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原作者の息子も絶賛する『エクソシスト』の研究本の序章を公開!恐怖映画の金字塔『エクソシスト』全米公開から50年── いまでも人々が恐怖する理由とは?映画製作の過程や人々を魅了した理由、原作・映画・TV──全作品を網羅した「エクソシスト」研究本の決定版!


「私は父の本と映画の熱心なファンに対して本書を強くお勧めします。
『エクソシスト』に関するすべての本を読んできましたが、私にとってはこれが最高のものです。
 内容はとても興味深く、娯楽性に富んでおり、正確でかつその後のシリーズにも詳細に言及しています。
著者のナット・セガロフ氏は一作目の制作について貴重な情報を本書で明らかにしてます。
 私も映画制作の多くの部分に立ち会っていましたが、それでも知らなかった情報が数多くあります。
 そして、最も重要なことは、本書が私の父の遺したものを大変尊重していることです。著者に深く感謝します」
── マイケル・ブラッティ
(『エクソシスト』の著者ウィリアム・ピーター・ブラッティの息子)

 原作「エクソシスト」はなぜ、どのようにして生まれたのか? 原作者ウィリアム・ピーター・ブラッティと監督ウィリアム・フリードキンの友情から生まれた〝映画〟。しかし、編集を巡って壊れる友情──。金儲け目当てで制作された『エクソシスト2』の受難。ジョン・ブアマンが作品に込めた思い。原作者自らが手掛けた〝続編〟『エクソシスト3』。ポール・シュレーダーからレニー・ハーリンへと監督を交代し、大幅に取り直された『エクソシスト ビギニング』。密かなる続編、テレビシリーズ版『エクソシスト』。そして、再び蘇りを果たそうとする新作……。シリーズ全作品を徹底研究した「エクソシスト」本の決定版。映画4作(『エクソシスト』『2』『3』『ビニギング』)は、本編とディレクターズカット版の詳細についても掲載。巻末には惜しくも故人となったウィリアム・ピーター・ブラッティのインタビューも掲載!

