【振り返り】エストニアワーホリ2か月経過した私の感情の整理と現在地【The Tapestry of Experience】

こんにちは。
たくびーんです。

20代で会社員をやめて2023年4月からワーキングホリデービザを使い、
エストニア移住を始めました。
エストニアでの暮らしや英語学習について発信していきます。

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この記事は私がエストニアにワーホリに来て2か月経過したところで自分の感情の整理ために執筆します。
辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったことと、関わってくれた人への感謝の気持ちを忘れないようにするために、自分のために書いています。
かなり長文となっており、おそらく皆さんのお役に立てる情報はありませんので、悪しからずご了承ください。

※内容はノートに殴り書きしたものをほぼそのまま転載していますので表現が一部わかりづらかったらすみません。


●エストニア入国

4月下旬にエストニアに入国した時は本当にワクワクが強かった。自分が大きな挑戦をしているという感覚はとてもあった。どこか旅行気分であったのだと思う。ついにエストニアに来たということを強く実感した。

エストニアのスーパーで食品を買うのは楽しかった。現地の人の文化に触れている気がした。食べ物も美味しくて口に合わないということはない。日本料理のように繊細な味付けというわけではなく、あくまでもヨーロッパの料理という印象。

エストニアの気候も気に入っている。4月下旬でも日本と比べてかなり着込まないと寒いくらいだが晴れの日も多い。当初は旧市街の中のホテルに滞在したがアジア人は少ない印象。見かけても中国人か韓国人であり、日本人はほぼいない。これは日本の長期休暇のタイミングとちょっとズレていたからかも。インドネシアやバングラデシュ系の人はちらほら見かけた。
エストニアにアジア人は少ないが人種差別的な扱いを受けたことは一度もない。むしろみんな親切で丁寧に助けようとしてくれた。

エストニアには少なくとも1年間は滞在予定だったが、入国時点で住む家は決まっておらず不動産サイトの担当者とはやりとりが続いていた。GWは日本人の友達とドイツに旅行が決まっていたので、ドイツからエストニア帰国後にアパートに入居する流れがベストだった。

私にとって初の海外移住でエストニアのアパートの入居方法や一般的な設備もわからず(冬の寒さをどのように耐えるかも分からず)、インターネット上にも情報が少ない中で、とても丁寧に対応してくれた不動産サイトの担当者が1名だけいた。
(担当者の中には英語で堪能な人とそうでない人がいた。)
その担当者からしてみれば、顔もわからずどんな性格かも分からない日本人の私の対応をすることはリスクが高いように思えた。もしアパートに入居してトラブルでも起こされたらたまったものではない。

日本人の感覚からすると、「不動産の仕事なんだから親切に対応するのは当たり前でしょ」と思われるかもしれないが、日本人ほど真面目に仕事に取り組んで、最高のパフォーマンスを発揮しようとしている国民は世界的に見ても稀だと思う(私個人の感想とChatGPT談)。

その担当者にいろいろ助けてもらい、またアパートも気に入ったので入居を決めた。しかしながら不動産サイト上の情報では、5月上旬に入居可能となっていたところ、そのアパートの工事業者の都合で最短での入居が5月15日からとなった。私の希望ではGWのドイツ旅行から帰ってきたらすぐに入居するつもりでいたのでちょっとしたハプニングに遭遇した気分だった。
これまでは割と順調に物事が進んでいたし、「まあ、そういうこともあるよな」と思いつつ、想定外に1週間ほど予定が空いたのでバルト三国のラトビアとリトアニアに旅行に行くことにした。

ラトビアもリトアニアも旧市街が世界遺産になっていて、エストニアの旧市街と雰囲気は似ていた。過去の歴史でいろいろな国の影響を受けてその国の文化が成り立っていったんだなということを史跡巡りや食べ物を通じて感じた。
とくにリトアニアのカウナスで杉原千畝の資料館に行った時は彼の偉大な功績に胸が熱くなった。こういった日本人の活躍により、世界で親日の文化が醸成されてきたのだなと思った。

もしかしたら今こうやって外国人が私に親切にしてくれているのは、どこか遠くの日本人(先人)が外国人に対して親切にした結果の巡り合わせなのかもしれないと勝手に想像してさらに胸が熱くなった。

そんな妄想を経て無事にエストニアのアパートに入居できた時に、親切に対応してくれた担当者の人には感謝の気持ちをめちゃくちゃ伝えた。

●語学学校

アパートに入居できたその日から語学学校が始まった。いろいろな国籍の人がいる中で日本人は私だけだった。EOP(English only policy)主義の学校ではなかったが、結果的にEOPになり、日本語で助けてもらえる環境ではなかった。
ワークショップの中でクラスメートが積極的に発言している中で私は「綺麗な発音で、正しい文法で発言しなければ、、」という気持ちが先行して、結局あまり発言することができなかった。日本人が私しかいなかったので、クラスメートが日本の文化や日本人に興味を持ってくれても単語でさえうまく伝えることができなかった。この時の経験はとても悔しかったし、自分は何をしに行ったんだろう、情けないなとも思った。

