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【日記エッセイ】「以前は家族だった僕ら」

僕は大学の就職活動の期間、就活を一切しなかった、いや、出来なかったと言った方が相応しいか。これに関しては様々な理由があると今でも思うが、誰かの言葉を身体に入れ過ぎた事が要因の1つなのかも知れないと思っている。

僕は社会やら労働やらを頭で考えながら、社会人となった先輩達の声、地元で働いている友人達の声、家族や身近な人達の生活に対しての声、バイトで出会った人達の業務への声、そのひとつひとつの声を聴いていた。将来と仕事のことを不安がる言葉は僕の身体に入っていた。

身体に声が入った結果、僕はどこか違和感を感じた、おかしいと思った、社会というか、この現状に、だから何もしなかった、本当はみんなが何もしなければすぐにでも変わるのにと思っていた。そんなことは伝わらないと思っていたし、伝えてもなかった。だから僕は、僕の個人的な基準で意地を張った。モラトリアムと言われれば話はそれで終わってしまう。もう少し聞いて欲しい。

就活を一切しない僕に、両親は「じぁどうするのよ?」と何度も言ってきた。

僕は「何もしない、考えさせてくれ」と言い張った。

すると「そんなこと言ってたら、ホームレスの人と変わらないじゃない」と言われた。

その言葉を聴いて僕は気が狂ったように「じぁホームレスでいい」と叫んだ。

両親が「ホームレスになるなんて子供が親に言うな、お前は口だけでふざけたこと言ってるだけなんだよ」と言われた。

僕はホームレスの何がダメなのかが本当にわからなかった、なんでホームレスがダメになんだよ、その前にさ、まずその認識、その認識の全てが、その認識そのものが嫌なんだよ、おかしいと言ってんだよと思った。

僕はものすごく頭でっかちなことを言っている、現実を置き去りにした言葉に操られるように喋っていた。

「何が悪いの?悪いってなんだよ、お前らが悪いって言うから悪いんだろ?意味わかんない、それが意味わかんないから、わかんないから何もしたくないんだよ」

「でもな、大雅な、そんなことはこの先通用せんぞ、それでも生きていくにはな、やらないといけないことがあるんや、社会を舐め過ぎや」

「けどそうやって、そんなこと言って、結局、みんながその認識の中で、そこでそうやってるから変わんないんやろ、ちょっとおかしいって思ってるくせに、生きるとか社会とかがこういうもんだからって言って、それをみんながずっとなんだかんだ続けてきたからこうなってるんだろ、だから、僕はお前らが憎くて仕方ない、なんの話も聞きたくない、お前らと僕は違う、お前らはそうやって何もしてこなかっただけやろ、のくせに、僕のこと解ろうとするな、僕はホームレスになってもいいよ、何がダメなんだ、うるさいんだよ、考えさせてくれって言ったんだよ、意味わかんないから、おかしいと思ってるから、それだけなんだよ、お前らのその考えがわかんないんだよ」

僕は泣きながら叫んだ。

お父さんとお母さんは僕が2人を『お前』呼ばわりしたことに本当に衝撃を受けていて、お母さんは泣いていた。

『お前』って言葉はこれまでを否定する言葉だったと思う。僕たち家族はどこまでいっても他人であることを『お前』という言葉が炙り出した。そこにはもう以前の家族はなく、50代の男と40代の女と20代の男がいるだけになってしまった。その各々が単に近くにいるだけの存在になった時、以前の家族が懐かしく、眩しく感じられ、悲しくて泣くより、その以前を慈しむように泣いた。

その各々の存在は交わることなく、僕は家を出て住所不定のニートになる。

僕が叫んだ誰かの言葉は一体誰だったのだろうか。誰かはおらず、言葉そのものだとしたら、僕は言葉それ自体に踊らされた哀れな子供だったのだろうか。

あれから2年ほど経った。

僕自身にも変化があり、単に各々になった家族だったものは、以前とは異なる形で再び関係を築こうとしている。少しずつ歩み寄っている最中である。そこには以前とは異なる逞しさや強さがあった。

全てがただそこにあるだけの関係になったとしても、再び何かになろうとすること、以前とは異なる家族に向かうこと。諦めや放棄ではなく、崩壊の後の創造を。涙の後の笑い話へと。

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