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【短編小説】車窓

 ガタンゴトンと一定のリズムを刻む電車に揺られ、どれくらい経つだろうか。車窓から見える景色は、変わり映えのない無数のビル群。私は二人掛けの席の窓際に座り、傍らに荷物を置いていた。荷物といっても大したものではない。サラリーマンなら誰でも持っている極々普通のカバンだ。
 乗客は私以外にいない。酔っ払いも喚く子ども、誰も……。
 ああ、雑音がなくていい。

 私は窓辺の出っ張りに肘をかけて、流れる景色をぼんやりと眺めていた。何を考えるでもなく、灰色だけがただただ続く光景を、何の感慨もなくジッと……。
「乗車券を拝見します」
 車掌がきた。私は内ポケットに入れていた切符をとりだしてみせた。カチャリと無機質な音と共に、空色の切符に薄紅の日付が押印される。
「?」
 おいおい、いくらなんでもインクが薄すぎやしないか? かすれてさっぱり分からないじゃないか。それにこの切符もそうだ……。
 手に持つ空色の切符に印刷された文字は異様に薄く、どこの駅なのか読むのも困難だ。
(漢字である事は分かるが……)
 フッと思わず笑みがこぼれた。

 再び車窓に目をやると、住宅街の向こうにだだっ広い黄金色の田んぼが広がっているのが見えた。もうすぐ収穫の時期だろう。稲穂が重そうに頭(こうべ)を垂れている。
「……」
 ふと、妻の事を思い出した。
 今頃家で何をしているだろうか? 私の帰りを待ってるだろうか?
(いや……。そんな事、もはや考えてはいないだろう)
 考えない事が日常の一部になってしまったから。私が帰る時間にでもならない限り、きっとそんな事は考えない。思い出しすらしない……。
(下らないワイドショーでも見てるさ)
 私はまたフッと笑って、手元の空色の切符を見た。
「……」
 なんて書いてあるのだろうか? 漢字には間違いないのだろうが、どうしても読めない。私は切符を縦にしたり横にしたりして、何とか読み取ろうとした。だが、やはりどうしても読みとれない。
 私は諦めて再び車窓に目をやった。瞬間、電車は真っ暗なトンネルに入った。耳に軽い圧迫感を覚える。――気圧のせいだ。私は鼻の奥から空気を押しやった。

 電車の小気味良いリズムと揺れが続く――。
 眠気を誘う良い睡眠導入剤だ。私はウトウトとする頭で、何の脈絡もなくほんの数十分前の事を思い出していた。
(……会社の外回りをしていたんだっけ……。それから……)
 それから、なぜか気付いたら電車に乗っていた……。
 どこか遠くへ行きたい。誰も自分を知らない、そんな場所へ行きたい……。
 そう思っていた矢先、目に飛び込んできたのが見たこともない無人駅だった――。
(そうだ、それから私はかれるように駅に足を踏み入れ……)
 我知らず切符を買っていた。行き先など見ず、とりあえず一番高い切符を――。
 三度みたび、空色の切符に目をやる。やはり文字は読み取れない。
「……」
 真っ黒な車窓に視線を移す――。
(生気のない顔……)
 自嘲気味の笑顔が窓に映った。
 トンネルは長く、自分とのにらめっこはまだ終わりそうにない。

 トンネルを抜け、一瞬視界が白くなる。
「……!」
 晴れた視界に花畑が写し出された。見たこともないくらい広い敷地に赤や黄色、オレンジや紫と、何種類もの花々がユラユラと風に揺れている。そして、空は手に持つ切符と同じ色……。

 私はポツリと呟いた。
「キレイだ……」
 そこでハッと気が付いた。自分の中に、まだこんなに飾り気のない単純な、そして素直な気持ちが残っていた事に。
 自らの言葉に、心が洗われるような気持ちだった。
 こんな気持ちはいつ以来だろうか……。
 私はとめどなく涙を流し、嗚咽した。

 電車はガタンゴトンと一定のリズムを刻む。男一人を乗せたまま……。


あとがき
私が書いた最初期の作品。稚拙な文章はご愛嬌。
人は変化を嫌う生き物らしいです。かく言う自分もそう。変わるって怖いもん。「嫌われるんじゃないか」、「受け入れられないんじゃないか」、「馬鹿にされるんじゃないか」って。でもそうじゃないのよね……って最近気づきました。受け入れ『られない』じゃなくて、受け入れ『る』。自分が主体にならなくちゃいけなかったのよね。視点が変わると見方も変わる。かもね。

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