19事業妄想

【事業妄想】事業で社会と繋がる/大学に代わる新たな学びと実践の場

事業妄想とは事業構想にも至らないホヤホヤした妄想です。アウトプットすることで自分の考え方を整理する、あるいは誰かの発想の呼び水になることを期待しています。

世の中は課題だらけです。しかし、私は課題に対して常に前向きでありたいと思っています。具体的には課題を課題として受け止めて終わるだけではなく、常に「解決策」を考える自分でありたい。でなければ、私は社会に存在する課題の奔流に飲み込まれてしまう。課題に対して前向きである自分でありたいのです。

佐宗邦威さんの著書タイトルでもある「ひとりの妄想で未来は変わる」という言葉を私は信じています。未だ何かを成し遂げたとは言い難い私ですが、この言葉を信じています。だから、とある課題に対する私の「いまは妄想」にお付き合いください。

私が妄想する事業は、既存の大学などに代わる学びと実践の機会を提供する「意志を知り、意志を育て、意志の実現に向けた実践を、学びとビジネスの両輪で回転させていく場」です。


ビジネスとの断絶が過ぎる教育に対する不満


特に多くの若者にとってビジネスの世界に出る直前である「大学」周辺を中心に考えています。

学問とビジネスの間に存在する距離・断絶といったテーマは多くの人が問題提起していますが、劇的にその関係性を変えるような取組は未だ無いのではないでしょうか。

あったとしても、ゼミの活動で実社会のなかに落とし込む研究をするとか、企業と共同で何かをするか、といったことが現在の学問とビジネスの結び付け方です。それが意味を成さないとまでは言いませんが、根本的にもっと学問とビジネスは連携し合ったものでなければいけないのではないかという課題意識があるのです。


ビジネスと繋がらないまま突然はじまる就職活動


一般的に大学生の一定時期になると就職活動がはじまります。個人個人でスタートのタイミングに差異はあれど、学生たちは自己分析や業界研究やらインターンシップやら、いわゆる就職活動のレールに乗り始めます。

しかし、普段学んでいることの主軸はほとんどこれらとは関係がない学問です。もちろん、選択する講義の一環で「キャリアデザイン」みたいなことを学んだりすることもありますが自己の学びにおける本流ではありません。そして、実際の就職先は学んでいたこととは、まったく地続きになっていない職種・業種ということも多々あります。

私は、この周辺テーマで頻出である2つの言葉に違和感を覚えています。それは「就職」と「社会人」という言葉。本当、この界隈で頻出の語句ですよね。

そもそも「就職」という言葉自体をもうヤメた方がよいと思います。「職」とはそのビジネスが提供する価値に対する役割であって、その役割そのものが自らの目的になるケースは少ないでしょう。(「プロ野球選手」などは例外ですが)

それよりも「就志」であってほしい。自らの志を叶える職種は何なのか、自らの志を預けるに相応しい器としての企業はどこなのか、そんなマインドが理想的ではないでしょうか。

しかし、言葉から入るイメージは強いので、就職という言葉を使っている限りこの現状は変わらない気がします。とは言え、就志では圧倒的に語呂の悪さが目立ちますので何か違う言葉もほしいところ。

「社会人」という言葉も同様です。ビジネスパーソンという意味でこの言葉は使われていますが、そもそも社会と関わっているのは学生もビジネスパーソンも同じでしょう。

ならば何故ビジネスパーソンという意味合いで社会人という言葉を使うのか、それは学生を社会と断絶した存在と見なしているからに他ならないと感じます。この言葉はある意味「学びの場」と「ビジネス」を断絶させている象徴のようにも感じます。

自分が成長していく過程で進学・就職する現在のレールに乗らざるを得ないことに漠然とした不安を感じている。「やりたいことがわからない」なんて言っている間に気付けば就職活動の時期がやってきてしまい、気付けばその波に乗っている。そんな中高生・大学生も多いのではないでしょうか。


学びとビジネスを繋ぐ場のアイデア


と、つらつら課題意識ばっかり並べ立てて、いつまでも本題に入らないので飽きてしまったかもしれません。いや、飽きた方はすでにどこか別のページに飛んでいるか、、、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。引き続きお付き合いくださいませ。

