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いい雲が流れている。パステル画を描くようになってから、ずっと空を見てる気がする。
そういえば子供の時から空と雲を眺めるのが好きだった。早く流れる雲が昼間の月や太陽を隠して、またそれが現れるのをずっと見ていた気がする。

テレビをあまり見ない生活だったから、天気も感じるようになった。
雨なのか、曇りなのか、晴れなのか、すぐにわかる。
それぞれ特有の匂いがある。それに、僕は天然パーマだから髪の毛の質感でも天気がわかる。
窓なんか開けなくても、起きた瞬間、天気を感じる。
そういえば、目覚めて最初は天気の確認をしているかもしれない。あまりに無意識すぎて気がつくことができなかった。

こうやって、自然と対話をしていたはずなんだけれど、いつのまにか意識しないと対話もできないようになってしまった。
オフィスのような密室で働くとそうなってしまう。
時々外の日差しにあたりにいく。気分転換のつもりだったけど、多分そうじゃない。
密室、自然と隔離された時間に耐えられないんだろう。
自分の部屋に篭れないのもそういう理由かもしれない。とにかく僕は外に出たがる。
舗装された道を歩き続けても、体がおかしくなる。
土を探して、歩く。

昨日は夜にゲリラ豪雨が降った。ちょうど傘を持ってなかったから、雨に打たれることになったんだけどそれがとても気持ちよかった。
本当は、傘なんて使わないほうが気持ちいい。
雨の降る音は川のようで、生暖かい雨水がどんどん流れて、違う世界にいるみたいだった。
出かける前は雨に濡れられないけど、と思ったけど、それならいつでも雨に濡れてもいいような生活をすればいいだけだ。

「田舎に住みたいのか?」と聞かれた。
正直わからないというか、個人的にはそんな気持ちはないんだけど、僕の行動はそういうものを彷彿とさせるらしい。
人が多い都会は好きだ。すれ違う人とは多分2度と合わないし、みんな自分のことに必死で周りなんか見ていない。
都内に住むと、部屋が狭いのが辛いけれど。
畑で自分の食べ物を育てるなんて楽しいと思う。昔から家の庭で食べ物を育てていた。
チューリップとか、朝顔には申し訳ないけど、食べるものを育てるという感覚の方が好きだ。
そういうことを人に言うと、つまり「田舎暮らし」になってしまう。
東京では、そういったことを叶えられないということになっている。

野良猫に餌をあげてはいけない。病気がうつる。みたいになんとなく先入観としてあった。
けど、東京には野良猫がたくさんいる。
本当はそういう猫ちゃんと触れ合いたい自分と、知識が先行して拒否感を生み出す自分が2人いる。
ペットが買えないのに、野生の人たちとも触れ合えないなんて、なんで拷問なのだろうか。
野良猫に、通りすがりに話しかけるくらいしかできない自分がとても惨めだ。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。