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議会制度は国家の戦略形成にどのような影響を及ぼすと考えられるのか?

国家安全保障の最も重要な問題は、国内外の脅威に対し、国家がどのような能力や構想によって対処すべきかを定める戦略を形成することです。近代以降の民主主義国では、戦略の策定も選挙で選ばれた政治家の重要な職務となっていますが、政治学者のサミュエル・ハンチントンは、政治制度の形態によって形成される戦略にも変化が生じると考察しました。この記事では、ハンチントンの議論に沿って、議会制度が戦略に与える影響を中心に解説してみたいと思います。

戦略的一元論と戦略的多元論の違い

ハンチントンは『軍人と国家』(1957)において、戦略的一元論(strategic monism)と戦略的多元論(strategic pluralism)という類型を使い、あらゆる戦略を二つに分類しています。

戦略的一元論とは、軍事的安全保障を達成する手段として、単一の戦略構想、武器体系、戦力組成に最適化された戦略です。それに対して戦略的多元論は現在の状況の特性から起こり得る脅威を幅広く想定し、多種多様な戦略構想、武器体系、戦略組成を選択できるようにする戦略です(上143-4頁)。

戦略的一元論は軍事予算を抑制する上で有利ですが、その有効性は特定の状況に限定されているため、敵国が予想しない動きをとった場合や、国際情勢に予期しない変化が生じた場合には適用できなくなるリスクがあります。したがって、戦略的一元論を採用している国家は、状況の変化を待ちかまえるのではなく、自ら状況を作為する必要があり、攻撃的な軍事ドクトリンを好みます。戦略的多元論は軍事予算の膨張に繋がりやすい戦略ですが、あらゆる事態に対処できるため、防御的な軍事ドクトリンを採用することが容易になります。

ハンチントンは、アメリカ政治では軍部と直接的な繋がりを持つ議会制度を発達させたことによって、戦略的多元論を推進することが容易になったと主張しています。

連邦議会と統合参謀本部の結びつき

基本的に「議会は国家戦略についての一定の明確な考えを持っていない」ものですが(下146頁)、多種多様な属性や背景を持った議員で組織された議会には、国防に強い関心を持ち、強力な軍事力を維持することを主張する議員が存在するものです(同上144頁)。このような議員は決して議会で多数派にならないので、議会の本会議では存在感を発揮しにくいのですが、実質的な審議のために開催される委員会の場では、強い影響力を発揮できます。

一般に議会制度には、審議の場として本会議を重視する制度と、委員会を重視する制度があるのですが、アメリカ議会では専門的な審議を行う場として委員会制度を発達させてきました。アメリカ下院では1822年から陸軍委員会と海軍委員会がありましたが、その専門性は必ずしも高くありませんでした。しかし、1946年の改革で軍事委員会(House Committee on Armed Services)に統合され、上院でもこれに相当する軍事委員会(Senate Committee on Armed Services)が置かれています。上下両院の軍事委員会の任務と権限は拡充され、国防のあらゆる問題を審議の対象とすることができるようになっています。

ただ、アメリカ憲法では権力分立(三権分立)の下で政府に強い独立性があります。これはイギリスや日本のような議院内閣制とは大きく異なる点です。この制度は戦略評価に必要な情報を得ることを難しくし、委員会の審議を妨げることになります。もし新規に配備される作戦部隊に必要な装備の妥当性を軍事的に評価しようとしても、上下両院の軍事委員会は国防総省を通じて情報を手に入れるしかありません。しかし、国防長官は大統領が任命しているので、大統領にとって不都合な情報を議会に出さないことも可能です。

議会で戦略について審議する機能を付与するために重要な意味があったとハンチントンが指摘しているのが、1949年に行われた国家安全保障法の修正です。この修正でアメリカ軍の統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff)は、国防総省が実行すべき事柄を勧告として議会に直接提出できるようになりました(同上141頁)。ハンチントンは「これは参謀総長等に自己の見解を直接議会に持ち込むことを認めたアメリカ歴史上初めての法律であった」と述べ、議会が軍事専門的な情報を手に入れて、実質的な審議を行うことを容易にしたと評価しています(同上141-2頁)。

