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大阪三大夏祭り!生國魂祭に来た!

さあ、初めての大阪の夏祭り。
先日、妻と二人で生國魂神社の生國魂祭に行った。
大阪の夏の三大祭りと言われる生國魂祭の渡御行事が見てみたかったのだ。
そもそも、生國魂神社とはどのような神社かというと、大阪市天王寺区のHPでは次のように説明されている。

生國魂神社の祭神は、生國魂神、咲國魂神で、大阪の土地生成の神々を祀っている。もとは上町台地の北端にあったといわれているが、後に豊臣秀吉の大坂城築城の時に現在地に移された。以後、広大な社域と壮麗な建造物を誇り、維新後も官幣大社となる。明治45年の南の大火、昭和20年の戦災で焼失し、現在の建物は昭和31年に再建された。(太字は引用者による)

https://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000343249.html

また、生國魂祭や渡御行事については、大阪ミュージアムのHPによると、次のように説明されている。

夏越しのお祓いに起源をもつ大阪の夏祭りです。その中でも生玉・天満・住吉と続く大阪三大夏祭りのさきがけ「生國魂(いくたま)祭」は、毎年7月11日(宵宮)・12日(本宮)に執り行われます本格的な夏の訪れを告げる大阪の夏の風物詩です。
 「陸の生玉、川の天神」と並び称されるいくたま夏祭は旧社地である大阪城へのお渡りが祭りの中心で、明治より昭和初期の最盛期には奉仕者二千名に迫る大行列でした。(中略)その後戦火により御鳳輦(ごほうれん)を始めとする数々の祭り道具は焼失したが、いまなお世代を超えて多くの浪速っ子に親しまれ、境内だけでも2日間で約20万の人出で賑わいます。
(中略、太字は引用者による)

https://www.osaka-museum.com/event/search/index.html?m=d&id=61&mm=7&fy=&fm=7&fd=&ty=&tm=7&td=&ky=&ar=&ct=&sum=&det=&vi=20&submitflag=1&lw=&w=&c=&d=&ny=2023


大阪歴史博物館の難波宮に関するnoteを書いたときにも、上町台地が重要そうな所だと思ったが、どうやら生國魂神社も上町台地にあったらしい。

大阪城築城の折に現在地に移されたため、その旧社地へとお渡りするというので渡御行事が行われているのだろう。
また、戦火により「御鳳輦」が失われたとあるが、御鳳輦とは何か。
東京国立博物館のHPでは次のように説明されている。

行幸の際、天皇は人が担ぐ輿(こし)型の乗物に乗られました
昔の宮廷では、牛が牽(ひ)く牛車が用いられていたイメージがありますが、そういった動物が牽くような乗物に主上(おかみ)をお乗せ参らすわけにはいかん、という理屈であったようです。
そして天皇の乗物には、鳳輦、葱華輦(そうかれん)、腰輿(ようよ)がありました。そのなかで最も格式が高いのが鳳輦です
屋根の上に皇位を示す鳳凰の像が立っているので、この名前があります。
(太字は引用者による)

https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2022/11/07/150thAnnivSpecialExhibition-3/

天皇のお乗りになられる乗り物だったわけだ。
確かに人が担ぐとなると、輿(こし) のようになるよね。
鳳凰の像が立っていたから「鳳輦」、何かカッコいい。
焼失してしまったようだが、平成26年にお道具類と合わせて、多くの方々のご奉賛により奉製されたらしい。
この事実だけでも、地域の方々の誇りであって愛されていることがよく分かる。


渡御行事、ご奉賛のお願いの立札

前置きが長くなったけれど、このように歴史ある祭は是非とも目にしたいと思って、参上したという訳である。
さて、渡御行事を見にきたものの、午前中にすでにお渡りになったらしく、生國魂神社のあたりに来ても閑散としている。
「あちゃー」と思いながら、まだ準備中の屋台の間を抜けて参道を渡り、境内に向かった。すると、

鳥居に茅の輪

大きな茅の輪が鳥居に結び付けられているではないか。
想像していたより大分大きめだけれど、早速くぐってみる。

茅の輪くぐりについて

そうか、渡御行事もあるけれども、この生國魂祭は「夏越の祓」でもあるのかと。
そう思うと、茅の輪もくぐったし、身が清められた気がする。
お腹が空いてるので、心の中は屋台の食べ物のことで頭が一杯だけれど。

