見出し画像

核戦力は通常戦力の代わりにならない『抑止か、防衛か』(1960)の紹介

核戦力と通常戦力はいずれも軍事力の要素ですが、それぞれの機能は大きく異なっています。核戦力は特定の国の軍事行動を抑止するために運用するのであれば効果が期待できますが、防衛のための戦力として運用する場合、通常戦力ほど有効ではありません。この問題をいち早く論じたのがイギリスの軍事評論家リデルハートの『抑止か、防衛か(Deterrent or Defense)』(1960)です。

書き下ろしの著作ではなく、過去に発表した論文で再構成された論集ですが、いずれもソ連の脅威からヨーロッパを防衛するため、西側がとるべき軍事態勢を検討する内容となっています。そこでリデルハートは特に1950年代のアメリカの核戦略の変遷を辿りながら、核戦力に依存した戦略構想や作戦計画の危険性を説いています。

1949年に北大西洋条約機構(NATO)が成立して以来、アメリカ軍はソ連の脅威を抑止し、西ヨーロッパ地域を防衛するための軍事態勢を模索してきました。しかし、そのような軍事態勢を維持するための財政負担は極めて重く、1953年にアメリカ軍は大規模な兵力の削減に踏み切りました。翌1954年にジョン・フォスター・ダレス国務長官は削減された兵力をもって、ヨーロッパ正面のソ連軍の脅威に対抗する態勢を維持するために驚くべき構想を打ち出しました。

それは敵から武力攻撃を受けたならば、敵軍の戦闘部隊だけでなく、敵国の都市に対しても全面的に核兵器を使用する大量報復(massive retaliation)でした。しかしリデルハートは、1952年にアメリカが1953年にソ連が開発を成功させた水素爆弾の出力が従来の原子爆弾の出力よりもはるかに強力であり、通常戦力を用いた局地的な侵略に対して核兵器で報復することは現実的ではなく、またソ連軍がゲリラ的な侵攻を行うことを抑止できるものではないとも述べています。

1957年にソ連が人類で最初の人工衛星であるスプートニクの打ち上げに成功したことにより、アメリカが保持してきた核戦力の軍事的な優位性はさらに低下しました。アメリカの核戦力が抑止の機能を完全に失ったわけではありませんが、ソ連軍が先に核弾頭を搭載した弾道ミサイルで遠隔地を攻撃する能力を獲得したために、アメリカ軍が核兵器の使用に頼れば頼るほど、自滅的な核戦争を余儀なくされる度合いが高まります。防衛において核戦力の使用を最小限度に抑制することが必要であり、そのためには局地戦に即応できる通常戦力の強化に取り組むことが重要です。

リデルハートが見積もったところ、ソ連軍の小規模かつ限定的な奇襲に対処し、防衛するためには、ソ連軍の戦力に対して最低でも2分の1、可能であれば3分の2の戦力が必要であり、これは20個師団から30個師団に相当すると考えられます。ヨーロッパの防衛線の長大さに見合った通常戦力を確保することが求められますが、近代戦の歴史を調査すると、大規模な戦闘における防者は基本的に有利な条件で交戦することが可能であり、第二次世界大戦のアメリカ軍も航空優勢を獲得した上で5対1以上の数的優勢がなければ攻勢を成功させることはできていません。

1950年代のヨーロッパ正面にソ連軍が集中できる兵力は1か月で60個師団と見積られているので、NATOが防衛のために必要とするのは40個師団であり、これは1か月以内に戦地に展開することが見込まれます。懸念すべき事項があるとすれば、それは防衛線の中央部の広さであり、バルト海からボヘミア山脈にかけて防衛線を構成するならば、少なくとも10個師団は必須であり、さらに相当数の予備を拘置しなければなりません。というのも、近代戦では大きな予備を拘置しておくことが防御戦闘の勝敗を大きく左右する要因であるためです。リデルハートの分析では、側面の掩護も考慮して26個師団を配備すれば、たとえ40個師団のソ連軍が攻めてきたとしても対処は可能とされています。

軍事学の研究におけるリデルハートの功績は、防衛態勢を戦場の広さに対する兵力の密度に着目して分析することの重要性を明らかにしたことであり、この視点は現代のヨーロッパにおける戦略論争にも受け継がれています。最近ではバリー・ポーゼンが論文「ヨーロッパは自身で防衛できる(Europe Can Defend Itself)」(2020)の中で、バルト諸国やポーランドの防衛線の広さを考慮に入れた上で、ロシア軍の武力攻撃が始まったときに、どこに予備を拘置することが適切なのかを考察しています(論文紹介 米軍が撤退しても欧州はロシアと戦えるのか?)。

参考文献

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。