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合法的だった戦争が違法化された歴史を辿った『逆転の大戦争史』を紹介する

国際法の歴史をさかのぼると、かなり長い時期にわたって戦争が合法的な行為であると考えられてきたことが分かります。「国際法の父」とも称されるオランダの法学者フーゴー・グロティウス(1583~1645)は、戦争は権利の侵害に武力で対抗する手段として許容されなければならないことを著作『戦争と平和の法』(1625)で論じていました

国際法で戦争が初めて違法であると宣言されたのは、この著作が出されてから303年が経過した後のことでした。1928年8月27日に署名された不戦条約(戦争放棄に関する一般協定)を締結した国にはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、日本も含まれており、国際的な紛争を解決する手段としての戦争を放棄すること、平和的な手段で解決することが国際規範として明文化されたのです。しかし、このことは従来の研究では、あまり注目されていませんでした。

このような問題意識を共有していたイェール大学のオーナ・ハサウェイとスコット・シャピーロは、著作『逆転の大戦争史(The Internationalists: How A Radical Plan to Outlaw War Remade the World)』で1928年の不戦条約がどれほど重要な歴史的転換点であったのかを語っています。

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著者らは3部構成で議論を展開していきます。第1部で戦争が合法化されていた旧世界秩序の法制度を説明し、第2部では旧世界秩序から新世界秩序への移行期に起きた変化を記述します。第3部では、1928年を境にして出現した新世界秩序の下で戦争の発生件数が減少したことや、新世界秩序の下で武力行使が規制されていき、代わりに経済制裁の重要性が高まったことを考察しています。

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先に述べたように、ヨーロッパの法学者にとってグロティウスが国際法の権威でした。グロティウスが戦争を合法的な行為であると見なしたことは、17世紀から19世紀にかけて、その後の国際法の理論に多大な影響を及ぼしていたのです。著者らは最初にこのグロティウスが戦争を合法的な行為であると考えるに至った時代背景を調べており、グロティウスはオランダ東インド会社に雇われ、1603年2月24日に起きた事件について会社を弁護する論文を書くように依頼されていた事実を示します。

1603年2月24日に起きた事件とは、司令官ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクが指揮をとるオランダ船隊がポルトガルの武装帆船サンタ・カタリナ号をシンガポール海峡で襲撃した事件であり、この襲撃でポルトガルから強奪した財宝をオランダ東インド会社は競売にかけ、350万ギルダー、銀換算で37.5トンに相当する資産を得ていたのです。しかし、一部の株主はその海賊まがいの行為に抗議の声をあげました。1604年9月9日、オランダの海事裁判所がオランダ東インド会社に所有権があると裁定したことによって、この事件はいったん決着を見たのですが、グロティウスはさらに精緻な弁護を展開するように会社から頼まれていたのです。

グロティウスの研究はこのような事情から進められていました。グロティウスはオランダ東インド会社の利益を守らなければならず、そのために本国の司法権が及ばない場所であれば、戦争が法廷に代わると主張しました。グロティウスの説によれば、人は生まれながらにして自分の生命と財産を守り、契約を履行し、罪を罰する権利を有しています。もし、通常の司法手続きが期待できる地域であれば、暴力的手段を行使することは法的に認められません。なぜなら、私的に戦争をする権利を国に引き渡しているためです。

しかし、外洋のような無法地域であれば、武器を使用することは合法的になります。グロティウスは、このような前提を採用することによって、ヴァン・ヘームスケルクの行為が合法的であったと主張し、略奪品を保有する会社の権利を主張しました。この理論はグロティウスが後に出版した『戦争と平和の法』でさらに発展しています。この著作でグロティウスは合法的な戦争の範囲を宣戦布告を伴う国家間の戦争に限定した上で、戦争の法的側面をさらに詳細に分析しました。このようにしてグロティウスの説がその後のヨーロッパの法学者の間で定説として受け入れられ、それが国際政治の実務にも影響を及ぼしました。

グロティウスの法体系に基づく旧世界秩序において戦争が頻発することは避けがたいことでした。さまざまな理由で各国は戦争を行っており、数多くの宣戦布告が書かれました。著者らは15世紀後半から20世紀前半までに書かれた宣戦布告450点の内容を法的観点から分析し、どのような権利に基づいて戦争が開始されていたのかを調査しています。それによれば、戦争の理由として最も多いのが自衛であり、その次に多いのは条約上の義務を遂行させるため、さらに相手の不法行為による損害を賠償させるためという理由も多く見られました。これらの分析結果は第2章で説明されています。

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旧世界秩序の国際法を大胆に見直す契機となったのは1914年に勃発した第一次世界大戦でした。1914年6月、サラエボでオーストリア大公フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィーがセルビア人によって暗殺され、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに10か条の要求を含む最後通牒を送りました。最後通牒とは、その要求が認められなければ、平和的な交渉を断念し、軍事行動に移ることを伝達するものであり、グロティウス以降の伝統的な国際法の手続きに沿ったものでした。

