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世界で活躍する同世代の起業家の人生をたどる - Jen Rubio/AWAY編 (前半)

前回お届けした「世界で活躍する同世代の起業家の人生をたどる」シリーズが好評で、読者の方々から良い感じのコメントをいただけたので、張り切って第二弾をお送りしたいと思います!

シリーズの概要や、参照しているPodcastの情報についてはこちらから。

今回ご紹介するのは、AWAY共同創業者のJennifer (Jen) Rubioさんです。AWAYは2015年創業のスーツケースブランドで、D2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)のビジネスモデルを語るうえで外せないブランドとなっています。無機質でどれも同じだと思われていたスーツケース業界に颯爽と現れ、「旅行体験をより楽しいものにする」ことをミッションに、スーツケースだけでなく、雑誌やPodcastまで配信するなど、これまでのブランドが考えていなかったような戦略を打ち出して注目を浴びました

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(写真引用 上:awaytravel.com 中:Podacast 下:heremanagine.com

こちらの調査では、2018年10月末の段階で、AWAYはスーツケース専業ブランドの中でサムソナイトなどを抜いて、最も多くの利益を出したブランドとして紹介されています。

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そんなAWAYですが、正直数年前からメディアで散々話題になっているので、なんで今?と思われた方もいるかもしれません。なぜ今回取り上げるかというと、とにかく共同創業者が面白すぎるんです。32歳という若さながら、人生何周目やねんという多様なキャリアを過ごし、今は会社経営者。

その途中で生まれ育ったフィリピンからアメリカに移住したり、大学を中退したり、あてもなく会社を辞めたりと、その波乱万丈さは絶対紹介したら面白い!!と確信を持つ内容だったので、紹介したいと思います。

文章がまとまりきらず、まさかの前編後編に分けてお送りします!
ではいってみましょう~~。

幼少時代~大学まで

生まれてから7歳までフィリピンのマニラで過ごした。両親共にフィリピン人。母親は歯科医で、父親は経営学の教授。ある日、家族でアメリカに移住するよと言われた。叔父さんが既に移住していて現地にアテがあるという。
アメリカなんて行ったことが無かったし、すごく喜んだ。アメリカには沢山雪が降るよ、と親に言われ、スノースーツを買って、飛行機に乗り込んだ。雪がどんなものかもわからず、飛行機でもスノースーツを着て、人生初の長時間フライトで渡米した。辿り着いたのは9月のニューヨークで、フィリピンと同じくらいすごく暑かった。

なにその可愛いエピソード。

ニュージャージー州に住み、母親は歯科医として開業。父親も仕事を見つけた。Jenはすぐにアメリカの暮らしに慣れ、逆に、これまでのフィリピンの食事や文化を嫌うようになった。食べ物の匂いが服に移るからと、フィリピン料理を母親が作ることを嫌がった。
優等生として勉強を重ねる。ある時、映画で見た大学に憧れを抱いた。キャンパスライフというものをやってみたいと思い、ペンシルバニア州立大学に進学。大学には「専攻」というものがあると聞き、何か特別な響きがあると思った。何となくサプライチェーンを専攻した。でも大学に入ってしまうと、授業やテストがつまらなくて、すぐ大学に飽きてしまった。

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(広大な土地と緑が美しい、ペンシルバニア州立大学 写真引用:Center Daily.com

そんな時、6か月間企業で働くことで単位がもらえるプログラムを大学が開催していることを知り、それを利用してニュージャージーにあるジョンソン&ジョンソンへの本社で働いた。初めての専用デスク。初めての社員証。初めての社用携帯。生まれて初めての社会人経験がすごく面白くて、夢中になって働いた。プログラムが終わって大学に戻ると、一層生活がつまらなくなり、すぐにでもまた働きたいと思った。

この辺わかりみが深いですね。ちなみにJ&J社の本社からPenn州立大学まで車で1時間半くらい。Jenの実家もNJ州(割と小さい州です)ということなので、車があれば実家通いできる生活範囲では無いでしょうか。公立大学に進み、地元に残ってキャンパスライフを過ごす真面目な女子大生というイメージを勝手に持ちました。知らんけど。
そんなJenの人生がガラッと変わる、大学生活後半に突入します。

大学中退~ソーシャルメディアを仕事にするまで

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(インターンで訪れたロサンゼルスの街並み 写真引用:international travelor.com

結局、またサマーインターンでロサンゼルス(LA)にあるNeutrogenaというスキンケア用品のブランドで働くようになり、また仕事に没頭した。インターン期間が終わっても、大学に戻りたくなさすぎて、何とか会社に残りたいと懇願して、無理やりそのまま会社に残った。残りの単位はインターネット経由で取ろうとしたが結局3単位取りきれず、中退扱いとなった。それでもいいと思うくらい、仕事が楽しくて、離れたくなかった。結局、そのままNeutrogenaの社員になった。これが2007年のこと。
そんな時、社内でマーケティングの仕事をしている女性がすごくかっこよく見えて、どうしてもマーケティングの仕事がしたいと思った。「どうやってマーケティング部門に移れるの?」と聞くと、「マーケティング部に行きたいなら、MBAを持ってなくてはいけない」と言われた。さっき大学辞めたばっかりなのに、辞めなきゃよかった!と後悔した。でもどうしてもマーケティングの仕事をしたくて、結局、会社を辞めた。この時点で、仕事なし、学歴なし、お金も全然持ってない状態で、地元を離れてLAで一人になった。

