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【読書感想】津村記久子『まともな家の子供はいない』

2020/05/24 読了。

津村記久子『まともな家の子供はいない』

中学3年生のセキコは家庭に居場所を見つけられず、街を放浪している。季節は真夏。夏休みの昼間、セキコは図書館と親友の家と公園を渡り歩く。

セキコは、仕事を辞め公団住宅の自宅でワイドショーに悪態をついたり、昼日中からゲームに興じる父親を疎ましく思っている。父親と接点を持ちたくなさすぎて、家の中に居られない。でも、夜はちゃんと帰るし、不登校になっている男子中学生のお宅にお邪魔した時も上がり框から上がらない慎重さもある。ただもう絶望的なまでに父親が嫌いすぎる。

私も剣山が服を着て歩いているような中学生だったから、セキコの気持ちは痛いほどわかった。残念ながら、セキコの親の方が年が近くなってしまったので、娘の日記を読んでいるような気持ちにもなり、申し訳なくも思った。 

「お父さんが働かないことが恥ずかしい。言い訳ばかりで恥ずかしい。センスもクソもないゴミみたいなギャグが恥ずかしい。(中略)いつもそういうことについて、わたしだけが怒っていて、事を荒立てて馬鹿じゃないのって、そういう目で、お母さんや妹があたしを見ることが恥ずかしい。すごいまぬけになったような気分になる」

同じもの食べて、同じトイレ使って、同じ価値観を共有して、なんの疑問も違和感も持っていなかった家族から、少しずつ離れて戻れなくなってしまう思春期。厄介な自意識な芽生え。大人になっていく途中は寂しい。私が中高生の時にこの小説を読んだら、「こんな風に思っていいんだ」とホッとすると思う。

ラストで、セキコの乱心は一応決着する。この着地が本当に好き。口は悪いけどセキコは優しい子なんだよなあ、とニヤニヤしたりした。





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