序文 極秘の試写

 初めて『エクソシスト』を観たときは、吐くのが通常の反応だとは知らなかった。椅子の下に隠れたり、両目を覆ったり、悲鳴をあげて近くの教会に走りこんだりすることもなかった。なぜかというと、私はその日、招待者以外は立ち入り厳禁の、極秘試写のドア番をしていたからだ。
 一九七三年の最大の期待作だった『エクソシスト』は、十二月二十六日水曜日、米国内の二十二の劇場で公開されることが決まっていた。その劇場のひとつが、私が広報部長を担当していたボストンのサック・シアターズ系列のなかでも一番集客数の多い、ふたつのスクリーンを有する《シネマ57》だった。ところが、封切りが水曜日であることが、ボストンの〝オルタナティブ〟週刊紙聞である〈ボストン・フェニックス〉紙と〈リアル・ペーパー〉紙にとっては問題となった。発行日の関係で、映画のレビュー記事の掲載が一週遅れになってしまうのだ。ボストン市場で重要な位置を占める若者に人気の二紙にとって、この遅れは致命的だった。
〈リアル・ペーパー〉紙の映画関連記事の編集者にして主任評論家で、かつて映画制作会社の広報担当だった業界通のスチュワート・バイロンは、なんとか締め切りに間に合わせようと、監督のウィリアム・フリードキンに電報を打ち、前日の先行試写を要求した。評論家としての大胆さも持ち合わせていたバイロンは、映画が一大現象を巻き起こすことは間違いない、街の週刊新聞の締め切りに間に合わせれば絶対に得をする、と力説し、日刊紙の記者たちも、一日余分にあれば、十分に練ったレビューが書けるはずだと付け加えた。
 私はのちに知ることになるが、バイロンに負けず劣らず大胆なフリードキンは、その試写に同意した。まもなく、ワーナー・ブラザースのニューイングランド州広報担当であるカール・ファシックと、サック・シアターズの上級副社長のA・アラン・フリードバーグを通して、極秘試写が迅速に手配された。そしてサック・シアターズの広報担当だった私は、評論家を招待し、彼らに絶対極秘であることを通達し、編集者や家族、友人などを決して連れてきてはいけないと指示する役目を担った。
 改めて言及させてもらうが、公開日の十二月二十六日の前日はクリスマスだ。
 この試写のロジスティクスは、いつもとは違って複雑だった。プロダクションおよびポストプロダクションで遅れが出たため、映画の編集済みネガとサウンド・ミックスが現像所のメトロカラーに届いたのは、通常よりかなり遅かった。メトロカラーは、封切り劇場に上映用プリントを届けるべく夜通し作業を続け、東から西へと第一弾の配達を開始した。クリスマス・イブにサンタクロースが《シネマ57》まで届けてくれていたら、休暇で混雑するボストン・ローガン空港の人混みをかきわけて配達する手間が省け、もっと簡単に事が運んでいたに違いない。
 ちょっとやそっとのことでは胸を躍らせないベテラン映画評論家の集団を、クリスマスの朝十時に家族のもとから引き離すことができたのは、『エクソシスト』だけだろう。まあ、家族から離れられるという点こそが魅力だった可能性はある。十二月二十五日、目をぱっちり開いてとは言わないまでも、ノートを手に二十人余りのボストンの新聞記者たちがひとりまたひとりと《シネマ57》にやってきた。上映用プリントがだいぶ遅れて到着したため、映写技師たちには光量やサウンドレベルを調節するために前もって試写を行う時間はなかった。映画の命運を握るわれわれは、場内の明かりが落ち、スクリーンの後ろから冒頭の薄気味悪いサウンドトラックが流れはじめると、少しばかり緊張した。そしてその緊張は、二時間二分のあいだ解けることはなかった。
評論家という職業の醍醐味は、前評判を聞かずに新作映画を観られることだ(ソーシャルメディアによって〝ネタバレ〟という造語が生まれる何十年も前の時代である)。ツキに恵まれれば、様々な理由(予算、不明瞭さ、内容)によって大勢の人々の目に触れることが難しい名作に世間の注目を集めることもできる。『エクソシスト』の場合は、その真逆だった。世間の映画ファンは、この映画が封切られることをよく知っていた。なかにはベストセラーとなった小説を読んだ人たちもいたし、ほとんどの人々は、ナレーターが故意に淡々と、簡潔に事実を告げる短い予告編を目にしていたからだ。
《シネマ57》で公開中の別の映画が上映される十二時半前には客が来るため、私は関係者以外の人々が入ってこないよう劇場の扉を見張っていた。つまり、スクリーンで観ることはできなかったが、面白そうなことが起こりそうな気配がするたびに館内に頭を突っこみ、そのシーンが終わると持ち場に戻ることができた。『エクソシスト』のパワーにあのとき圧倒されなかったのは、そうやってとぎれとぎれに観たせいかもしれない。
 やがて試写が終わり、バイロンら評論家一行が、いつものように何を考えているのかわからない表情で出てきた。彼らの考えていることは理解できた。というのも、評論家が何を言おうと、この映画が大ヒットを飛ばすのはわかりきっている。その流れに乗るのか、それとも、王様が裸であることをずばり指摘して冷や水を浴びせ、名を挙げるべきか? さらに、ここがカトリック教徒の多いボストンであることがレビューに影響を及ぼす可能性もあった。評論家たちはみな無言だった(数年後自分が評論家になったとき初めて、試写後の沈黙は感動を意味するのでなく、同僚に気の利いた文句を盗まれないためだと学んだ)。
