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地獄経由でしか夢なんて叶わない

過去を振り返るのは大変ですね。
疲れてきました。笑

※書き終えて追記しています。
間違いなく個人的には一番おすすめです。
読んでほしいし、いろんな人が目にしてくれたら嬉しいです。

この記事よりもさらに、
怪我に対してどう思ってるか
エピソードと交えて深く書けました。
⬇️

自分が今のなぜ自分なのか?
自分のことを深く知ると同時に
奈良坂巧はなぜ奈良坂巧なのか?を
皆さんにも知って欲しい。
こんな過去が。こんな思いが。こんな目標が。というふうに感情移入してもらえたら読んでくださった方々と色んなものを共有できる。
そんな応援しがいのある選手になれるかも?
と思って本題に入ります。

本題

1年生時を「地獄」とあえて表現しました。
2,3年生時は「天国」なのか?
そんなに変わらず地獄でした。
ただ、地獄でもやっててよかった。
と思うことがたくさん起きました。
あえて短い言葉で表すなら、
「Dreams come true.  夢は叶う。」

高校入学時に立てた夢があります。

・桐光学園のエンブレムに星をつける。
・世代別代表に入る。高校選抜に入る。
・高卒でプロになる。

これは言うまでもなく夢でした。
「目標です」なんてとてもじゃないけど、
恥ずかしくて言えない。
「夢を口に出せ」「自信がない奴はできない」自己啓発本とかに書いてありますが、
そんなことない気もします。
自信ない皆さん安心してください。叶います。

実際、高校在学時に全て叶いました。

2年時 インターハイ全国制覇、高校選抜入り
3年時 U18日本代表、FC町田ゼルビア内定

大谷翔平選手のマネして書いたやつ
プロ入り。(中央)代表入り。(左上)
星をつける!!
1年時インハイ決勝後〜のサッカーノート

ワールドカップとかに出たわけでもないし、
アジア予選を戦ったわけでもないし、
コロナで結局なくなりましたけど、高校選抜の海外遠征のメンバーにも残れていません。
誇れるとは全く思わないし、悔しいし、
パリで五輪を戦っていた選手の多くと
世代別代表でプレーしたことがあります。
それを病室で入院しながら見る悔しさといったら、言葉になりません。
絶対追いつく。追い越す。

でも叶えたからこそ、悔しいと思えるし、
刺激になってもっと頑張れます。

高校3年間約1000日。
苦しいことばかりでした。
月曜日部活はオフだけど、授業はもちろんあるから、帰ったら16時。
丸1日のオフなんて、3/1000日くらいしかなかった。
(その3日はインターハイ優勝の御褒美で勝ち取りました。笑)
毎週火曜日は走り。
「陸上部より陸上部」が合言葉。
夏の校内合宿。
「4部練習、5時出走」が合言葉。
大好きな仲間が大怪我したら
大勢で病院へお見舞いにも行った。
仲が良すぎたのは監督にもバレていて、
誰かが監督に怒られると
「どうせお前ら3人で居ただろ」と
監督に呼ばれて3人怒られる。
(光くんと前川くん楽しかったね。笑)
コロナで進路がどうなるかが不安だった。
最後のインターハイもなくなった。

個人的には
ミーティング中にBチームの練習をよそ見をしてしまって、
「Bチームが好きなら行っておいで」
と3年間で初めてBチームに行く。(完全に俺が悪い笑)
日本代表U18に入る、高校選抜に入る。
で鼻が伸びて、調子に乗っていたから、監督に
「いい影響を与えないといけないやつが悪い影響しか与えられないなら最後の選手権、お前は、試合に出さない。自分の影響力を考えろ」
と宣言されてしまう。(これも俺が100%悪い。でも仲間が監督に自分を選手権に出してあげてほしいと交渉しくれて出れた。ありがとうすぎる。)
そんなストーリーがあったんだから絶対勝たなきゃい選手権。ジャンプ漫画だったら絶対勝つフラグだけど、、、
神奈川県決勝。自分のミスで負けた。
これだけが唯一、高校生活の後悔。
帰り道電車の中で泣いた。
「今泣くならもっと頑張ればよかったな。」
めっちゃ仲良かったやつにそう言われた。
ハッとした。その通り。もう頑張るしかない。
みんなが俺と同級生だったことを、
友達であることを誇りに思えるように、
プロで頑張ろう。と覚悟が決まった。
今は誇れないだろうけど、こっから頑張る。
またみんなで集まろ。

