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異界の住人が蠢く恐怖譚『神隠し怪談』著者コメント+収録話「幽霊の髭」全文掲載

あのとき迷い込んだのは――
彼岸の不思議と恐怖を描く異世界怪談

内容・あらすじ

沖縄は此の世と彼の世が混じり合い、精霊や妖怪がすぐそばに蹲る土地――沖縄に住み土地の怪談を書き続ける著者による、異世界に迷い込んだ不思議と恐怖譚を再録含めて収録する。
・囲炉裏の赤く燃える炎の中から呼ぶのは…「いろり」
・海から漂ってきた黒い靄とともに聞こえる呻き「モーレイ」
・もう向こうに行くことにした、と呟いた祖父は忽然と消えて…「万馬券」
・祭りの日、四辻に立ってこちらを見ている男は一体…「道ジュネー」
・アパートの隣室に住む不気味な集団の驚愕の正体「老人たち」
――など。
見えない世界に誘われ、気がつけば戻れない。そんな異世界の扉が――開く。

著者コメント

 やがて沖縄に移り住んで人生の半分を過ぎてしまったので、自分が京都人なのかウチナーンチュなのか、よくわからなくなってしまいました。
 作家というのは、人生のアイデンティティの足場をどこに据えるかで、書くものが決まってくると思うのですが、私の場合それはどこなのだろうとしばし考えてしまうという一幕もありました。また今回の本には沖縄以外の話もたくさん盛り込む予定であったのですが、校了間際に著者が入院したり、退院間際に院内感染でなんとコロナに感染してしまったりと、踏んだり蹴ったりの結果になってしまいました。それでもこうして本をお届けできるのは、まさに多くの方々に支えられてのことでした。
 怪異の種ははまさにいろんな場所に蒔かれていると思います。この本にはまさにその種がまかれている本だと思いますので、みなさん楽しんで読んでください。

小原猛

試し読み1話

幽霊の髭

 美術教師の照てる屋やさんはその日、京都にいた。沖縄から修学旅行の視察を兼ねて、何ヶ所か回る予定であった。
 昼間は主だった名所を周り、メモを取りながら、頭の中で生徒たちの動きを想像しながら歩いた。やがて日が暮れ、お腹も空いたので宿に戻った。
 照屋さんが予約をした宿は木造の温泉旅館だった。かなり年季の入ったカウンター越しに、陰気な女将が予約を確認してくれた。照屋さんは近くでざるそばを食べてから宿に戻り、大浴場で汗を流した。
「この宿なら生徒たちも喜んでくれるに違いない」
 湯船に浸かりながら、照屋さんはそんなことを考えていた。
 さて、風呂も浴びたので照屋さんは部屋に戻った。八畳の部屋が二つある古風な造りであった。
 お風呂に入っている間に布団が敷かれ、すぐにも寝られる状態になっていたが、照屋さんは大事なことを思い出した。照屋さんはいつも夜に風呂で汗を流した後、髭ひげを剃るのが日課だった。それを忘れてしまった。
 そこで部屋の風呂場の鏡の前に座って、石鹸を泡だててから安全剃刀で髭を剃り始めた。
 と、髭を剃りながら鏡を見ると、なんだか違和感があった。
「あれ、顔がなんか違う……」
 鏡のなかの顔が、なぜか他人のような、どこかいびつさがましているような気がしたのだ。
 いやいや、そんなことはない。多分この暗い照明のせいだ。そう思いながら、照屋さんは気にすることなく確実に髭を剃り進めていった。
 やがて髭を剃り終わり、顔を洗った。両手で肌を確かめるように触ると、おかしな感覚があった。
「あれ?」
 今確かに剃ったはずなのに。なぜか髭が全く剃れていない。ジャリジャリという感覚も、剃れているところも確認したはずであった。おかしいなと思いながら、もう一度石鹸を泡だてて髭を剃った。
 よし、今度は上手くいった。綺麗に剃れたぞ。肌もいい感じだ。照屋さんは心のどこかにしっくりしないものを感じながらも風呂場を後にした。
 照屋さんはそのまま布団のなかに潜り込んだが、なぜかその直接から全身寒気がして眠れなくなった。
 どうしても眠れないので、部屋の浴槽にお湯を張り、もう一度浸かった。
 しかし全身を駆け巡る寒気は一向に治らない。その時、照屋さんはふと、こんなことを思った。
 もしかしてさっき俺が剃ったのは、俺の髭じゃなくて、誰か別の者の髭だったんじゃないのか。それは例えばつまり、幽霊の髭だったんじゃないのだろうか。
 そう考えるとますます寒気が増してきた。
 照屋さんはすぐに風呂から上がり、そのまま布団を頭から被って寝た。
 しかし寒気はなかなか治らなかった。
 結局その宿は修学旅行の候補にはならなかったという。

―了―

著者紹介

小原 猛 (こはら・たけし)

沖縄県在住。沖縄に語り継がれる怪談や民話、伝承の蒐集などをフィールドワークとして活動。著作に『沖縄怪談 耳切坊主の呪い』、「琉球奇譚」シリーズ『キリキザワイの怪』『シマクサラシの夜』『ベーベークーの呪い』『マブイグミの呪文』『イチジャマの飛び交う家』、『琉球妖怪大図鑑』『琉球怪談作家、マジムン・パラダイスを行く』『いまでもグスクで踊っている』『コミック版琉球怪談〈ゴーヤーの巻〉〈マブイグミの巻〉〈キジムナーの巻〉』(画・太田基之)』「沖縄の怖い話」シリーズなど。共著に『怖い日本の名城』、「瞬殺怪談」「怪談四十九夜」各シリーズ、『男たちの怪談百物語』『恐怖通信/鳥肌ゾーン』など。DVD『怪談新耳袋殴り込み・沖縄編』『琉球奇譚』『北野誠のおまえら行くな。沖縄最恐めんそ~れSP』など。