かんとくとコーチ

転がる石のように

人間は何かに縛られ、一箇所に固定されたがる生き物だ。

古代から続いてきたDNAにそう刻まれているのだろう。定住する地を見つけては繁栄を繰り返してきた。

一つの会社に通いながら自分の家庭をつくり、同じような生活パターンで過ごしたい」というような、固定されることは安心をもたらしてくれる幸福へのチケットだと思い込んでいるのだ。

もちろん考え方にしろ生き方にしろ、コロコロ変わらないほうが楽なのは確かである。

だから人間は一度固定観念に囚われると、なかなかそこから離れられなくなる。

だが会社での人間関係の悪化や近隣住民とのトラブルなど、固定されることによって生まれてくる悩みや苦しみも多い。

会社にどのようなひとがいるかということは入社してみるまでは分からない。

住まいだって、隣近所に非常識な人物がいるかどうかなど実際に暮らしてみないと気づかないことも多いだろう。

だから何でも固定する方へと向かうのは、人間にとって決して幸福なことではないと思う。

毎年のように形態を変えて生きていく人間をプレイしていると、よりそう感じるのだ。

移ろい変わっていくほうがむしろ安定感があるのではないか、とも思う。一箇所に停止しているとコケる自転車のごとく、「とどまる」というやり口は案外もろいものだ。

「自分自身の可能性」とか書くと大げさだけど、思ってもいなかった能力が人間あるものだ。

歌は大したことがないけど、書いてみたら作詞能力が抜きん出ているひともいる。
まぁこういう可能性はわりとありがちだ。「眠っている」的なやつだ。でも生きていたらもっと面白いパターンもある。

「歌はすごいけど、あんまり評価されていない。書いたことないけど作詞能力がまぁまぁみたいなひと」だって、書いてみたら歌詞がとんでもなく評価されることだってあるのだ。

それがすごいかすごくないかは置いといて、やってみたら人的な巡り合わせでブレイクスルーしたりする。

「すごさ」とかっていうのは案外そこそこでも「すごく」なる。イチロー級じゃなくても、羽生級じゃなくても、メッシ級じゃなくても「すごいひと」はいっぱいいるのだ。

能力値をどう配置して、誰とどう絡んで、どこに届くかで価値というやつはコロコロ変わる。

環境は性格的な向き不向きもあると思うが、「なんだかパッとしないなぁ」という悩みにはあちこちに転じていく人生は効く。第一類の医薬品ぐらいガツンと効く。

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