連邦議会は戦略的多元論を支持する

ハンチントンは、議会制度が戦略的多元論を推進する大きな理由について、「しいたげられている利益グループに対して、彼等の考えを表明する機会を与えるところの査問、国防施設の機構を法令で規定すること、種々の軍の部隊に機能を法令で付与すること、そして最も重要なものとして軍事予算のコントロール等を通じてなされるものであった」と説明しています(同上、147頁)。これは政府の内部で戦略をめぐる議論が展開される際に、単一の視点ではなく、複数の視点を戦略形成の過程に持ち込むことを促します。

アメリカでは1944年から1957年にかけて、繰り返し軍種の統合が議論されていました。陸軍、海軍、空軍、海兵隊をどのような組織に統合すべきかという問題は、国防予算の軍種別の配分に直結する重要な問題であり、戦略に与える影響も大きなものです。当初、政府が議会への勧告で提案したのは、一人の参謀総長にすべての軍種を管轄させる単一の省でした。

この提案は1946年にも繰り返されていますが、これを議会は拒否しました。その主な理由は、軍種の統合に反対した海軍が軍部における陸軍の優越に海軍と海兵隊が対抗する必要があることを訴えたためであり、議会は海軍(と海兵隊)の立場がより強く反映できる制度を要求しました(同上、147頁)。

ハンチントンが見たところ、「1944年から1947年の三軍統合問題の討議では議会の利益は海軍の利益と一致して」おり、「1953年には議会の大部分の勢力は軍部それ自体の内部からの公然の反対が存在しなかったにもかかわらず」、ドワイト・アイゼンハワー大統領が提案した組織改革を拒否し、軍部の一部門に権力が集中させないようにしました(同上、148頁)。議会は政府が望むよりも多元的な視点で戦略を形成できる軍事制度を支持したのです。

軍事委員会の政治的な中立性

ただ、アメリカの軍人にとって上下両院の軍事委員会で発言することは、それなりに覚悟を要することであることも指摘しなければなりません。この仕組みは政府に対する議会の情報上の不利を解消する上で重要ですが、情報源となる軍人の発言はさまざまな制約に晒されます。なぜなら、大統領がその権限を行使すれば、自分に不利な発言した軍人を処分できるためです。

「もしも彼が自分の専門的な意見を表明するならば、彼はいわば自分の総司令官たる大統領を公然と批判することになるのであり、自分の政策的な敵に有益な弾薬を供給することになる。このジレンマから逃れる安易な道は存在しない」とハンチントンは論じています(同上、142-3頁)。

対策としては、委員会での発言の内容を非公開にする方法があり、これによってマシュー・リッジウェイ(1895~1993)は1954年に朝鮮戦争に関して自らの意見を上院で述べることができました。また、政府、議会、軍部がそれぞれに審議を政治的に利用しないように自制する姿勢をとったことによって、実質的な審議ができたこともあります。リッジウェイは1955年に自分の意見とは異なっていたとしても、上層部が決定した陸軍の戦力規模を受け入れると明言した上で、一個人として考える陸軍に必要な戦力規模に関する意見を公表しています(同上、143頁)。

しかし、ハンチントンが著作を出した後で、このような慣行が次第に守られなくなっていることも指摘しておくことが必要でしょう。ヒュー・ストラッチャンは2006年に「戦略を形成する:イラク戦争の後の政軍関係(Making strategy: Civil–military relations after Iraq)」で上院軍事委員会の公聴会に出席し、占領地の維持に必要な戦力の規模を質問された陸軍参謀総長が、大統領に不都合な発言をしたために、退役に追い込まれた事例を紹介しています。この措置は議会が軍部から情報を得ることを難しくする効果を持っていました(論文紹介 米国が戦略の立案に失敗した制度的原因とは何か?)。

まとめ

あらゆる戦略は、その上位に位置する政策と一体的なものとして形成されるので、政治制度の影響を受けることは避けられません。議会もその一つとして理解するとよいでしょう。ハンチントンは、議会制度で実質的審議が可能な場合、あらゆる脅威が洗い出され、さまざまな戦略構想が選択できるように多元的、多角的な戦略が形成されると主張していますが、この効果が常に得られるとは限らないことに注意しなければなりません。

議会で議席を与えられた議員に多様性があり、国防に特化している議員が一人もいないという状態になれば、委員会制度があったとしても実質的に機能しないでしょう。委員会が開催されていたとしても、専門的な知見や情報が乏しい状態のまま審議が重ねられるのであれば、政府が提案する計画や構想を批判的に吟味することは難しいでしょう。ハンチントンは、こうした困難が増すことによって、戦略は単一の視点、単一の立場から議論されるようになると考えています。

参考文献

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