見出し画像

認識が固定化する前には仮説の段階を通過している

しばらく先入観シリーズです。

先入観と呼ばれるような認識が生まれる前にも、実は「仮説の段階」は経ているはずなんですよね。

どれぐらいのスピードで仮説を経過したかはテーマによって異なるでしょうが、仮説を経ているのは変わらないはず。

だから、その段階まで「戻る」のが解きほぐしなんでしょうね。「3歩進んで2歩下がる」とは言いますが、コレと似たようなことをする感覚です。

「認識がない」状態まで戻ることは、まぁ無理でしょう。「無かったことにしてくれ」なんて言われても、記憶自体を消し去ることができるわけでもない。

ならば自分の中でどんな状態を「認識が解きほぐされた」と捉えるのか。僕の場合は「認識が仮説に戻った状態」と言えるのです。前回までは「仮説化」と表現していましたが、時系列考えると「仮説戻し」と表現した方が適切な気もしますね。

仮説で留めておく感覚って、土台が揺らいでいるような状態なのですごく不安定なんですよね。ともすれば土台を固めたくなる、一つの答えが揺らいだなら別の答えを見つけ出したくなる。

そこをグッとこらえて、不安定な状態に留まる度胸が「仮説戻し」には必要だと思います。揺らいでも結論を即座に求めない態度ですね。

いただいたサポートは探究したいテーマの書籍代等として使わせていただきます☺️