私の妄想の主軸は「ビジネスの実践と結びついた学びの場」をつくりたい、ということです。

このフレーズだけだと「ありがち感」が漂っていますね。実際どんなもんでしょう、ビジネスの実践と結びついた学びの場の数とは。実際のビジネスに参加しながら学ぶみたいなコンセプトの場は既に存在するでしょうが、それでは職業訓練校と変わりはないと思います。あるいは事業の実践を謳っておきながら実態はスタッフレベル、アルバイトレベルの関与しか出来ない場もありそうです。そんな場は作っても意味が無い。

だから、私がイメージする場は「意志を知り、意志を育て、意志の実現に向けた実践を、学びとビジネスの両輪で回転させていく場」なのです。

この場を現在は「大学に代わる場所」という位置づけでイメージしています。大学と同じ4年という期間に拘る必要はありませんが、仮に同じ年数で実践するとすれば間違いなく既存の教育機関より「自らの意志」と「現実のビジネス」をクロスさせることのできる人が育つことでしょう。

決して「起業塾」のようなものでもありません、ましてや「就職塾」でもありません。「企業」も「就職」も目的ではなく手段でしかないからです。


学生が納める学費の使い方


学ぶ側にとっての「学費」と、場を運営するための「予算」という観点から考えてみましょう。

私大文系で入学から卒業までにかかる学費は約400万円、理系であれば500万円以上といったところです。仮にその400万をそのまま新たな学びと実践の場に投入するのであれば、200万が学びのための予算、もう200万を実践(事業)のための予算に予め分配するのです。

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例えば大学と同じ4年という期間をこの場に対して費やすのであれば、前半の2年で最初の予算200万を使って学びを深め、後半の2年で残りの200万を元手にビジネスを実践するのです。

学費の400万をそのまますべて学びに充当するのではなく、そのうちの半分は事業用予算として担保しておいて、ビジネスを実践する原資にするのです。同じ400万をかけるにしても、既存の大学とは一線を画す学びを得られるのではないでしょうか。

自分一人で株式会社を立ち上げるなら、その200万が資本金です。複数人で同じ志を抱きビジネスを立ち上げるなら原資が増えます。仮にその場に所属する先輩が既に立ち上げた組織があり、共感してジョインする場合でも必ず資本参加するというルールを作るのです。

この場で実践するビジネスは、基本的に自らが「経営層」となって活動することをイメージしています。が、必ずしも言いだしっぺが経営者である必要はなく、志に共感する仲間がいれば、それぞれで役割を分担すればよいのです。CEO、COO、CTO、CFO、CDO・・・担うべき役割は多々あります。しかし、一従業員として参画するのではなく自らの資本で経営に参画することが肝です。

もちろん、組織体として株式会社だけをイメージしているわけではありません。事業の方向性によってはNPOのような形態を採った方がよいこともあるでしょう。それも、どんな志を抱くかによって選択することです。

最終的にこの場を卒業するとなったときに、その事業を継続するか他社にジョインするかは本人の選択に委ねられます。他社にジョインする場合でも事業組織を休眠状態にするか清算して出資を返還するのかも、その事業の経営状態によりますが自由ということです。


場が自走するための収益源


一般的な大学を運営するための予算はその半分以上が学費です。独自に事業を展開し収益を多くの大学があげていますが、その予算に対する比率は多くないはずです。この点については財務諸表を公開している大学の収入科目を見ればイメージできます。あとは補助金の比率がイメージ以上に私大であっても大きいな、という点は個人的な感想です。

私は、補助金の類は一切受け取ってはいけないとも感じています。補助金は一度受け取ってしまうと沼です。補助金を受け取ることが目的化してしまうと組織の存在意義が無くなるでしょう。

では、何をもって組織を自走させるための収益減とするのか。

学費の考え方でも述べたとおり、学生から納付される学費の半分は学びに対する予算に充当します。しかし、それだけで運営を考えているわけではありません。できる限り事業予算のうち学費が占める割合と場として行う事業の収益が占める割合を適切なバランスで保とうとすることが組織の持続性と発展性に繋がると感じています。

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例えば、学生が立ち上げたビジネスプランのなかに有望なモノがあれば、そこに投資するVC的な役割もできるはず。もちろん、この場合はそのビジネスそのものが上場を目指すような形態であって、スモールなビジネスではない場合をイメージしています。事業が成長して上場する場合には、当然組織は投資額に応じた利益を得られるわけです。

