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軍隊が選択したドクトリンによって国際情勢が不安定になる場合がある『軍事ドクトリンの源泉』の紹介

ドクトリン(doctrine)とは、国防政策を遂行するために軍隊が採用すべき制度や運用を定めた基本原則をまとめたものです。これは軍事学で最も基本的な概念の一つであり、ある軍隊がどのようなドクトリンを開発しているかによって、調達する装備の種類や教育訓練の内容、そして作戦計画の特徴に違いが生じてきます。戦略、作戦、戦術だけでなく、戦闘行動を支援する上で欠かせない人事、情報、兵站などの機能もドクトリンの影響を受けるため、その特性を分析することは重要な研究課題です。

軍事学では古くからドクトリンの研究が積み重ねられてきましたが、冷戦期に国際政治学の領域でもドクトリンの重要性が認識されるようになり、特に戦略ドクトリンについては詳細な分析が行われるようになりました。その成果の一つがアメリカの政治学者バリー・ポーゼンの著作『軍事ドクトリンの源泉(The Sources of Military Doctrine)』(1984)です。

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なぜ軍隊のドクトリンを重視すべきかといえば、そのドクトリンの内容によって国際社会における戦争のリスクが変化するためだとポーゼンは説明しています。ポーゼンは軍隊のドクトリンを攻勢と防勢のどちらを志向しているかによって分類し、攻勢を重視したドクトリンを採用することは、軍拡競争の危険性を高めると考えていました。

「攻勢的な軍事ドクトリンは2つの方法で軍拡競争を加速させることになる。第一に、攻勢のドクトリンの要になるのは、迅速に、安価に、有効に第一撃を加え、戦争を終わらせることができることである。それゆえ、その国家は大規模な資源を用いて第一撃能力を支援することになるであろう。第二に、攻勢ドクトリンでは防勢に対して攻勢に優位性があることが確信されている。そのため、相互に軍事力を増強し合うことで、相手から自国が脅かされていると感じるようになり、ますます相手に強く反発する事態になる」(Posen, 1984: 18)

軍隊のドクトリンは基本的に作戦行動、戦術行動において攻勢と防勢のどちらでも選択できるように設計されています。ただ、ここでポーゼンが注目しているのはドクトリンの中でも最上位に位置する戦略ドクトリンであることに注意しなければなりません。

また、ポーゼンはこの著作で軍隊が防勢より攻勢のドクトリンを採用しようとする傾向があるとの仮説を出しています。なぜ軍隊のドクトリンの選択で攻勢が防勢より好まれるのかといえば、戦争を短期決戦に持ち込むように作戦規定(standard operating procedure, SOP)を定めておけば、戦時に軍隊が組織として対処すべき不確実性を縮小することができるためです。それだけでなく、軍隊は官僚制的な傾向を強めることによって、ドクトリンはますます硬直的なものとなり、政治的目標が変更された後で柔軟に作戦計画を変更することを妨げる恐れがあるとも論じられています。

このような考察から、ポーゼンはいったん攻勢志向の戦略ドクトリンを採用した軍隊はそれを変更しようとはせず、対外的に軍事的緊張を高める原因になると考えました。ポーゼンは反対に防勢、抑止を重視した戦略ドクトリンを採用する軍隊は、軍事的緊張を抑えやすく、国際情勢の安定化に寄与すると考えています。

ポーゼンが自らの説を裏付ける事例としているのが第一次世界大戦(1914~1918)です。オーストリアとセルビアとの間で生じた局地的紛争が、ロシア、ドイツ、フランス、イギリスを巻き込む大規模な戦争に拡大した事例ですが、ポーゼンは当時の列強が攻勢を重視するドクトリンを採用していたことが、危機の拡大につながったと分析しています。その見解によれば、敵国に先んじて自国の動員を完了し、作戦を開始することばかりを考えていたのは、先制攻撃を重視する攻勢の戦略ドクトリンが普及していたためです。

