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19世紀のフランスで農村が都市を中心とする国家体制に再編される過程を描いた『農民からフランス人へ』の紹介

1789年に起きたフランス革命とその後の一連の出来事は、フランスの絶対王政を基礎づけていた法律体系、身分制度、政教関係、経済構造、軍事制度などを抜本的に変え、近代的なナショナリズム(民族主義)が成立する一つの契機になりました。ナショナリズムは、それまで政治に関心を持つことも、参加することも考えていなかった人々に国民としての自覚を持たせ、国家の動員能力を向上させ、近代的な経済発展の基礎になりました。

フランス史においてナショナリズムが導入され、制度として定着する過程を描き出した歴史学者の一人にユージン・ウェーバー(Eugen Weber)がいます。彼の古典的著作『農民からフランス人へ(Peasants into Frenchmen)』(1976)は、それまで地方で独自の社会を形成していた農民が、国民としての意識を持つようになった背景に、都市化と交通網の整備による社会変動があったことが示されています。

Weber E. (1976). Peasants into Frenchmen: The Modernization of Rural France, 1870–1914. Stanford, CA: Stanford University Press.

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ウェーバーは著作の中で、地方ごとに人々が使う言葉や、生活の風習には大きな違いがあったことを説明しています。人口の大部分を占める農民は、パリの市民におとなしい人々ではあるが、野蛮で洗練されておらず、野性的な存在として嫌っていました。また、農民も市民に対して同じような否定的なステレオタイプを持っていたようで、彼らを毛嫌いしていました。フランスの農村社会も決して一枚岩の共同体ではありませんでした。少なくとも4分の1の人口はフランス語を話しておらず、争いごとも絶えなかったとウェーバーは論じています。つまり、1789年にフランス革命が起こるまでは、自分がフランス国民であるという自覚を持った人々はほとんど存在していなかったのです。

ウェーバーは、このような社会の分断が解消され、国民として統一される方向に向かった要因として、戦争のように外部から何らかの脅威が及ぶという国際的要因と、国家が社会を政策的に再編するという国内的要因の二つを挙げており、多くの場合において両方が組み合わさってナショナリズムが普及していったと説明しています。ただ、ウェーバーの研究で特に強調されているのは後者の要因であり、特にフランス政府が推進した道路、鉄道の建設というインフラ事業が国家の統一を確固としたものにしたと主張しています。

パリを中心に全国的な道路網が整備されたことで、あらゆる農村からパリへ移動することが容易になりました。多くの農民が雇用の機会、出世への道、あるいは故郷からの逃亡のために都市へ流入し、進んでパリの言語や風習を身に着けました。パリでは農村の文化や地元の方言は野蛮なものと見なされていたので、移住した農民は都会的な習慣を身に着ける必要に迫られました。こうして、フランス的なものを代表するパリという観念が定着していき、それが事実上の基準になっていったと考えられます。

地方の地縁と血縁を基盤に構築された農村共同体に組み込まれていた農民を、国民に置き換えていったというのがウェーバーの基本的な見方です。これはフランスのナショナリズムがパリの文化的な優位を前提にしていたことを意味するだけではありません。ナショナリズムが農村社会を弱体化する過程で起きたことであることも浮き彫りになっています。ウェーバーは農民文化や農村経済に深い理解があったからこそ、ナショナリズムがそれを破壊する効果を持っていたという解釈にたどり着いたのでしょう。ただし、このようなウェーバーの解釈には限界があることも分かっています。

ウェーバーはフランスのナショナリズムがパリから地方へと押し付けられたものであると捉えていましたが、その後のベネディクト・アンダーソンの研究によって、ナショナリズムは国家が社会に普及させる意識というよりも、出版物を通じて社会の内部で自生的に育つ観念であり、それが結果として国家の政策にも影響を及ぼすという見方がとられています。

より最近の研究では、ウェーバーが想定したよりも複雑な因果関係があったことが推定されており、中央政府と地方政府の政治対立を国家と社会の両方が双方向に影響を及ぼし合っていた証拠が出てきています。本国と植民地の関係も考慮に入れる研究も増えています。例えばBoswell(2009)では19世紀の交通網の拡大が海外の植民地にまで及んでおり、多数の外国人労働者がフランスに入国した事実にウェーバーが注意を向けていないことを批判しています。

19世紀の交通インフラの発達と都市人口の拡大に伴ってフランスのナショナリズムが発達したことは確かですが、それだけではフランスで普及した国民意識に人種差別的、民族差別的な観念が織り込まれていたことを十分に説明できないでしょう。ナショナリズムを中央と地方の関係から捉えることの重要性を示した意味でウェーバーの議論には価値がありましたが、それはナショナリズムの全体像を捉えるために必要な視点の一つを示しているにすぎないと私は考えています。

参考文献

Boswell, L. (2009). Rethinking the Nation at the Periphery. French Politics, Culture & Society, 27(2). doi:10.3167/fpcs.2009.270207

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