10か条の要求のほとんどをセルビアは受け容れましたが、オーストリア=ハンガリー帝国が暗殺の調査に参加することだけはセルビアの憲法によって容認できなかったために、拒絶しました。そのため、オーストリア=ハンガリー皇帝は1914年7月28日に宣戦を布告しました。しかし、事はオーストリア=ハンガリーとセルビアの戦争で収まらず、セルビアに肩入れするロシアが軍隊を動員すると、ドイツはそれを事実上の宣戦として受け止め、ロシアと同盟を結ぶフランスに対して宣戦を布告しました。ドイツはフランスに侵攻する際に防備が脆弱な中立国ベルギーに目を付け、武力攻撃を加えますが、これによってベルギーの中立を保証していたイギリスが参戦することになり、第一次世界大戦は拡大していったのです。

ヨーロッパで戦争が勃発してからも、アメリカは中立を保っていましたが、ドイツが無制限潜水艦作戦として中立国の船舶を無警告で攻撃したことを受け、参戦しました。最終的に800万名の兵士が命を落とし、700万名の兵士が障害を負い、1500万名が負傷する甚大な被害を出すことになりました。この戦争を契機としてアメリカで自衛戦争ではない戦争、つまり侵略戦争を違法化しようとする政治活動が広まり、次第にアメリカの対外政策に影響を及ぼすようになっていきました。

著者らはこの運動に参加した人々の活動を詳しく説明し、孤立主義の思想が根強く、ヨーロッパとの同盟を慎重に避けてきたアメリカの対外政策がどのように変化していったのかを示しています。その詳細は著者ら自身が第5章で展開している議論を参照して頂きたいのですが、戦争を違法化する条約を二国間条約ではなく、多国間条約にすることが一つの歴史的な革新でした。これによって、ある国が多国間条約を破って戦争を開始した場合、その他すべての国は直ちに戦争をしないという義務から解放され、自由に行動することができるように制度を設計することができたのです。1928年に署名された不戦条約では、その成果が盛り込まれていました。

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それまで伝統的な国際法の枠組みでは、戦争が勃発した際に交戦国に対して他の国々は中立国として公平に対応することが法的義務とされていました。しかし、1928年に戦争が違法化され、グロティウスが確立した戦争の法的根拠が取り払われたため、国際法のあらゆる要素が再編成されることになりました。中立国は戦争を開始した交戦国に対して差別的な措置、例えば経済制裁を実施することも認められるようになりました。これも伝統的な国際法に依拠する旧世界秩序では考えられない措置でした。

この著作が日本人の読者にとって最も興味深いのは、満州事変に関する分析でしょう。1931年に日本の関東軍が引き起こした満州事変で、中華民国の満州を日本が占領したことは、新たな国際法の考え方に対する最初の挑戦であったと著者らが指摘しています。1932年3月1日に満州国の建国が宣言され、日本政府は3月12日に満州国を国家として承認しましたが、その法的根拠はすでに国際法の領域で失われていました。1933年にアメリカは不戦条約に違反する手段でもたらされた事態を一切承認しないことを宣言し(スティムソン・ドクトリン)、国際連盟を通じて加盟国に満州国を国家として認めず、その通貨や旅券を受け入れないように説得し、国際的な枠組みに一切参画させませんでした。

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1937年7月の盧溝橋事件から始まった支那事変(日中戦争)でも、新世界秩序で認められた新たな法的措置が実施されています。当時、アメリカはまだ孤立主義の政策を捨てたわけではありませんでしたが、フランクリン・ルーズベルト大統領は直接的に名指しすることを避けながらも、中国大陸で日本軍が勢力を拡大している事態を踏まえ、侵略国を国際社会から「隔離」することを提案しました。これは伝統的な国際法で認められてこなかった侵略国への差別的な経済制裁への道を開くものでした。アメリカは日本が1941年にインドシナ半島の南部に進駐すると、自国における日本の資産を凍結し、石油の輸出を禁止する措置をとることで、日本の政府と軍部に衝撃を与え、その戦争遂行能力を大幅に制限しました。このような観点から見れば、国際法の変化が当時の国家戦略に与えた影響は極めて大きなものであったと言えるでしょう。

この著作は、その後の国際連合の創設、ニュルンベルク裁判の歴史的意義についても詳しく論じており、不戦条約以降の新世界秩序で独立国家の数がどのように増加していったのか、経済制裁の手法がどのように発展していったのか、破綻国家における内戦や、それに対する国際社会の対応がどのような法的枠組みで認識されるようになっていったのかを説明しています。この著作は全体を通して国際法が国の行動を規制することができるという前提に基づいて展開されていますが、この前提に関しては議論の余地があることを指摘しておく必要があるでしょう。

国際法は紙に書かれた言葉に過ぎず、国際政治に実質的な影響を及ぼすことは難しいと考える人々は、国際法の細かな歴史を知ることはさほど面白いことではないと思われるかもしれません。しかし、この著作では国際法の歴史を動かした数多くの政治家、法律家を特定し、彼らが意図していたことや、活動の内容を分かりやすく記述することによって、国際法のアプローチで戦争の歴史を研究する面白さを巧みに伝えています。


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