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3月10日(コミュニケーションの話の続き、ちきりんさんのブログを読んで)

昨日、コミュニケーションについてモヤモヤしていた気持ちをアウトプットしてみたのだけど、ちきりんさんのブログにそんな話があったなぁとおもい読み返してみた。

これと全く同じことをしてしまっていたかなぁと思う。多分、相当生産性よりのコミュニケーションをするタイプが僕で、今の環境は公も私もどちらも摩擦回避のタイプが強いんだなぁと思った。
ここまで結構ストレスというか、なんでうまくいかないかずっと悩んでいたけど、言語化されていると少し心が楽になる。

ただ、この先に少し課題があると思う。
結局、僕が(ここでは僕個人の問題として)どう立ち回っていくかということだ。
生産性重視のコミュニケーションを、どこかで獲得したのか、生まれ持ってそういう方向性になっていたのか、もはやわからない。
ただ、事実として、生産性重視のコミュニケーションが得意で、摩擦回避のコミュニケーションは苦手だ。
そして下記のエントリにもあるように、生産性重視、というか自分の波長にあった前提を持っている人との会話はとても心地が良いことも事実だ。

そうなったときに選択肢としては3つで、
・心地の良い状況を貫く
・状況に応じて、使い分ける
・摩擦回避を優先する
になる。

摩擦回避を優先するのは多分無理だ。完全には摩擦回避タイプの思考がわからないし、論理を考えると、必然的に生産性側によってしまう。
あえて摩擦回避のコミュニケーションをとる、ということも考えられるけど、それはもはや合理の世界の考えなので、摩擦回避というやり方を選択しただけの生産性重視のコミュニケーションになってしまう。

状況に応じて使い分けようという話は、どうだろうか。そもそもそんなに器用にできるんだったら問題になっていないはずだし。
多分これが無難な落とし所なのだろうというのは、よくわかる。せめて公と私の使い分けくらいはできた方がいいのだろうか。

ゼロイチの話になってしまいそうで、少し嫌な感じだけど、完全に振り切って生産性重視のコミュニケーションをすればいいのだろうか。

ここまで考えていて思ったのは、そもそもここまで分解して考えている人が相手だとすれば苦労はないし、多数の人々はこんなこと考えずに無意識に調整したり、そもそも衝突があることすら考えていないのかもしれない。
そうなると、気を揉んでいるのは僕だけになり、つまり僕の課題となりそうだ。

まずは少し、摩擦回避のコミュニケーションの落とし所を探ってみようと思う。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。