例えば「フランス軍では、動員が24時間遅れるごとに、ドイツ軍は15kmから20kmは前進していくると見積もっていた」と危機に際して動員を急いでいたことが紹介されています(Ibid.: 22)。確かに、敵国を先制することを最優先に考える戦略ドクトリンを策定している場合、政策決定者は緊張緩和のために外交交渉を試みるよりも、すぐに軍隊に動員を発令してしまった方が短期的に有利だと考えてしまうでしょう。

第一次世界大戦におけるロシアの軍事行動は特に注意を要するとされています。

「ロシアは二ヵ国の敵国、すなわちドイツとオーストリア・ハンガリーと国境を挟んで対峙していた。ロシアの立場から見て、政治的に重要なのはオーストリア・ハンガリーとの紛争だったが、オーストリア・ハンガリーがドイツと同盟を結んでいることから、オーストリア・ハンガリーと戦ったとしても、ドイツと戦うことにはならないと確信を持つことができなかった。さらに、ドイツがフランスとロシアを順次撃破する計画を持っていることにも不安があったために、ロシアはフランスが打倒されないうちに、ドイツに対して攻勢をとろうとしたのである」

著者の議論を補足しておくと、1914年のロシアはフランスと同盟を結んでおり、ドイツはロシアと戦争状態に入れば、フランスとも戦争状態に入ることを想定した戦争計画を立案していました。ドイツの戦略としては、まずフランスに主力を向けて打ち破り、その後でロシアに主力を移すことを予定していたためです。そのため、ロシアはオーストリア・ハンガリーとの戦いを始める時点で、同盟国であるフランスがドイツから攻撃される事態を心配しなければなりませんでした。

結局、ロシアの政策では、オーストリア・ハンガリーとセルビアの紛争に介入し、セルビアを支援することが目標であったにもかかわらず、戦略ではドイツに攻勢を仕掛けることを選択することになりました。これは政策としては不可解な行動ですが、ドイツがフランスを攻撃することを予測した上での行動として理解することができます。

ポーゼンの議論にはいくつかの批判も加えられています。例えば、軍隊がドクトリンの選択で攻勢を好む組織的な傾向を持っているとは限らないのではないかと疑問が出されています。1997年にキアー(Elizabeth Kier)が出版した『戦争を想像する(Imagining War)』は、ポーゼンが主張したような攻勢志向へのバイアスは一般的なものではないことをフランス、イギリスの事例分析で裏付けました。

また、ポーゼンの分析が一次史料に依拠した者ではないことも歴史学者から問題視されています。例えば、第二次世界大戦におけるドイツ軍のドクトリン、いわゆる「電撃戦」のドクトリン分析に対しては、キングス・カレッジ・ロンドンのブライアン・ボンド(Brian Bond)教授が専門の軍事史の立場から実証面に問題があることを批判しています(Bond 1986)。

ただし、軍隊が戦略レベルで攻勢を重視するドクトリンを採用することが、軍拡競争を加速させる重要な原因になることに関しては、今でも多くの研究者が同意するところだと思います。国際政治における軍隊のドクトリンの重要性を理解する上でポーゼンの研究成果には意義があったと言えるでしょう。

ミアシャイマーの『通常戦力の抑止(Conventional Deterrence)』(1983)などを併せて読むと、ポーゼンの議論をより深く理解できるのではないかと思います。ミアシャイマーの著作は過去の記事でも紹介したことがあるので、そちらもご参照ください。

見出し画像:U.S. Department of Defense

参考文献

Bond, B. 1986. Book Review: The The Sources of Military Doctrine: France, Britain, and Germany between the World Wars by Barry R. Posen, The Journal of Modern History, Vol. 58, No. 1, pp. 284-287.
Posen, B. R. 1984. Sources of Military Doctrine: France, Britain and Germany Between the World Wars, Princeton University Press.
Kier, E. 2017(1997). Imagining War: French and British Military Doctrine between the Wars, Princeton University Press.

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