しかし、スモールなビジネスの場合でも、この学びと実践の場の施設活用やノウハウ提供に対する対価を求めていくこともできるでしょうし、あるいは売上に対するマージン設定というルールがあってもよいでしょう。

また、このような組織・場を実現できれば自主事業を実践することも可能でしょう。そもそもこの学びと実践の場は学校法人格を取得することなどまったく念頭に置いていません。自走するための売上は自らの手で切り拓いていくのです。それを実践してもよい器にすべきです。


比較的スモールに始めることができるビジネスモデルになる可能性


日本全国で10人この場で学びたいという人が集まれば、その10人が仮に総額400万を投入することができるのであれば、それだけで事業予算は4000万にのぼります。ここから、学びに対して2000万、学生が実践する事業に対して2000万を投入することができるわけです。

10人の学びに対して2000万、それなりの講師・メンターを呼ぶこともできそうではないでしょうか。もちろん設備もろもろ諸経費・初期投資もかかりますが、自主事業がカタチになるまでの期間を副業的に、あるいはどこかの企業がサブビジネス的に実践することもできるのではないでしょうか。


何を学び、何を実践することが最適なのか


「意志を知り、意志を育て、意志の実現に向けた実践を、学びとビジネスの両輪で回転させていく場」と私はこの場をイメージしました。では、そのために何を学ぶべきなのか。

大学と同じ4年間と仮に考えると、大きく分けて前半の2年は学びを中心にした期間、後半の2年は実践を中心にした期間と考えています。もちろん、どちらかだけに偏ることはないでしょうが、実践一辺倒で成立するとも考えてはいません。

よって、最初の一年は「意志を知る」、次の一年は「意志を育てる」、以降は「実践する」というプロセスとイメージしています。

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自らの意志を知るために知るべきこと


私は「意志を知る」ためには土台になる知識が必要だと感じています。

私たちは幼少期~高校生・大学生といった成長の過程で「〇〇になりたい」「〇〇をしてみたい」という欲求を抱きます。あるいは「〇〇が得意」「〇〇が好き」という得手不得手と好き嫌いも体感的に獲得します。しかし、これらはあくまで自分が見聞きしたもの・経験したものの範囲のなかから生まれてくるものです。

例えば「将来〇〇になりたい」「こんなビジネスを起こしたい」という欲求は自分の知識・経験の中から生まれます。一方、この世界に存在するビジネスや職業は星の数ほど存在しますが、その全ての存在を知ることなど出来るはずもありません。つまり、自分の知識・経験「だけ」が判断基準となって憧れや欲求が生み出されています。

だから、知らなければならないのです。この地球上にはどんなビジネスが存在するのか、そこにはどんな関わり方(職種)が存在するのか、世の中にはどんな課題が存在するのか、どんな生き方が存在するのか。

もちろん、これらは「いま存在する」ビジネスであり、関わり方であり、課題であり、生き方です。どんな時代であっても10年もあればガラっと様変わりはするものですが、未来を紐解いて予測するためにも今を知ることは肝要です。

それを知らないことは、非常に勿体ないことなのではないでしょうか。

自分の知識・経験の外にある情報が、自分の可能性を最大限に伸ばしてくれる可能性、自分の心を奮い立たせる動機と出会える可能性、そんな可能性を秘めているのです。そもそも既存の学校教育がビジネスの存在や社会課題・生き方を伝えるようなカタチにはなっていないので、その機会を提供する価値は大きいはず。

世の中の課題であれば、今ならSDGsを中心に世界の課題を紐解いてもよいかもしれません、そこから日本、あるいは住まう地域の課題にアプローチしてもよいでしょう、あるいは特定の人・特性といった切り口から課題を考えてみることもできます。

初年度で獲得する知識の領域は、深さよりも広さを優先しています。

課題の存在やビジネスの存在を「知る」プロセスを経てはいるものの「知ること自体は目的ではなく」、網羅的に飲み込んだ知識のなかから自分の心が強く反応する分野を知ることが最たる目的です。

