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どうすれば戦禍で犠牲となった文民の数を推計することができるのか

戦争の歴史で文民が軍人から区別され、法的保護の対象と位置付けられるようになったのは比較的最近のことです。初めて戦争における文民の地位を定義したのは1949年のジュネーヴ諸条約の一つを構成する文民保護条約であり、これには占領地で敵国の権力下にある文民、空爆など住民全体に対する攻撃に晒される文民、そして内戦の下にある文民を保護すべき対象として規定されています。それまでの法規制では、軍隊の関係者だけが保護の対象とされていたので、制度的に文民も保護の対象とできたことには大きな意義がありました。

しかし、戦争における文民犠牲者の保護は依然として困難な課題であり続けています。これは戦地において文民の情報を収集することの難しさと関連しています。戦争によって社会が混乱している状況で文民犠牲者の情報を収集してデータベースに保存し、全体の犠牲者の規模を定量的に把握することは今日においても実現していません。この問題は19世紀以降、専門家から認識されるようになっており、さまざまな研究成果を積み上げてきました。

オーストリアの公務員だったボダルトは戦争の歴史を統計家の立場で捉え直した研究者です。彼は17世紀に勃発した三十年戦争から、20世紀初頭に勃発した日露戦争に関する軍人の人的損害に関するデータの収集を行っており、また文民犠牲者の規模についても大まかな推計を試みています(Bodart 1908)。軍隊の人的損害を定量的に捕捉する資料源として、軍隊の人事部で作成される業務統計がありますが、文民犠牲者についてはそれと比較できる資料がないため、計算が難しくなることが指摘されています。ボダルトも不完全なデータを用いた推計を行わざるを得ませんでした。

第一次世界大戦以降、各国の政府は戦争の犠牲者の規模を統計的に調べることに大きな関心を寄せるようになりました。ただし、その関心の対象となったのは主に軍隊の構成員の犠牲者の規模を把握することであり、文民犠牲者の規模は曖昧なままでした。デュマとヴェーデル・ピーターセンは1923年に『戦争による人命の損失(Losses of Life Caused by War)』で戦争犠牲者について調査していますが、ここで主要な調査対象とされたのは軍人の死傷者でした。ただ、この著作では入手が可能だった複数の人口統計から出生と死亡に関する関連情報を抽出し、戦争の影響で死亡率がどれほど変化したのかを計算することで、文民犠牲者の規模に関する推計を試みています。

このような人口統計学的な推計方法を用いると、推計の基準となる数値、つまりベースラインになる死亡率の計算過程で生じる誤差が、文民犠牲者の推計値に大きな影響を及ぼす恐れがあります。また仮に妥当な推計値が計算できても、戦争が人口の減少に及ぼす直接的影響と間接的影響を切り離して評価できないという限界もあります。ただ、戦地での文民犠牲者のデータを収集する有効な仕組みが存在しないため、このような方法に頼らざるを得ませんでした。このデータの問題は第二次世界大戦後も続いており、朝鮮戦争やベトナム戦争で文民犠牲者がどれほど存在したのかを推計する際に、大きなばらつきが生じる原因となっていました。

このような状況を変えたのは、グアテマラ内戦の実態調査を進めていた研究者たちでした。グアテマラ内戦は、1960年に発生してから1996年に至るまで続いた武力紛争であり、多数の文民犠牲者が発生していました。その総数を明らかにするため、人権調査国際センター(Centro Internacional para Investigaciones en Derechos Humanos:CIIDH)真相究明委員会(La Comisión para el Esclarecimiento Histórico:CEH)、歴史的記憶回復プロジェクト(Historical Memory Project:REMHI)がそれぞれに独立した社会調査を実施しています。CIIDHのデータベースの構築に携わったパトリック・ポールとシカゴ大学の統計学者フリッツ・シューレンは、1978年から1996年に調査期間を限定した上で、犠牲者数の推計に多重システム推算法(multiple systems estimation:MSE)という手法を使用しています。

これは独立に調査を行って得たデータの差に注目することで、見逃した数の大きさを推計する手法です。一度目の調査と二度目の調査で捕捉された人口の重複が大きいことが確認できれば、確率的に見逃した人口は小さくなると考えることが妥当です。MSEを用いた分析の結果、調査期間の犠牲者は13万2174人(標準誤差6568)と推計され、政府軍の虐殺が95.4%、反政府軍の虐殺が4.6%、内戦の全期間を通して推計すると犠牲者は20万人と見積られました(Guatemara Commission for Historical Clarification 1999)。この手法が画期的だったのは、すべての社会調査で見落とされたはずの文民犠牲者の推計が可能になったということです。分析に使用するデータ源がそれぞれ独立しており、すべての重複が正確に特定できなければ、MSEを適用することは難しいのですが、このような方法が確立されたことで文民犠牲者の規模を推計する研究は着実に前進しました。

情報化、データ化が進んだ今日の世界でも、戦地における文民犠牲者の規模を捕捉することは難しい問題ですが、MSEのような方法が発達してきたことで、以前よりも戦争の可視性が高まってきています。こうした努力を通じて戦地における文民犠牲者の増加状況を確実に察知できるようにすることは、戦争犯罪を抑止し、戦禍から文民を保護する上で重要なことであると思います。

参考文献

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