 翌日、映画が公開され、前評判通りの出来だというレビューが掲載された。作品を小説と比べたレビューもあり、ほぼすべての論評が、罵り言葉とアメリカ映画協会の〝R指定〟に触れていた。
 それから、大混乱が起こった。ダウンタウンのワシントン通りにあるサヴォイ映画館の最上階に位置するサック・シアターズの重役オフィスにいた私たちのもとに、《シネマ57》の経営者メリル・フランクスから報告が入ってきたのだ。観客が通路を駆け抜けてロビーに飛びだし、通りに出て──あるいは通りに出るのが間に合わずに──嘔吐している、と。
 大勢の群衆を鎮めるため、すぐさま《シネマ57》へ送られた、同社で最も経験豊富な支配人のトム・カウイチェックは、こう語っている。「誰も彼もが嘔吐していた。観客がそんな反応を示すなんて夢にも思わなかったよ。私はぼうっと立ち尽くして、彼らを見つめていた。映画のワンシーンのようだったね。一部の人々は、映画自体ではなく、それを取り巻く混乱によって、すっかり興奮していた」そのとおり。次の上映回のために行列を作った人々が、映画館から出てくる人々の取り乱した様子を見て、館内の照明が落ちる前から熱狂状態に陥っていたのだ。ふたつのスクリーンを有する《シネマ57》では、ロビーを挟んだスクリーンで『スティング』が前日公開されたのだが、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演のこの作品を観に来た人々は、その大混乱を見て大いに困惑したに違いない。
 ワーナー・ブラザースの広報担当者、ジョー・ハイアムズから知らされたのだろう、まもなくカール・ファシックから連絡が入った。同様の反応が、『エクソシスト』が公開されたほかの二十一の都市で目撃されている、と。携帯電話もインターネットもツイッター(現X)もなかった時代だというのに、彼らはどうやって、まったく同じ反応を示したのだろうか? この現象が起こっていることを、公開と同時に、どのようにして知ったのか?
 不思議な一大現象が始まったのだ。スチュワート・バイロンでさえ、この映画を観て吐き気を催したとレビューに書いた。
 半世紀を経ても、この映画を観た人々による激しいリアクションは収まらない。今日もなお、『エクソシスト』を決して観ようとしない人々が存在する。その種の嫌悪感が存在することはたしかだが、誰かがこの作品を観ていたことは間違いない。一九七三年以来、続編、公式の続編、前日譚(そのどれも、二バージョンずつある)、テレビシリーズが作られ、新三部作の制作が決まった(一作目は二〇二三年に公開)ばかりか、数えきれないほどの文化的言及がなされ、そのすべてが原典である一九七三年の『エクソシスト』をもとにしている。
 本書には、そのすべてが綴られている。
 私は、映画館の扉を警備した次の週末、ついに『エクソシスト』を通しで観ることができた。チケットがその後数週間完売していたため、館内最後尾の立見席で(無料で)観た。その頃までには、『エクソシスト』の鑑賞は、感情的な経験というよりは頭で考える体験となっていた。事前にウィリアム・ピーター・ブラッティの本を読んでいた私は、彼と監督ウィリアム・フリードキンがどうやってそのすべてをひとつの映画に詰めこめたのか(実は詰めこめなかったこと、カットしたシーンのせいでふたりの友情に一時期ひびが入ったことをあとから知った)と不思議に思った。そして、信仰心を持つ人々が、信仰を持たない人々とは異なる形で取り乱している理由を理解しようともしたし、映画に込められた芸術性と思想が本物であることも見てとった。
 多くの人々がどう信じ続けているにせよ、ブラッティとフリードキンは、ホラー映画を作ろうとしていたわけではなかった。もちろん、『エクソシスト』には理屈抜きの恐ろしさがあるが、この映画が持つパワーは、観客の信仰心に触れ、挑み、そして当然ながらそれを深く掘りさげる点にある。これは、ふたりが〝信仰の謎〟と呼ぶ概念と、宗教的探究心を考察する映画なのだ。
 本書は、それについても触れている。
 
公開当時、『エクソシスト』はたんなる映画にすぎなかったが、その後の五十年で伝説となった。
 本書には、その過程も記されている。
 地獄の業火のなかで誕生してから半世紀を経て、『エクソシスト』は、もはや存在しないハリウッドのシステムから生まれた、ほかに類を見ない作品となった。ウィリアム・フリードキンは、これまで何度も本人が言っているように、「ホラー映画として、人々を震えあがらせようとしたわけではない。善と悪という概念について、じっくり考えさせられる作品を作ろうと思った」のである。この価値ある達成は、いまも変わらない。フリードキンと彼の制作スタッフがその偉大な達成を見事に成し遂げたことを、世界が認めるときがきたのだ。
 
ナット・セガロフ
二〇二三年、ロサンゼルス

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