このように、「網羅的に分野横断し自身の興味が向く先を知る」という学びの方法論は私自身が経験した、とある私塾での数年間が発想の元になっています。

大阪の梅田から一駅、中津という場所に「サンダヴィンチアート研究所」という場所があります。おおよそ10年前ですが働きながらこのアートスクールに通っていました。

アート&デザインの分野に特化しているのですが、この塾の面白いところは特定の学部や専門分野があるわけではなく、多彩なアート&デザインの分野を網羅的に学び・触れることで自身の興味や適正を探っていくという点にあります。

グラフィックデザイン、3Dデザイン、現代アート、建築、陶芸、彫刻・・・etcと様々な分野で活動しているクリエイターを招いて、各分野のクリエイターがモノゴトを考え生み出すプロセスに触れることを当時は重視していました。(今はどんな感じか分かりません。)

基本的には「アウトプットする人」を育てるような場なのですが、私は各クリエイターがモノゴトを生み出すプロセスの方に興味を持ち、今のプランナー業に辿り着いたという経緯があります。

アート&デザインの分野だけに絞ってもジャンルは多彩です。ましてや、この世に存在するビジネスや課題は非常に多彩です。既に「やりたいこと」が決まっていたとしても、社会の広さを感じてから改めて自身と向き合ってみても良いはず。

話題を戻しましょう。

このように自分の興味の向かう先を知るために、自分の外の世界に関する知識の獲得を実践しますが、同時に自らの内面に向かうための知識も獲得します。その知識とは「自分を知る方法」です。

大学生になり就職活動が近づいて、はじめて自己分析に手をつける人も多いのかもしれません。しかし、自己分析とは人生の一時期だけ実践すれば良いものではないはずです。自分を構成する要素、自分の周りの要素、人生観は変化します。「いまこの場にいる自分」と数年前の自分は違っているはず。なぜ違っているのかが適切に分析できなければ、いまの自分を正しく掴み、未来に向けた適切な道筋を描くことも難しくなるはず。

だから、どんなタイミングであっても「自分を適切に知る」、「自己の内面と対話する」といったことが実践できる方法論を確立させておくことがここで求められることです。

社会と自分を適切に知る。最初の一年はこの活動だけでも良いぐらいです。最終的に「〇〇の分野で活動したい」、「○○の課題を解決したい」と思えるテーマを二つ以上見出せるとよいでしょう。


意志を育てるための方法論


2年次は意志を育てていくプロセス、具体的にはビジネスプランを磨き上げることと、自己を磨き上げることの双方を実践するタイミングだと考えています。

興味を持った分野を専門的に掘り下げ、具体的なビジネスプランをカタチにしていくイメージです。なぜその課題が存在するのか、どんな背景が存在するのか、どんな働き方がその課題に対してアプローチできるのか、自分はその分野と関わることでどのように幸福を獲得していくのか。ビジネスと自己の交点を深掘りして探る作業となるでしょう。

さて、「意志を知る」の最後で二つ以上のテーマと表現したことには理由があります。

日本の教育機関は、大学も専門学校も特定の一分野を掘り下げるという方式が一般的です。この手法を採る場合、専門性は獲得できるかもしれませんが、新たな価値観を創出する「新結合」という考え方や能力を体得することは難いのではないでしょうか。

対してアメリカには「ダブルメジャー教育」あるいは「メジャーマイナー教育」というモノの考え方があるようです。アメリカの教育について専門性を有しているわけではないので詳細に言及することは避けますが、「異なる二分野の学びを深める教育のあり方」と理解しています。

新たな価値観を生み出すために「今まで結びついていなかった考え方同士を結びつけること」が効果的であることは既に広く知られていることでしょう。しかし、その行為は日常的に実践していなければ難しい、一つの専門性に埋没している状態では中々そのような発想の飛躍には至りません。

そこでヒントになるのが先に挙げた「ダブルメジャー教育」のような考え方です。異なる二分野を行き来するプロセスを日常的に踏むことは、常に異なるモノの考え方・価値観・基準を交錯させながら事象を捉えることに繋がります。それが新たな価値観を生み出す基礎体力となることはイメージできるでしょう。二つの分野を繋いで活動する人材をH型人材と呼ぶ方もいます。

