見出し画像

論文紹介 戦力で劣る国を抑止できない3つの要因

現代の世界では、抑止戦略が戦争を防止し、平和を維持する基本的な手段となっています。しかし、それが成り立つためには、相手に戦争を思いとどまらせるような軍事態勢を確立しなければならなず、しかも最適な軍事態勢を確立できたからといって、必ずしも抑止が成功する保証はないのです。

今回は、抑止したい相手よりも軍事的能力で優る国家であっても、抑止戦略に失敗することがある理由を検討した論文を紹介しようと思います。

Wolf, Barry. 1991. When the Weak Attack the Strong: Failures of Deterrence, Santa Monica: RAND.
 https://www.rand.org/pubs/notes/N3261.html

軍事力で劣勢な国が、あえて自国より優勢な国に戦いを挑むことがあることは、以前から知られていました。例えば、政治学者のブルース・ブエノ・デ・メスキータは1816年から1974年までに勃発した主要な武力紛争76件のうち、17件(22%)が軍隊の規模で劣勢な国によって始められたことを明らかにしています(Wolf 2005: 5)。軍事的に優位であっても、22%の確率で抑止に失敗している要因として、著者は以下に述べる3種類の要因が関連している可能性があると論じています。

(1)強い動機がある

この要因によって抑止が失敗した事例として、著者は第四次中東戦争(1973)を挙げています(Ibid.: 6)。この戦争ではエジプトが自国の立場を強化することを目指していたので、イスラエルに対する武力攻撃の範囲を限定しました。その結果、攻勢作戦ではシナイ半島への全面的に侵攻することはなく、スエズ運河の東岸に部隊を進出させるにとどめています。当時のエジプト軍としては、外交交渉で成果を出すために、あえて軍事的なリスクをとったことになるので、軍事的能力で劣勢であることが戦争を思いとどまる理由にはなりませんでした。

著者は、その国家の指導者の心理的、精神的な状態の問題によって予期しない行動をとる場合があることも考慮しており、これも抑止を失敗させる要因となると指摘しています。費用対効果に基づいて合理的に行動する場合だけでなく、特殊な政治的選好に基づいて行動するような場合でも、戦争を始めることに対して強い動機づけがある場合、抑止が所望の効果を上げることは困難だと考えられます(Ibid.: 8)。

(2)情勢を誤認している

ここで著者が述べている間違った認識とは、自らが置かれた状況を誤解することであり、著者はさらに4つの場合に分けて考察しています。第一に、現実よりも相手を軍事的に脆弱だと誤解している場合が考えられます。普仏戦争(1870~1871)が勃発する前までは、プロイセンに対してフランスの兵力がほぼ2倍であること、武器や装備の性能、特に砲兵火力で優位に立っていること、前もって綿密に検討された作戦計画もあり、勝利することに自信がありました(Ibid.: 9)。普仏戦争でフランス軍は決定的な敗北を喫しましたが、これは自信過剰な指導者に戦争を思いとどまることの難しさを示しています。

第二に、武力に訴えたとしても、相手が自分に報復することはないと期待している場合も、抑止が失敗しやすくなる要因とされています。著者は、1962年に中印国境紛争が勃発した原因も、この要因が関与していたと指摘しています。当時、中国軍の態勢から見て、インド軍は中国軍が反撃に転じる公算は小さいと見積もっていましたが、実際には予想外に強力な反撃を受けることになり、インドに不利な形勢となってしまいましたた(Ibid.: 9)。

第三に、軍隊が小規模な小国を攻撃したとしても、強力な国家が介入することはないと期待する場合も、誤認による抑止の失敗につながります。1990年にイラクがクウェートを攻撃し、湾岸戦争(1990~1991)を引き起こしたのは、国際社会がクウェートを救援するために一致団結して動き出すことを予想していなかったためでした。しかし、現実にはアメリカ軍を中核とする多国籍軍が編成され、イラクに封鎖を行い、さらにはクウェートの領土を奪回するための大規模な攻勢作戦が実行されました(Ibid.: 10)。

第四に、攻撃を加える側の国が、自分の同盟国の兵力をあてにしてもよいと認識している場合、自国より強力な国家に対して戦争を挑むような場合もあります(Ibid.)。第一次世界大戦(1914~1918)でオーストリアがセルビアを攻撃したとき、セルビアを支援するロシアの脅威に対処する方法がオーストリアでは問題となっていました。オーストリアの軍事力でロシアの軍事力を支えることは極めて困難に思われたためです。しかし、オーストリアは同盟国のドイツがロシアの攻撃を防ぐことを期待していたので、武力攻撃に踏み切る決断を下すことができました(Ibid.: 11)。

(3)抑止者に弱点がある

一見すると強大な大国であっても、何らかの軍事的脆弱性を抱えているのであれば、中小国はそれを突くことによって勝機を見出せると考える可能性があります。例えば、地理的に離れている、戦闘部隊が不足している、他の戦域でも他国と交戦しているといった状況では、抑止が難しくなると考えられます。ただし、その武力紛争が高強度紛争(High-Intensity Conflict)であるか、低強度紛争(Low Intensity Conflict)であるかによって、事情が異なるとも著者は述べています。

高強度紛争で大国の軍事的弱点を突いた事例として日露戦争(1904~1905)があります。日露戦争では4,500,000名の兵力を動員できるロシア軍に対して日本軍の兵力は283,000名だけでした。しかし、地域別で見ると、バイカル湖以東に配備されたロシア軍の兵力は83,000名の野戦軍と、50,000名の守備隊だけであり、極東での海上兵力のバランスは日本に優勢だったので、日本としては海上優勢を確立し、局地的な優勢を利用して作戦を展開することが可能でした(Ibid.: 12)。

低強度紛争の事例としては、1979年に発生したイランにおけるアメリカ大使館襲撃事件があります。イランは軍事大国であるアメリカを敵に回す事態になることが予想されたはずですが、アメリカは効果的に報復することができないと想定され、結果として抑止することはできませんでした(Ibid.: 14)。事実、1980年4月にアメリカが試みた人質救出作戦は失敗に終わり、イランはさらに態度を硬化させています。ちなみに、アメリカ軍はこのときの教訓を踏まえて特殊作戦部隊の改革に乗り出し、1987年に特殊作戦軍を創設しています。

まとめ

(1)強固な動機、(2)間違った認識、(3)軍事的脆弱性が一つでも作用した場合、抑止が失敗する恐れがあるという著者の議論は、抑止戦略の効果が絶対的なものになることはないという現在の抑止論の考え方にも通じています。国家戦略に抑止戦略の要素を組み入れ、戦争を防止することが必要であることに変わりはありませんが、それでも戦争が勃発する危険をゼロにすることはできない以上、戦争が勃発した場合のことも想定しておくことが国家安全保障のために必要であると思います。

見出し画像:Mass Communication Specialist 1st Class Ryan U. Kledzik

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。