参拝を済ませる。妻も私も健康に過ごせますように。
五時に巡行を終えてお還りになられるということだったので、近くにカフェを探してそこで待機することにした。まだ三時。
でっかい歩道橋を越えて、大通りの向かいに。
何と、生國魂神社の参道?は大通りを跨いでメトロ一駅分くらいはある。
実際参道がそれほど長いのかは分からない。
けれど、屋台は歩道橋を越えても長々と続いている。
おったまげながら、近くにあった「はじかみ」カフェへ。
たぶん山椒の「椒」と漢字では書くらしい。
店の中に「椒」の字が書かれていて、混乱したけどたぶん「はじかみ」=「椒」やろなあと了解。由来が気になる…。
そのカフェは3F部分にあって窓際から歩道橋まで見えるという絶好スポット。
ありがたいわあと思いながらしばし休憩。
妻はすごい。屋台に備えて飲み物だけにしとく、とのこと。
私はその横でパフェ頼んで食べてた。完全に煽ってる。

五時が近づく。向かいのビルから顔出して覗いてるおっちゃん。
遠くでかすかに聞こえてくるお囃子の音。
これは…と思って妻と顔を見合わせ、出発。ごちそうさまでした。
歩道橋、人でごった返し。お祭りやあ〜、とテンション上がる。
歩道橋の下に渡御の列。そうそう、これが見たかった。


渡御の行列。御太刀の提灯?、矢、手前は弓?を持っているのが見える。

渡御の列を追いかけて参道を進む。
中央を行列が進めるように、左右がロープで区切られているので、屋台のすぐそばを、いい匂いを嗅ぎながら追いかける。焼きそばの匂い。時々金魚の匂い。鳥居前でしばし待機。すると、御鳳輦がいらっしゃった!
「お頭を下げてください!」と神官が触れまわり、「ははあ!」と我々も頭を下げる。
頭が高いぞ!控えい!控えい!(そんなこと言っていない)
参勤交代が頭をよぎった。


御鳳輦が到着!


ご立派なお姿

ところで、御鳳輦を持つ人たち、皆さん立派なご衣装に、烏帽子をかぶっていらっしゃる。

立派な衣装を着た人たち

顔を見ると、地域の若者たちだと分かる。
中学生、高校生が多いのだろうか?
まだあどけない顔立ちで、立派な勤めを果たされていて、何とも誇らしい。
彼ら一人一人が地域を支える柱なんだろうなとしみじみ。
参加者には顔や胸の着物から見える部分に印が押されている。
何と書かれているかが分からないが、まじまじとも見られない。
一つ気になったのが、黄色い服を着ている人たちの足元。
草鞋を履いた足が、垂らした藁のようなものに包まれている。

もじゃもじゃしてる

一つ前の写真から判別するに、脚絆のようなものを足に巻いているのだろうか。
よく分からないが、もじゃもじゃしてて少し気になる。

御鳳輦も観察することができた(恐れ多いことをしているのは百も承知です…)。

御鳳輦の上には鳳凰が!ご立派なお姿

何と立派な鳳凰の羽ばたく姿。
そのお顔は凛々しく、赤青緑、原色で表現されている。
少し話は変わるけれども、寺院の四方を守る夜叉たちも、赤や青や緑で彩色されていたようであり、この原色カラーが目を引くものであることは疑いないようだ。
屋根?には菊の御紋が配され、天皇の乗り物だということを思わせる。
香川県立ミュージアムで見たボンボニエールを思い出した。

何と胴体の部分には生國魂神社が!

もう少し視線を下げてみると、そこには荘厳な生國魂神社の姿が!
何とも丁寧な仕上げで、美術品・工芸品としても一際優れたものであるように思う。
数々の飾りや鈴がえもいわれぬ美しさである。エモい。
鈴の音が実際に鳴るわけではないと思うが、これだけの数の鈴を見ていると、否応なく私の頭に鈴のシャン…シャン…という音が響いてくる。
何と幻想的な風景であろうか!
現実の生國魂神社も立派な建物だったが、この幻想的な生国魂神社は神秘的で、迷い込んだ先に突如現れ、私たちを導いてくれるのではないかと思わされた。
妄想がやばい。

思ったより書くことが多いので、前編はここで終えようと思う。
後編では、お祭りの様子や枕太鼓の演奏、獅子舞踊りのことも取り上げてみたい。
こうして書いてみることで、祭に対する理解や整理がかなり捗ったように思う。ご感想や間違いのご指摘などいただければ幸いです。

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