よって、二つ以上のテーマを深めたいのです。ただし、このテーマが「解決したい課題」と「自らが採りたい手段」といったカタチになると「○○の課題を△△で解決する」という一つのビジョンしか生まれないはずなので、掘り下げるテーマを増やしてもよいかもしれません。

この掘り下げは必ずしも二年次からでなく、一年次からスタートしてもよいかもしれませんが、二年次が終わる頃には掘り下げたテーマから一つのビジネスプランに集約させるという作業をイメージしています。

さらに、そのプロセスのなかで「ビジネスの技法」的な分野にも着手します。

例えばリーン・スタートアップに代表されるようなビジネスの巻き起こし方を理解する。例えばデザイン思考のようなモノゴトを生み出す思考プロセスを体得する。例えばマーケティングやマネジメントの基礎などを学び取る。STEAMの基本的な表現方法・アウトプットの技術を体得する。これらは目的を効果的に達成するための手段であるため優先順位は目的の磨き上げの方が高いのですが、手段の体得も避けては通れないプロセスです。

ちなみに、ビジネスマナーみたいなモノは、この一年で習得してしまいたいところです。もしこの学びと実践の場が動き出して数年間が経過しているのであれば、既に動いている先輩のビジネスにスタッフとして参加して「給料」をもらいながら生活と学びを両立させるという考え方もあり得るでしょう。

しかし、スタッフであるのはこの2年次の一年間のみです。先に挙げたとおり3年次以降は「経営」の実践を行うことが前提ですので、アルバイトはこの2年次のみです。


経営を実践するなかで学びを得る


3年次にはいよいよ実践の段階です。
実際に株式会社の設立、経営への参画など、実践のなかから学びを体得していきます。

学びと実践の場は、起業や事業の開始に伴って必要な設備、あるいはノウハウを提供します。しかし、学生それぞれの組織は既に動き出しているため、その提供に対して一定の対価を場側が求めることも当然でしょう。これは、多くはないですが場側の収益源の一つです。

事業をサポートする環境がある状況で、ビジネスを実践していき、自身の仮説が正しかったのかを検証する。優秀なビジネスプランの立案者に対しては初期から場側が投資をしてもよいかもしれません。

事業は伸ばしていくことを前提に考えます。しかし極論ですが、これらの事業は失敗してもよいのです。学生にとっては大学に400万投入するのと、この学びと実践の場に400万投入するのと、金額面では変わりません。ある種、究極のFail fast, Learn a lotです。

大学生ではないので新卒という枠は使えませんが、同じ23歳~25歳ぐらいを採用するとして、「企業経営を経験している人」と「していない人」では経験値に圧倒的な差が出るはずでしょう。

もちろん、何でもかんでも「失敗してもいいよ」というスタンスではありませんが、失敗を恐れるのではなく小さな失敗から学ぶことを尊ぶ姿勢を身につけてほしいと願うところ。

あるいは、事業がダメになったときに「適切な撤退方法」「筋を通した身の引き方」を学ぶことができるのもこの場だけでしょう。世の中の起業塾の多くは「企業で成功する方法」は教えても「適切に撤退する方法」や「筋を通した身の引き方」を教えることはありません。

失敗してもよいのですが、失敗を他者におっ被せるのはよくない。そこは履き違えてはいけないと感じています。

実践のなかにこそ学びがある。しかし、その実践は「主体的な実践」でなければなりません。ビジネスを進めるうえで「経営」を実践・参画することほど「主体的な実践」はこの段階では存在しないでしょう。


周辺をかためるための教育


と、ここまでが私の妄想のなかにあった「新たな教育と実践の場」です。社会の教育に対して感じる違和感を解決するための場として、こんな場が一つぐらいあってもよいのではないかと思っています。一つぐらい、と言いつつ、各都道府県に一つぐらいあるといいな・・・というのが私の想い。

が、いきなり高校からこの場に進むのは勇気も必要です。そして、その周辺教育も社会全体でもっと必要だと感じています。具体的には10歳台くらいまでのArt、15歳ぐらいまでのSTEAMとDesign、この辺りは必須だと思っています。

