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蔓延しているのはウイルスだけじゃないのかもしれない

精神的な不調を招くのが、コロナウイルスの恐ろしいところだと思う。
自分の中でもネガティブな感情が大きくなっていることを感じている。

体調を崩したときに、ちょっとおかしいな、と思ったときに、「コロナではないのか?」という気持ちになる。
家族がいる人は、尚更気になることだろう。
コロナ対策に考えを巡らせることも多くなっている。
消毒薬やマスクの残量も気になるし、テレビもネットニュースもコロナの話をしているし、味覚に異常がないか・息が苦しくないかもなんとなくきになってしまう。

この「なんとなく気になる」というのが積み重なって、自分の精神を圧迫しているのではないだろうか。
これは、自分の周りの人間もみんな同じだ。みんな押しつぶされそうになっている。

こういうことは、つい先月まで一切考えていなかったと思う。一切考えていなかったのに、これだけの量の情報や思考がコロナに奪われてしまっている。
思考だけではなく、行動も変わっている人がほとんどだろう。

そういう負荷に、人間が耐えられるとは思わない。必ず「平常」に戻ろうとするから、その分の負荷を別の形で発散しようとする。
僕の場合は、日常の乱れと、ネガティブな発言の量に如実に現れている。
普段、そういうものと徹底的に距離を置くように心がけているから、尚更敏感に感じている。

身体的な刺激の減少も、こういう悪い状況を加速させているかもしれない。
僕の場合、休日はカフェで本を読んだりしていたし、サウナにもよく通っていた。
それまで普通にできていたことが急にできなくなり、仮にできたとしても、コロナが影を潜めている。
近所に買い物に行くことでさえ、命がけになっている。

習慣みたいな物を急に辞めると、体に不調が出る。人々は、みなそれぞれ習慣を持っていいると思う。それがもはや本来の状態で遂行することができないのだ。
暗い気持ちが蔓延するのも当然だ。

zoom飲み会も、多分みんな疲れてしまうと思う。「飲み屋」というある種非日常の場に身を置くから魅力的になる部分がある。zoom飲み会は、既存の飲み会を100%代替しているわけではない。
zoom飲み会に適応したり、そこで新たな魅力を発見できることもあると思う。でも、それを通常の「飲み会」の代替物と考えている限り、負荷は減らないと思う。

日常を送るだけなのに、たくさんの負荷とエネルギーを使っている。それに気が付かずに、周りに負のエネルギーを撒き散らしている。
蔓延しているのはウイルスだけじゃないのかもしれない。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。