「みんな」ってだれ?|顔の見えない「みんな」が作り出す常識を疑え
日本人がよく使うことば
≪みんな≫
「みんなそうしているよ?」って言われたことがない人はいないはずです。
そこで今回は、
【顔のみえない「みんな」の圧力~「常識・慣行」を疑い、常に天秤にかけて検討する】
幼少期から浴びせられてくることばについて、考えてみたいと思います。
では参りましょう!
■「みんな」ってだれ?
改めまして、「みんな」です。
「みんな」ってだれですか?
自分の家族?同僚?同じ電車に乗っている人?日本国民?全人類?
みんなってことばを使った人で、誰なのかをはっきり説明できる人はほぼいないのではないでしょうか。
小学校の頃、こんなことを先生に言われた人も多いのではないでしょうか?
「このクラスのみんながそう思っているよ」
「え?みんな?全員?30人中自分以外の29人がそう思っているの?山田さんも?鈴木さんも?佐藤さんも?」
まぁそんな性格悪い小学生である必要はありませんが。笑
「みんな」
って言葉を使うとき、「具体的な固有名詞」を言い換えていることってほとんどないです。
このことばを言われたら、「具体的に誰が?」と聞いてみるのもいいでしょう。
友達が減ることに対しては責任を負いかねますが。笑
■自信がないときに使う「みんな」
なんとか説得したいときに、最後の手段として「みんな」が登場することが多いです。
Aという理由があって。Bという理由があって…..
「みんなそうしてるから!!」
完全にパワー勝負の発言です。
自分1人では通り抜けられなかったことに対して、顔のみえない「みんな」の力を使って押し通そうとする言動です。
論理的な理屈ではなく、「同調圧力」を使って解決しようとしています。
つまり、自信がないときに使うことばであるのです。
子供のころから使われることばなので、いったんは納得しかけてしまいますが、本質は何もないことがほとんど。
むしろ「あぁ、この人自信ないんだな」とわかる人にはわかってしまいます。
そして中身がスカスカなことばを使うと、自分自身がスカスカになっていきます。
自信が無いときに「みんな」を使っているなと少しでも思うのならば、自分自身を省みてみましょう。
■「みんな」という常識を疑い、常に天秤にかけて考える
「みんな」という常識
これを疑いましょう。
「顔の見えないみんな」が作り出す「常識」なんて危なっかしくてありゃしませんか?
なんの根拠もない常識で意思決定をすることほど、自分の首を絞めるものは無いと思います。
「みんなそうしてる」⇒「自分はなぜそうしたい」
このことばに変換してみてはどうでしょうか。
「自分はなぜそうしたいか」を考えると出てくるものが「目的」です。
なぜそうしたいかがはっきりすれば、A案・B案をしっかり天秤にかけて考えることができます。
必ず天秤にかけましょう。
そして、その測りのどちらかに「みんな」という錘をおいてはいけません。
純粋に比較したいものだけ。
ひねくれる必要はありませんが、「みんな」という1言
「みんなってだれ?」って考えてみると、真理を見極めることができるようになります。
「みんな」なんていませんし、ありません。
多勢に無勢
ほんとうに相手は多勢ですか?
ではまた!
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