変化と仕掛けが好きな人間の都合
来週の24日に発表を行う。そして本日が21日。
準備でガチャガチャやりだす。凝り性なのだが後追いの凝り性で、「さっき拭いたところをまた拭く」みたいな仕事ばかりしている。いつまでたってもじょうずにタスクをさばけない。これはこれでいいとこもあるんだけども。
僕はMacBookとiMacとiPhoneとiPadで、もろもろの制作やらなんやらをしている。
林檎教と言われたらそれまでなのだが、やはり好き嫌いを除いても便利なのだ。とにかく便利すぎる。
いろんなものを持たずにあちこち行けるし、そもそも僕は忘れ物が多いのでiCloudというサービスは助かりすぎる。
そういえば僕はむかしカセットテープで録音していた。
何にでも言えることだけど、「変化を楽しむこと」から逃げちゃいけないなぁ、と近頃思うのだ。真新しいことばかりしてるからだろうか。
やはり対応力が強い人間ほど発展していくし、特にこの2015年あたりから世の中の変化はますますめまぐるしい。今年に入って、それはさらに苛烈している。
反対に硬直的な組織は永くは存続できない。
だけど「変化を楽しんでいこうぜ!」はいつも肯定的に受け入れられる言葉ではない。むしろ反発を生むことの方が多い。なぜならその言葉を使う人間は、やはり「自分でやっちまうやつ」だからだ。
QOOLANDのときもだ。強い変化を望むほど、まわりから反発を受けた。
アルバム2作無料ダウンロードやコンテストのグランプリ、クラウドファンディングにパートチェンジにゲリラライブ。解散にアンプラグドへのチャレンジ。
変化のレベルが強いほど、外からも中からも反発をくらった。
人間には「恒常性維持機能」という現状の変化を嫌う本能が備わっている。だから仕方ないといえば仕方ない。
だけど僕はいつも変化対応を望んでやってきた。
ファンの要望や自らのコンディションに合わせて、やり口を変化させていくのが僕の役割なのだとも思っていた。
だけどどうしてもまっすぐそれを通すのは難しい。
「経営者だけに都合のいい変化は認められない」という意思をくらいながら、「変化対応といえば聞こえはいいけど、すぐに手のひら返すってことだから」で踏まれて「やってることがコロコロ変わりすぎ」で拘束された。
グチではない。本当に仕方ないと思う。
こんなもん、どこの会社でも聞くトラブルだ。そして転職しないひとは「不満分子」として組織の血管を泳ぎ続ける。
変化の渦中にいるひとにとって、変化は一種の「賭け」だ。
メリットとデメリットの両方が存在する。
僕はこの春からロックバンドではなく、アンプラグド×ぬいぐるみという「賭け」に張った。もちろんここにもメリットとデメリットがある。
だが多くのひとに「賭け」が歓迎されるとは限らない。
例えばこういう話がある。
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