分母に拘る
私は常日ごろ「分母」という言葉を口にする
みなさんは過去に、もしくは今でも
「質」か「量」かの討論をしたことがあるだろうか
質:1回を丁寧にじっくりと、しっかり時間をかけて行う
量:とにかく数、数、数、やってやってやりまくって学ぶ
質派は、たくさん数をこなしたって意味がない質を上げねば。
量派は、数!数!数!やってけば身に着く!
ざっくりとこういった言い争い
私はこの言い争いが終わることはないと思う
なぜなら十人十色だから、考えは人それぞれ
本日私が書く記事も質派からすれば納得できない話だと思う
そのため量派のひとつの意見として、質派の人は読んでほしい
まず例えとして挙げるのにふさわしいものは
読んでくださる人が一番身近なものを想像していただけるのが一番である
私の場合は読書とnoteが一番身近であるため
この2つを例として考える
①読書
質:私にとって一番好きな本をひたすら読み続けること
量:とにかく冊数を稼ぐこと
私は今年100冊以上の本を読んできたが、私にとってのBibleはない
理由は大きく2つ
その本が本当に私にとって一番良い本なのか比較対象がないこと
その本に本当のことが記載されているかのエビデンスがないこと
そのため私はAという視点から見た世界と
Bという全く違った視点から見た世界を見なければ納得できない
わかりやすい例を挙げるのであれば
教科書を読んでいるように見せかけて内側で漫画を読んでいること
ここでいうAという視点は正面からしか見ておらず
勉強をしていると捉えることしかできない
②note
質:ひとつの記事を集中して時間を掛けて1万字の記事を書く
量:内容は気にせず思ったことを毎日書き続ける
そもそも私がnoteを書き始めた当初は
ここで言う「質」を高める行為自体できなかった
なぜなら経験がなかったから
そして仮に私が本気で1万字の記事を書いたとしても
そもそも私のことを知っている人が少ない
ツイッターと一緒で
私が書いた記事は1日もすればずっと下まで読み込まなければ
出てくることすらない
私は1つの記事を1万字書くことより
10個の記事を1000字で書くことを選んだ
なぜなら多くの人の目に留まるから
そして毎日書いていることで
日に日に自分が書く記事の質が上がっていくことの実感がある
恥ずかしいからあまり勧めないが
私が書き始めた当初の5月頃の記事と
今の記事とでは比べ物にならないくらい成長している
さてここまでは私のとても身近な例えだったが
もっと一般的なことであればどうであろうか
例えば販売営業であれば
1個1万円のものを売る際に1人とじっくり相談し購入するか
1個1万円のものを10人の前でメリットを伝えるか
どちらのほうが良いであろうか
もちろん商材にもよるが
10人と対面できたほうが売れる可能性は10倍である
仮に10人の前で説明が難しいものであっても
1人に1時間かけて商談していたことを30分に縮め
1時間で2人の商談を生んだほうが良いに決まっている
1からは1しか出ないが
2からは1も出る可能性があり2も出る可能性もある
これが100もしくは1000となればどうであろうか
極端な話にはなるが
1万円稼げる人か100万円稼げる人か変わる可能性すらある
だから私は「分母に拘る」
ちなみに有名なyoutuberは毎日動画を投稿している
これも分母稼ぎである
月に1度しか動画を公開しなければ
そもそも世間に知られないはずだ
さて長々と分母について記載をしたが
あくまでもこれは「量派」の意見であるため異論はあるはず
みなさんの意見も聞いてみたい
ではまた明日。
Taku
最後まで読んでくださりありがとうございます。皆様からのお気持ちが私の励みになります。