今回の件から得るべき教訓は、話したいことを完璧に用意して、すべての準備が整ってから話し始めるのではなく、たとえ自分の思うような準備ができなくても、まずは話し始めるということだった。
クラスメートの中にも英語をスラスラしゃべる人もいたが、その人も英語を話し始めた当初はゆっくり単語を発していたに違いない。そのスタートラインに私が今、立っただけのことだった。英語を話すための近道や必勝法はなく、もしあるとすればそれは英語で発言する量をこなすということだろう。

語学学校のすべてのカリキュラムが終わった最終日に先生も含め、打ち上げにいった。そこではクラスメートの近時の状況や今後のプランについて語った。その中でトルコ人が私に対して「あなたはなぜエストニアに来たの?日本は経済も発展しているし、仕事もいっぱいあるだろう。わざわざエストニアに来る理由が分からない。」と言った。対して私は「英語を勉強して、仕事を見つけるためだ。日本でも働けるし、外国でも働けるという選択肢を持ちたい。」と答えたが、そのトルコ人にはいまいち伝わりきっていないようだった。

後から考えて、日本のコミュニケーションはハイコンテキスト(暗黙の了解や間接的な表現が多い)である一方で、外国のコミュニケーションはローコンテキスト(直接的で明確であり、情報は明示的)である、と日本で高校の英語教師をやっていた友達から言われた言葉を思い出した。

私は次のことをそのトルコ人に説明する必要があったのかもしれない。
「日本経済は問題に直面している。それはアジアの中で唯一、30年間経済成長をしていないということだ。それはつまり30年間平均賃金が上がっていないことを意味する。ここ最近とくにそれを実感する。円安の影響を受け、日本で買う食料品や家電製品は値上がりしている。皮肉なことに、先進国の中で最新のiPhoneが最も安く買える国は日本であると言われている。結果として、相対的に日本は貧乏になっているのだ。こういう状況を考慮して、日本人が海外に出稼ぎに行くという将来は十分にありえると思う。私はそういった未来に備えて、今英語を勉強して、外国で仕事を見つけることは価値があると思う。」

ただ、文字に起こしてみるとかなり長文である。これだけのメッセージを果たして興味を持って聞いてくれるのだろうか、、、
自分の思っていることや考えをうまく説明できずに悔しい思いをした私は、クラスメートとの打ち上げが終わった夜にオンライン英会話に申し込んだ。

ありがたいことにエストニア人の友達もできたが、英語で毎日のようにコミュニケーションを取ってくれて、さらにフィードバックまでくれるお暇な人はいないだろうと思った。
加えて、お金を払ってサービスに加入することで自分の覚悟も証明したいと思った。

●人間関係

人間関係はというと、ありがたいことに、何人かのエストニア人の友達もできた。それは、私がエストニアの公園でダンボールに英語でメッセージを書いて、3時間ライブ配信をする”ヒッチハイク”ならぬ”ヒッチランゲージ”を行った時にできた友達である。その時にインスタも交換した。

公園でヒッチランゲージをした時の写真

またこれも本当にありがたいことに、エストニア在住の日本人の方々(起業家や国際結婚された方々)ともインスタでやりとりさせてもらっていろいろ情報をいただき、めちゃくちゃ助けてもらった。本当にありがとうございます。これからもたくさん助けていただくことになると思います。。

エストニアは日本人観光客が少ないと先ほど書いたが、私がアパートに入居するまでに滞在したホテルでたまたま日本人の方にお会いした。ありがたいことに向こうから話しかけていただき、一緒にビールを飲んでいるうちに意気投合して彼(人生の先輩ですが、、)とは滞在中に3回も行動を共にさせてもらった。その中で私の考えやプランをいろいろお話しさせてもらった。

彼の最も素敵だったところは、私の考えを一切否定することなく、
「いいね。最高じゃん。それいいと思う。絶対できるでしょ。」と背中を押してくれたところだ。彼にそう言ってもらえて自分の判断、考えにさらに自信を持つことができた。

私はきっと誰かにそう言ってもらいたかったのだと思う。自分の周りに自分と同じようなことをしている人がいないので、不安な気持ちももちろんあった。自分の成長を実感できず、このままでいいのだろうか、自分の判断は正しいのだろうかと悩んでいたところに光を差してくれた。
私も彼のように誰かのためになり、悩んでいる人の背中を押してあげられるようなポジティブな人でありたいと思った。

ここまでダラダラと取りとめもなく自分の感情整理のために書き連ねてきたがもしここまで読んでくださっている方がいれば本当に嬉しいです。ありがとうございます。


●これから

今までと同様に、目標達成に影響を及ぼしうる先行指標を追っていきたいと思います。この目標達成の考え方は、私が尊敬してやまない(株)キーエンスが内定者に課題図書として与えている(らしい)「戦略を、実行できる組織、実行できない組織」を参考にしています。

かなりヘビーな内容なので本要約サイトで内容をさらっとつまむのが良いと思います。

ワーホリの振り返りは私にとって大事なことなのでこれからも定期的にやっていきたいと思います。

✅ワーホリの振り返り
2か月経過した振り返り:本記事
4か月経過した振り返り:こちら
6か月経過した振り返り:こちら
8か月経過した振り返り:こちら
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1年経過した振り返り:こちら

私の自己紹介とエストニアについて簡単に触れた記事はこちら。


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