おいおいおい。急展開来たよ。

さてどうしよう、と思った時にブログサービスのTumblrを開いてみた。2007年当時のTumblrは人気が徐々に出始めてきた頃で、元々SNSが好きだったJenも時々ブログを書いていた。その中で偶然、「ソーシャルメディアマーケティング」という仕事をしている人のブログを見つけた。フードトラックの従業員として、どの時間にどの場所でフードトラックが来るかを、Twitterなどでお知らせする仕事だという。「Twitterが仕事になるのか!」と驚いた。
Twitterを辿ってその場所に行ってみると、その情報を見た大量のお客さんがフードトラックに並んでいるのを見て、更に驚いた。「ツイッターでつぶやくだけでこんなにお客さんを呼べるなんて、よくわからないけどすごいことが起きている」とものすごい衝撃を受けた。「これこそがマーケティングなのではないか」と思った。これを仕事にしようと思った

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(LAのフードトラックの様子 写真引用:Eater.com

LAには沢山フードトラックがあるので、早速自分の提案を売り込んだ。最初のお客さんはカフェのトラック。「このパスワードを店員に見せたら、一杯無料でエスプレッソ差し上げます」みたいなツイートを投稿したりして、集客を試みた。誰でも思いつく、すごくアマチュアなキャンペーン。でも2007年当時はそんなことを誰もやっていなかった
自分は知識も経験も無く、思いつくことをやっていただけだが、周りは自分のことを専門家として見てきて、報酬をもらうことができるという不思議な体験だった。カフェ、レストラン、ホテルなど、色んな会社からソーシャルメディアの仕事が舞い込むようになった。これは行けるのではないか?と思いながらもそこまで稼ぐには至らなかったので、サイドジョブで、映画制作会社のSNS担当としても働いた。監督や作家の横について、彼らの発言やインタビューをSNSでも紹介した。こんなことをして、LAでの生活は続いた。

ニューヨーク~ロンドン生活編

その後、順調にキャリアを重ね、広告会社へ就職。ニューヨークへ引っ越して、再び東海岸で生活をしているJenに2011年、転機が訪れます。この時点でまだ24歳前後。すごい。

Tumblrで働いていた友人からの紹介で、Warby Parkerからソーシャルメディアに関する相談を受け、お茶をしていたところ、途中でそれがジョブインタビューであることに気づく。その場で興味を持ち、同社のソーシャルメディアマネージャーに就任することになる。

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(Warby Parkerに誘われた際にお茶をしていたというNYのUnion Square Parkの夜景 写真引用:Eater.com

今後につながる伏線になるので丁寧めに解説すると、Warby Parkerは2010年創業のアメリカの眼鏡ブランドでありユニコーン企業で、オンラインで眼鏡を販売する、D2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)の第一世代だと言われています。

従来アメリカでは、予め自分で眼科の予約・診察をしてもらって処方箋を書いてもらってからでないと眼鏡が買えないという不便さを抱えており、かつ値段も3万円前後と、日本に比べて高価でした。昔ながら硬直的な眼鏡市場に参入した同社は、モバイルアプリやソーシャルメディアを使ってこのユーザー体験を革新し、眼鏡市場を変革した第一人者と言われております。

Warby Parkerではネット上で自分の好みのフレームを指定すると、5種類の眼鏡が自宅に配送(または店舗で受け取り)されます。その中で気に入ったものだけを購入し、残りは返品することで、顧客満足の高い商品を提供しています。またSNS上でユーザーの質問に答えたりと積極的にコミュニケーションを取るブランドとしても知られています。

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(写真引用:公式サイト

当時はまだSNS黎明期でWarby Parkerの社員はTwitterでひたすら顧客のツイートにリプライしたり、カスタマーサポートのツールに使ったりしていた。スタッフは1日10時間、ひたすらTwitterで顧客と話していた。「I love Warby Parker!」というツイートに「Thanks!」と返すような、ささいなやり取りでも、積極的に取り組んでいた。

ちなみにこれ、この当時から9年経った今でも、彼らはやってます。Twitterで調べてみてください。すごい一貫性。

当時、眼鏡をネットで売るなんてクレイジーだと皆言っていたが、こうやってネット上で企業とユーザーとコミュニケーションが生まれるのは、とても面白いことだと思った。インスタグラムはサービスがローンチされたばかりで絶対使ってみたいと思い、チームで「Home Try-On 」の取組を始めた
#warbyhometryon のタグをつけて、家に届いた5つの眼鏡をかけた自撮りをInstagramにアップすると、知らない人同士が「これが似合うよ!」とやり取りしたりする。ブランドを軸にしたコミュニティが生まれ、育ちつつある感覚を持った。これは新しい経験だった