同期

この言葉のおかげで「後悔」に対しては、
異常な執着がある。
だから、後悔しないように毎日過ごした。
前十字靭帯断裂は死ぬほどショックだった。
体の使い方、疲労のコントロールをするにあたって主観と体が感じている負荷のずれ。
みたいな面ではエラーがあったから、こうなったのかもしれない。

けれど、1ミリたりともこの怪我をするまでの日々とここまでのプロ生活に後悔はない。

毎日欠かさず、練習の1時間前には到着して
ストレッチしたし、寝る前もストレッチした。
去年からは、マッサージを受けながら
体のどこが張ってて、それは何が原因で。
と細かく教えてもらって、それを改善するためのエクササイズ、ストレッチをして、
日々、怪我しないように!
と願いを込めて、体とも向き合えるだけ向き合った。先輩や専門家さん。時には後輩、監督、コーチからもたくさんアドバイスをもらい、食事も睡眠もサッカーにかかわる24時間を自分なりに100%こだわったつもり。

それでも足りなかったり、まだ必要なことがある。または引き算もしないといけないんだ。と気づいて、ブラッシュアップする期間を
怪我をすることで与えてもらったと思っている。

少し脱線しましたが、、、

高校生活は、ほんと色々あって、
いっぱい苦しかった。
その分、嬉しさは格別でした。

インターハイ全国優勝の時は
人生で今のところ唯一、嬉しくて泣いた。
嬉しすぎて夜は一睡もできなかった。
沖縄開催だったから監督が買ってくれた
ブルーシールアイス食べながら
(中学生ぶりのアイスだったと思う)
部屋で寝れないね。ってみんなで喋った。
全部が報われた気持ちになって、頑張ってきてよかった。
そう心の底から思えた。

全国制覇!
号泣中😭(Withももた)

選手権本大会には出れなかったけど
「憧れの満員三ツ沢」
でのプレーも神奈川県予選の決勝で味わえた。
「スカイブルーの勇者、桐光。
さぁあ、いこーぜぇー!神奈川制覇!」
入場していく時の景色、チャント、
ずっと忘れない。

全国高校サッカー選手権大会神奈川県決勝 満員の三ツ沢
桐光学園vs青森山田でも桐光学園が着てて
憧れだったベンチコート😍

高校選抜で、世代別代表で初めて日の丸を背負ってすごくうれしかった。
袖を通して鳥肌が立ったのもずっと忘れない。

高校選抜 (上段右からの2番目)
世代別代表🇯🇵

プロになれる。契約書にサインした日もずっと忘れない。
母親は大学に進んでほしかったようで、かなり説得された。
けれど、勝さん(桐光学園監督)が
「息子さんには進学の意志がありません。」
と母親に伝えた。それでなんかハッとしたそうです。
自分もそれを聞き、笑けてきてた。
母親は、そんなにプロを本気で目指してたんだ。
いつから?とか思ったみたい。
幼馴染の家族ぐるみで仲が良い家族にも母親はこっそり相談していた。
「他人の子なら大学進学を蹴るのはもったいない。と思うけど、
自分の子なら夢を挑戦させる。」
という言葉をもらったらしい。
(これは今日聞いた話。そんな背景があったとは。)
最終的にはプロの道に両親も背中を押してくれたし
今も一番のサポーターで大好きな家族です。

FC町田ゼルビア入団会見

地獄を経由したからこんなに嬉しかったんだと確信してます。

前十字靭帯断裂して、地獄だと思いました。
けど、これはチャンスなんです。
だって地獄を経由すれば夢は叶うから。

これから先のサッカー人生で何度も嬉し泣きしたいし、タイトル取りたい。人生かけた試合に勝ちたい。
三ツ沢よりでかい満員のスタジアムで、
プレーして、もっと湧かせたい。
また日の丸を背負って戦いたい。

やっぱりこれはまだ夢の段階です。
目標とは言えない。遠すぎて。
でも、プロサッカー選手である以上、
ありがたい事に、目指す権利はあるし、
そうなれる権利もあります。

何年かかっても必ず辿り着きます。
そのために、まずパワーアップして
ピッチに帰ることを目標に頑張ります。

Part3にして、過去最短の文量で、(よっしゃ成長。)
今の俺が1番伝えたかったり
過去とつながる部分が書けた気がします。

こんな感じで過去の振り返りは終わろうかな。
お付き合いいただきありがとうございました。共に上へ!vamos!!











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