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タイパ・人生の意味、人生における偽の問題について

「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでかない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。
生きることはバラで飾られねばならない。」

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫版)P.33

最近悲しいニュースが続いた。それを機に最近考えていたことが少しつながった気がしたので思いついたことをメモ的にまとめておこうと思う。
端的に言えば、他人の死をきっかけに自分の人生について考えたくなるが、そこまで真剣に悩む必要はなく、むしろどう楽しむかを考えることに注力すべきだというのが私の主張である。


ただ楽しむことの難しさ

最近、努めている企業で有志の部活みたいなものに関わっている。そこで部活を運営していく上で悩んでいるのが、「どうやって人を増やすか」(=スケールするか)ということだった。
もちろん自分達の活動の内容も面白くしていきたいが、それ以前に有志とは言えど組織を維持・拡大するためにどうやって人を集めるかということが喫緊の課題だった。
しかし、それと合わせて一つの疑問が湧いてきた。
ただ楽しいだけではダメなんだろうか?
自分たちと仲の良い人たちでワイワイやる。それでもいいのではないか。
企業やビジネスじゃなく趣味でやっているのだから目的がなくてもいいのではないか。そういう疑問が自分の中に浮かんできた。

それと合わせて冒頭のニュースの出来事で色々と考えてみた。
人間はいつか必ず死ぬ
だから人間は時間や出来事に「意味=価値」を見出そうとする。
なので、ただ単に時間を無為に楽しんで過ごすということは難しい。

「楽しいだけで部活を運営するのはダメなのか?」
から
人生ってどうやったら楽しめるの?
まで疑問が膨らんできた。

タイパ

「タイムパフォーマンス」という考え方(型)がある。かけた時間に対する満足感や価値ある行動をどれだけ得られたかを示す言葉で現代社会の速度と情報の多さに対応するために生まれた概念であり、特に若い世代において、日々の生活や仕事において重要な考え方とされている。

これも上記の人生に価値を求めすぎている考え方の典型に思う。
人生は単なる時間の積み重ねではなく、その中での経験や成長、人間関係など多くの紆余曲折=タイパの視点からすると無駄な要素が含まれる。タイパを一つの指標として参考にすることは有用だが、人生全体を通じた幸福や充実感を求めるには、時間効率以外の価値も大切にすることが重要になってくると思う。

人生の意味

「人生の意味」についてもついつい考えがちである。
しかし、人生の意味を考えることに意味はあるのだろうか。
人生は生きている限り常に流れるものであるその一部分を切り取って意味を考えることに意味はあるのだろうか。

人生の意味なんてその人が死んだあとに他人が振り返って付与するものであって、その人が生きている内に自分の人生の意味なんて考えても答えは見つからないと思うのである。
例え仮に人生の意味が見つかったとしても、その人生の意味が付け加わることでさらに新しい意味が生まれてくることになる。そうすると意味とは>意味とは>意味とは…と循環に陥ってしまうと思うのだ。


コップの例え

人生をコップに例えてみよう。
コップには水を満たすことができる。
だからと言ってコップには水を満たす必要があるのだろうか?
水を満たさなければならないのだろうか?
タイパの考え方はこのコップに水を満たすことの効率だけを考えることである。人生の意味の考え方はコップを哲学的に分析して何が必要か見極めようとしてじっと見つめて何もしないことである。
どちらの思考も必要に縛られている。
コップ(=人生)には水を満たす必要しかないのだろうか。

ではコップを使って何をするのか。
コップの形は人によって違うかもしれない。
形を変えることだってできるかもしれない。
穴が開いているかもしれない。
穴が開いているのなら、側に絵をかいたりしてインテリアとして飾ることもできるかもしれない。
透明に近い色だったら電球とスタンドを用意してランプにすることだってできるかもしれない。
そもそもコップは一つなのだろうか。
沢山のコップを用意してスポーツスタッキングで遊べるかもしれない。
自分のコップにしか水を注げないのだろうか。
他人のコップに水を注いだり、自分のコップから水を分けることもできるかもしれない。

コップがただ水を保持する容器としての機能に限定されないように、人生もまた、一つの目的や役割に縛られることなく、無限の形を取り得る。
自分自身のコップを、水を注ぐことに固執するだけでなく、穴を開けて新たな役割を創造したり、色とりどりの絵を描いて個性を表現したり、他者のコップにも水を分け与えることができる。

人生を楽しむこと

人生の意味や目的は、外部から与えられるものではなく、自らが探求し、創造するものだと思う。人生とは、自分だけの独特なコップをどのように使い、どのように彩るかについての物語だ。

最終的に、人生の豊かさは、コップがいかに満たされているかではなく、そのコップを使って何をするか、どのように自己を表現し、他者と関わるかによって決まる。
だからこそ、私たちは人生の一瞬一瞬を大切にし、自分自身と周りの世界との関係を深めていくことに意味を見出すことができるのだ。
コップが単なる容器でないように、人生もまた、単なる時間の過ごし方以上のものになるのだ。

ってなことを考えてたら週末が終わってた。
人生には必要だけじゃなくてバラを飾るような無駄な贅沢も必要ってこと。
おわり

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