状態を認め、そこから「回復したいか、したくないか」という本質的な問いかけはとても良い時間になります。

「治る理由見当たらないなぁ」というなら、しばらく突っ伏していればいいのです。無責任ですが、生活なんて後からどうにでもなります。

回復したい理由も「大切な人のために!」などと立派である必要もありません。
「突っ伏してるのに飽きたから回復しよっと」ぐらいの気持ち一つで治したくなるかもしれません。

個人的見解ですが、人生長くはないですが、よそ見するぐらいの時間は用意されています。

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問いかけられて、書いているうちに僕自身気付いたりする。

「面白いこと」というのは案外自分の中には無い。

ひとの痛みを「面白い」と表現するのは語弊があるが、自分自身の中から生まれるネタなど限界がある。「僕は面白い者です」などと自称する人間ほどスベっていると思うのだ。

話がアタマのテーマに戻るが「回復したいかしたくないか」というのはデカイ。

「まだ回復したくない」というケースもある。

しかしこれはこれでいいのだ。とりあえず突っ伏していればいい。
「突っ伏しに飽きた」ぐらいのしょーもない理由でしっぽり戻るものだ。

依存症、躁うつ持ち、ADHD、パニック、統合失調症。

ハートの病は現代人を苦しめる生活習慣病だ。中世ならば、「キチガイ、もしくは呪われてる、魔女に燃やさせよ。以上終了」と処されて終わりだった。イカレているので処分の対象だった。

大きな要因として「否認の病」であることが挙げられると思う。「自分が病気」と認められるひとが少ないのだ。

さらに周囲に言えないひとも多い。プライドも恐怖もあるし、そもそも病気の自覚が当人に無いケースもある。

しかし、これは間違いだ。病人なのだ。

脳と神経と筋弛緩系統が臓器とすり合っていないバグだ。

ゆえに我々は気が狂っているわけではないのだ。

骨折やエイズ、がん、糖尿と何ら変わらない。

ただ、これら外科・内科・泌尿器科の患者は「回復欲」がしっかりある。「自分が健常ではない」と認知しているからだ。

僕たちハートの患者は認知がどうしても歪みがちだ。ここに落とし穴がある。

だから改めて、「俺は病気だ。治りたい」と唱えるのは歩みを進める一歩になりうる。

「うつになった自分自身へのメッセージ。どっかの患者にも効けばいい」というロックを作って良かったなぁと思う日が多い。

自覚するのだ、俺はバグってる。治すぞと。












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