この取組はWarby Parkerのソーシャルメディア戦略を代表するものの1つとして、色んなビジネス雑誌の記事で読んだことがあったものでした。まさかAWAYの創業者がいるチームが作ったものだったとは・・。衝撃。ちなみに今もこのハッシュタグは使われています。

会社はどんどん成長し、Jenが入社した時には15人だった社員が、2年後には数百人という規模まで増えていた。ちょうどその時、父が他界した。気分が落ち込み、仕事の成長に気持ちがついていけなくなり、結局2年間働いて、退職した。
その時見つけたALLSAINTS(英国に本社を置く、ファッションブランド) グローバルイノベーション部門のDirector職の求人を見つけ、環境を変えようとロンドンに引っ越して、新しい仕事を始めた。CEOはParby Parkerの急激な成長を見て、そこから新規事業成功の糸口を探しているようにも感じた。後にも先にもマーケティングの仕事じゃない役割を担ったのはこれが唯一の期間で、何もかもが新しい経験だった。自分は当時26歳かそこら。

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(イギリスに本社を置くALLSAINTSの店舗 写真引用:Fashionunited.uk

まさかのイギリスへ引っ越し。てか全然スーツケース作り始めないですね。

今振り返って思うのは、ALLSAINTSでは顧客に接する部門と、事業を作る部門の中に、内部の組織が幾つかあり、そこがイノベーションを阻害しているように感じられたということだ。内向けの仕事が多く、顧客が本当に欲しいと思うものを、正しく新規事業部隊としてくみ上げることができなかった。今になればそう思うが、当時はそれが理解できず、仕事のやり方に苦しんだ。状況の改善を試みる方法もあったが、父親のこともあり、「いますぐやりたいことを、やらないといけないのではないか」と思うようになった。
結局、それが原因でALLSAINTSを退社。イギリスでの労働VISAが切れそうだったので、更新するためロンドンで就活を続けていた。会社規模は問わず、マーケティング部門 副社長とか、CMOとか、そんなタイトルの仕事を探して、各地を飛び回っていた。そんな中でスーツケースが壊れた。大学時代から使っていて、ボロボロで、ブラックのプラスチックの安物で、空港でいきなりチャックが壊れて中があふれ、下着が床に転がった。ものすごく恥ずかしくて、最低の体験だった。

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(イメージ 写真引用:Flicker.com

この気持ちを共有したくてFacebookで日記を書き、「次は失敗しないよう、どんなスーツケースを買ったらいいか教えて」と書いたが、誰からも良いアイデアをもらえなかった。この時、旅行好きな人は世の中に沢山いるのに、誰一人としてスーツケースをちゃんと選んだことが無いし、自分のスーツケースのブランドが何なのかも知らないことに気づいた。あったとしても、4000ドルくらいの超高級品を持っているお金持ちだけだった。
量販店の地下に積まれて、一番安いものを選ぶか、高級店で4000ドル出して買うか、これ以外の選択肢が本当にないのか!?と調べまくったが、本当にそれしか方法がなかった。スーツケースへの不満は、募り続けた。こんなにこだわっている自分自身に対して、「ひょっとして、スーツケースのブランドを自分で作ったら売れるのではないか」と思ってはいたが、起業するイメージなんて全くなかったので、心の声には耳を傾けず、就活を続けた
そんな中、Warby Parker時代の同僚であるStephanie Koreyと、電話でお互いの近況報告をした。かつて一緒に働いていて、彼女はサプライチェーンを担当していた。今はMBA取得のためコロンビア大学に通っていたStephanieと電話で、ALLSAINTSでの仕事を辞めたこと、VISAが切れそうで就活していることなど日々の愚痴を語る中で、もちろんスーツケースが壊れたことも触れた。10分のキャッチアップのつもりが、3時間以上も話した。
たまたまStephanieもMBA期間中に新しいビジネスを始めたいと思っていた。「私たちならもっと良いスーツケースが作れる」「2人で、スーツケース界のWarby Parkerを目指さないか!?」とすごく盛り上がった。かつて最悪だった眼鏡購入のユーザー体験を改善したWarby Parkerように、スーツケースを買う体験を刷新するようなブランドを作ろうと意気投合した。

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(共同創業者の2人 写真引用:inc.com

その後、スーツケースのアイデアを巡らせていくうち、就活として受けていたうちの1社から、マーケティング担当 副社長内定の連絡がきた。でもどうしてもこの小さなアイデアを実現したいと思い、そのオファーを断り、ニューヨークに戻って、2人でアイデアのブラッシュアップを続けた

・・・

ということで前半が終了です。いよいよスーツケースづくりに挑み始めたJenの挑戦から、次回後半でご紹介したいと思います。


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