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【日記エッセイ】「居場所造りボランティア 帰る場所と動き 2020-07-15」

ここの居場所ボランティアは、小学生と中高生で部屋が別れている。基本的に小学6年生までが小学生の部屋にいて、中学生になると中高生の部屋にいる。けど、何人かの子供は、馴染み深い小学生の方から急に雰囲気が違う中高生の方に行きたがらない。ずっと小学の部屋でみんなをまとめていたスーちゃんは、中学3年生になっても中高生の方にはあまり行かず、小学生の方にいた。スーちゃんの話は以下から読めます。

スーちゃんは小学生の部屋で夜ご飯を食べようとしていた。すると、高田さんが中学生は中高生の部屋で食べなさいと言った。それに便乗して何人かの小学生がスーちゃんに、あーだこうだと言っている。スーちゃんは言い返すわけでもなく、センターから出て行った。

人は決められた分類をあっさり守り、分類しづらいものを簡単に咎める。

スーちゃんは公園のベンチでポツンと座っていた。それに気づいた僕は、何か吸い寄せられるようにスーちゃんのところに向かう。スーちゃんに、「どっちの部屋で食べるの?小学生?中高生?」と問いかけた。スーちゃんは宙に浮いたような寂しそうな声で、「どっちでもいい」と言った。スーちゃんは本当にあらゆることがどっちでもいいと言う感じだった。さらっとしていて掴みどころがなかった。

「今日はアキちゃんも小学生の方で食べるらしいし、小学生の方で食べたら?」と言うと、「じゃそうする」と素っ気ない返事が返ってきた。しかし、みんながまた、とやかく言って、スーちゃんは中高生の部屋で食べることになった。分類通りの場所に帰ったわけだが、いつだってそこが帰るべき場所ということではない。スーちゃんが、ほっとひと休みしてご飯を食べれる場所が帰る場所だ。周りが決めた場所だけが場所じゃない。そんなことを考えると、ふと、僕もどこに帰ったらいいかわからなくなって怖くなった。

スーちゃんの力になれるのかという、考えるだけ難しくなるようなことを考えるか迷う。歴然とある不平等を前に縮こまりそうになる。けどいつだって、縮こまる僕を前に動き出すのが、ここの子供たちじゃないか。動き出して動きになれ、ただの動きになればいい。

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