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#4 いずれ終わる精神

『それ、明日には終わってるよ。』

どーん。第2回テーマも、私のスタンスを紹介します。一話完結。

上にいきなり書いたものが、今回伝えたいメッセージというか、日常の些細なことでも、一大イベントの時でも、私を助けてくれる考え方です。同じように考えている人もいると思いますが、私は経験から自分で編み出したので、こう名付けてます。ズバリ「いずれ終わる精神」。いつもありがとう。

さっそく、どういうことなのかを説明していこう。どんな経験からこの考えに辿り着いたのかを知ってもらえれば、自然と理解していただけるだろう。


時は私の小学校時代に遡る。当時の私が嫌いだったこと。それは、「発表」である。注目を浴びるのが恥ずかしかったし、周囲に自分の考えが幼く思われないか、見当違いだと馬鹿にされないか、そうやって周りの目を気にしすぎる性格だったのだ(今も引きずっているが)。

そんな私にとって、最も嫌いな一大イベントは、「部活の慰労会」であった。大会後や先輩の引退に合わせて開催されるアレである。この場では必ず、生徒がずらりとステージに並び、一人ひとりが感想だの抱負だのを言わなくてはならない慣例があった。周囲の目の中に、教室にはいない保護者や先輩・後輩が加わるというのが、このイベントの最大の難点である。

では休んでしまえばよかったのでは、という声が聞こえてきそうだが、周囲の目を気にする私にそんなことはできまい。ずる休みなんぞ。如何せん、根っからの真面目なのだ。というわけで、私はいくら嫌だと思っても、その「儀式」に参加せざるを得なかった。そのイベントは、回避不可能だったのだ。

しかしこの回避不可能な状況こそ、私を「いずれ終わる精神」へと導いてくれた張本人であった。

どうしても回避できないのなら、やり過ごすしかないのだ。至極当然のことではあるが、それしかない。
そこで、やり過ごそう、終えてしまおう、と考え始めた私の意識は、自然と未来へと向いた。やり過ごそう、終えよう、終えたら食べるだけ、友達と話す、先生が歌うかも、最後は一本締めとか、そしたら家に帰れる、いつもより帰るのが遅くなる、明日起きれるかな、ああ明日は休みか、、、

「!?」

そう。私は、今の憂鬱から解放された自分の姿を、明日に発見したのだ。
先へ先へと意識を飛ばしている内に、今の不安や心配を全く感じず、普段通りに生活しているであろう明日の自分の存在に気付いたのである。これも本当に当たり前なことなのだが、幼いながら本当に悩まされていた私にとっては、まさに「世紀の大発見」であり、「救世主」であり、「Eureka!*¹」という気持ちであった。だって、どんなに嫌なことがあっても「明日になれば終わってるよ」なんて、誰も教えてくれなかった。「頑張ろう、周りはそんなに気にしてないよ」という言葉も、確かに何度も私を救ってくれた。しかし、真に気にしているのは私自身であったのだ。つまり、そんな「今の私」を気にする自分自身の意識を未来へと向かせることで、根本から解決に導いてくれる考えが、「いずれ終わる精神」だったというわけだ。

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さて、この考えの発見のプロセスと私にとっての偉大さを、大体は理解して頂いただろうか。あとは実用例を紹介して、この回を終わりにしたい。
大きなイベントについては上で既に紹介してあるから、ここでは日常的な些細なことへの実用例を示そう。

まずは「お皿洗い」である。拍子抜けかもしれないが、食洗器がなく、かつ我が家のように洗い場が狭いキッチンでは、何回にも分けて洗って流してを繰り返さなければならず面倒だ。しかし、嫌ではないし、一日でも溜めはしない。なぜなら、やり始めれば「いずれ終わる」からである。特にこんな些細なことであれば、5分、遅くとも10分後には私は、机で真面目に本を読んでいるかもしれないし、ベッドに寝そべってYou tubeを見ているかもしれない。

もちろん、今でも毎日こう考えてなんとか頑張ろうと思っているわけではない。普段から少し面倒くさそうなことに対してこの対処法を使っている内に、自然と気にしないようになったのである。

また、この考えにはこんなプラス効果もある。
食器洗い後に油のハネを発見したとしよう。今やるのは面倒だなと悩んでから始めた時というのは、そんなことを考えていなければ油汚れ用シートを用意し終えていた頃かもしれない。つまり、日常的な些細なことに対してこの精神をもって取り組むことで、いずれそれが無意識にできるようになり、生活の中での時間ロスもなくせるのだ。些細なことにおいても良いこと尽くしなのである。

このことが、「掃除をする」、「洗濯物をかける・畳む・しまう」、「ちょっとした列に並ぶ」、「頼まれて何かを取ってくる」といった他のことにも通じる話だというのは詳しく言うまでもない。日常生活全般に活かせることであり、できればこういったあらゆることに意欲的に活かしていくべきことなのだ。

最後に、ちょっとした注意を。
まずは「明日」について。これは上のお皿洗いの例のように「5分後」にもなりえるし、「1週間後」にも「3年後」にもなりえる。3年といったら長すぎてやってられないという人もいそうだが、受験勉強とか、たまに3年かかってしまうものも出てくるのだ。しかしあんなに長かった受験生としての3年間も、今となれば一瞬であり、たくさんの学びを得た、凝縮された時間であった。

ここでもまた「終わったからそう思えるんでしょ!」と突っ込んでくれる方、まさにその通りである。この精神は、そのような、「もうその出来事を終えた自分」を想像(創造)するところに意味があるのだから。

今思えば、これもひとつ、私が「コントロール」できる強みかもしれない。



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ここまで読んで頂き、ありがとうございました。しばしば疑問符が浮かぶこともあったと思いますが、いかがだったでしょうか。

この人生、本当に濃いです。濃ゆいです。その中で起こる本当に様々なイベントは、全て自分が望むものとは限りません。むしろその逆で、望まないこと、しかし避けられずやらなければならないこと、受容しなければならないことが大多数を占めます。もしかしたら病気のような、健康あるいは生死に関わるものが待ち構えているかもしれません。でもそれも、難しいことは重々承知ですが、受け入れるしかないのです。

そんな人生を生きていく上で、重大かつ不可避のイベントから今回書いた些細なことまで、うまく受容しやり過ごす手段を持っていることは、自分にとって大きな武器になります。このお話をきっかけに、小学校時代の私のように、何か皆さん自身に合った手段を見つけてくれたら嬉しいです。🐙


*¹Eureka!・・・エウレカ!
 発見や発明の喜びを表現する、ギリシャ語に由来する感嘆詞。

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