学び

この図はざっくりしたイメージ。説明がないと分かりにくいでしょうが、別の妄想があるのでまた違う機会に記事にしたいと思います。


挑戦すること自体は手放しで称賛する文化をつくりたい


私は、挑戦することの尊さを多くの人が本気で感じ取れる文化が必要だと思っています。これは「気質」に影響する要素なので最もハードルが高いモノでしょう。「人々の考え方を変えたい」なんて普通にはできるわけありません。よく言われるのは「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」という言葉です。

それでも、他人を変えることなど簡単にはできないとは分かっているけれども、挑戦自体を称賛する文化を作りたいのです。挑戦した内容、挑戦した方法論、その点に対する言及は別次元です。まずは「挑戦した行為」そのものは手放しで褒め称えたい。

「挑戦することは素晴らしいけど〇〇〇」

この言葉の「けど」は不要なのです。そこから先の方法論に言及するのは後でよい。この言葉にある背景は表向き肯定しているようで、結論は否定であることは目に見えています。

まずは、挑戦すること、挑戦したこと、そのマインドそのものを肯定する文化。とてつもなく大きなハードルですが、今よりも少しでもそのマインドが社会に広まれば、価値あるものを生み出す人々がもっと増えるはずです。

まず私は、周りのチャレンジャーたちの行為を褒め称えたいと思います。皆さんも周りに挑戦者がいれば、その行為自体はまず称賛していただきたいのです


自分たちのこどもたちに何を残すか


こんな場を妄想するに至った理由は何か。それはこどもです。私には4歳と2歳のこどもたちがいますが、そのこどもたちの将来を想像したときに現状が恐ろしくなったということが出発点でした。

このこどもたちが大人になるころ、社会は一体どんなカタチになっているのだろうか・・・という論説は世の中にたくさんあります。が、言ってる本人もそこまでリアルに考えられているわけではないモノも多いのではないでしょうか。

今ですらVUCAの時代と言われています。例えば、2050年ごろには何の時代と呼ばれているのでしょう。2050年、たった30年後です。私のこどもたちが今の私の年齢になるぐらい。間違いなく私も健康であれば現役で働いているでしょう。

多くのこどもたちが、22世紀を生きることになるのです。その事実に気付いている人がどれくらいいるでしょう。

私のこどもなら2100年には85歳です。コレ、現在の85歳と同じ感覚で受け取ってはいけません。2020年現在の平均寿命が84歳ぐらい、これが2040年には平均寿命が100歳に達するという見方も存在します。仮に2100年の平均寿命がそのまま100歳だったとすると、2100年時点での85歳とは現在の70歳ぐらいをイメージした方がよいでしょう。たぶん、まだ現役の年齢ですよね。私のこどもは健康であれば2100年の段階でまだ現役なのです。

だから、変化の激しい未来の社会を生き抜くために「意志を知り、意志を育て、意志の実現に向けた実践を、自ら取り組める人」であってほしいのです。しかし、そんな場を早いうちに提供しようと思うと残された時間は多くありません。

世の中には課題が多い、しかし課題だけを捉えるのではなく課題のちょっとした変化・進歩を尊ぶ姿勢でありたいとは常に思っています。しかし、この教育分野については爆発的な変化が必要だと思っています。特に、自分のこどもたちに何らかの価値を自ら提供するなら、あと数年以内に何らかのアクションを起こさなければならない。

だから、未だ粗さだらけのアイデアもどんどんアウトプットを重ねていきたいと思ったのです。その先にしか、実践はないのですから。

もし万が一、このビジネスがそのまま成立すると考えて実践される方がいれば、それはそれで結構です。パクりだなんて言うつもりは毛頭なく、私は自分がイメージした場が社会に増えることを最大限望んでいます。ビジネスをとおして自分がヒトヤマ当てたい欲がないとは言いませんが、手段と目的はごっちゃにしないようにしておきたいのです。

もちろん、私自身が実践することがベスト。だから、この「いまは妄想」を「具体的な構想」に育てていきたいのです。

もし、私の理念に強く共感する方がいらっしゃれば是非アイデアを一緒に膨らませませんか?

あるいは、強くは共感しないけれども、ちょっとは共感できるなという方はこの記事をシェアしていただけると、大変嬉しく思います。

今は存在しない、未来で存在する価値を生み出す人を育てる場、それがこれから先の社会では必要ではないでしょうか。

いただいたサポートは探究したいテーマの書籍代等として使わせていただきます☺️