近所に飽きてしまう

足を伸ばして遠くに行くことがめっきりなくなってしまった。
旅って、人によっていろいろなニュアンスがあると思うけど、とにかく現実から少し距離を置く行為だと思っている。

僕は、定期的に旅をしたくなる人間だ。
半径1キロくらいのご近所旅から、山手線を半周するくらいの遠出とか、サウナホテルに泊まってみるとか、頻度は種類はそれぞれバラバラだけど毎週末くらいの頻度でしている。

ちょうど、リモートワークの時期だったので、気分転換とか休憩とかで近所に散歩に出ることが多くなった。
毎日通ったとしても、近所にはたくさんの新しい景色があって、そんなに飽きることはないと思っていた。
けど、毎日家にいる生活が続くと、だんだんその景気にも飽きてしまう。
気分転換にはなっても、日常との距離がどんどん近づいてしまう気がする。

家が拠点で、外に出ることが冒険みたいな感覚があったんだけど、家の近所まで拠点であるような感覚に襲われてしまう。
少し遠出がしたい。

今はどこの施設もやっていない時期だからこんなにも窮屈に感じてしまうのだろうか。
少しの遠出を要するのは、髪の毛を切りに行くか、歯医者に行くかとか、それくらいになってしまっている。
でも、せっかく出てきたのに街は活気がないし、刺激になるようなことが少ない。
普段は「人混みは嫌いだ」とか「外灯が明るすぎてしんどい」とか思っていたのに、自分というのはなんてわがままなんだろうか。

刺激が少なすぎてモヤモヤしてしまう。
エネルギーが余っているような気がして、なんとなく外に散歩にばかり出かけてしまう。そして、疲れた感じで帰ってくることになる。
エネルギーの消費の仕方が分からなくなってしまっている。

地方に移住する、みたいな話もよく見かけるようになった。
リモートワークができるなら、別に場所はどこだっていい。でも、移住するほどではなくて、やっぱり東京は便利なので、多拠点の生活がいいのかもしれない。
もっと移動が楽になればいいのにと思う。
でも、移動も移動で楽しい部分もあるから、どこでもドアみたいな移動と、路線バスの旅みたいなのんびりな移動もあってほしい。好きな方が選べたらいいのに。

よくよく考えてみると、地方に行ってもあんまり行動は変わらないかもしれない。
どうせ僕は、散歩して本を読んで、コーヒーを飲んで、文章を書いて、日が沈んだら寝るのだろう。
景色が変わることが大事なのだろうか。それとも旅の本質は移動にあるのだろうか。

phaさんの本にもそんなことが書いてあったし、また読み返してみようか。


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