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【デジタル・ミニマリスト】不要なテクノロジーを手放す哲学

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆

〜スマホに依存する人々〜

以前読んだ「スマホ脳」という本でも語られたように、現代人のスマホ依存は度々問題視される。
街を歩けばみんなスマホを見ている光景は、十数年前までは考えられなかった景色であり、少し俯瞰的に見てみればやはり奇妙な光景である。

スマホ依存、というとアルコールや薬物の依存と同じように聞こえて、やや大袈裟な表現にも感じるが、本書によると依存症とは、

有害な結果が生じるにも関わらず、その報酬効果が強迫的誘因となって特定の物質の使用や行為を繰り返す状態

を指す。

アルコールや薬物に比べて、"軽度"な依存であるものの"軽度"であるが故に世間的には重要視されていないのだろう。
しかし、スマホを家に忘れただけで、一日中落ち着かない気持ちになってしまう、なんて人は少なくないはずだ。その人は立派にスマホ依存だ。

では、依存症の定義における「有害な結果」とは何なのだろうか?
それはズバリ、集中力と時間、そして有意義な社交が奪われていることだ。

「スマホ脳」にもあったように、目の前の人と話をしていても、何か作業をしていても、常にスマホを気にしてしまう人は多い。
そして、自分達は意外なほど一日の多くをスマホを見る時間に充てている。

科学的なエビデンスはまだ多くは無いものの、ほとんどの人が、スマホに色々なものを奪われている自覚はあるはずだ。

本書はスマホ依存の正体を明らかにしながら、スマホ依存から脱して「デジタル・ミニマリスト」となるための手引きを演習を交えながら解説している。
自分の魂がスマホに吸い取られているのでは?と、少しでも感じる人は是非本書を手に取ってみると良い。


〜スマホを捨てろ、というわけではない〜

さて、本書は別に「スマホなんか使うな!」という事を言っているわけでは無いし、アンチ・テクノロジーを謳っているわけでもない。

著者はスマホの便利さやテクノロジーが人々にもたらす恩恵を認めている。
その上で「デジタル・ミニマリスト」という言葉を以下のように定義する。

自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学。

つまりは「自分にとって必要なテクノロジーだけを厳選して、不必要にスマホを使わないようにする」ということだ。
Googleマップは、はじめての場所に行くためには必要なツールだ。
メッセンジャーなどの機能は、仕事で必ず必要とする人もいるだろう。
そういった、有用なテクノロジーだけを厳選し、フェイスブックやInstagramで「いいね」を気にするような事はやめよう、という事である。
そう考えると、「デジタル・ミニマリスト」という哲学がそう過激なものではない事がわかるだろう。
そういう意味でも安心して読んでいただきたい。


〜「デジタル・ミニマリスト」になってよかったこと〜

さて、最後に僕の事についてお話ししたい。

実は僕はこの本を読む前から、少しではあるが「デジタル・ミニマリスト」を実践している。そして、その恩恵をかなり受けている。

動機は、SNSを通して実生活に大きな不利益を被った事がきっかけなのだが、そこからTwitterとInstagramのアカウントを削除し、スマホからアプリを消した。Facebookはメッセンジャーでしか連絡が取れない友人がいたので残したが、投稿したり「いいね」を押したりはしなくなった。

実践前までの僕は、常にスマホを見てSNSを流し読みしていたほど依存していた。しかし、SNSを手放したことでかなり時間ができた事に気づいたのだ。読書習慣が再開したのも、SNSを手放した事がきっかけである。家族との会話が増えたのも実感している。

さらに、SNSで不要な繋がりを削除した事で、薄いつながりの知り合いを追いかけるストレスも無くなり、人間関係もスッキリした。
なぜ、こんなにも薄い繋がり(フォロワー)を大事にしていたのだろうかと気づく事もできた。

本書ほど徹底した「デジタル・ミニマリスト」ではないが、SNSを手放しただけで充分有意義な生活を取り戻せた実感がある。
(まあ、TwitterとInstagramとFacebookを手放した代わりに、このnoteを始めたのはなんとなく矛盾しているが…笑)

「デジタル・ミニマリスト」という生き方は、かなり人生にとって有意義だと感じている。
多くの人にすすめたい生き方である。

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