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#エッセイ
現代の父親とは?っと言う仮説。
これは1つの仮説。
一個人の状況や、能力、環境を無視した、現代の父親とは?っと言う仮説。
昨今の父親の育児参加が謳われる世の中で、朝から会社に出社し、定時に帰宅し、子供の面倒を見て、家事をする。年収もそこそこ。そんな出来杉くんなパパ像が1人歩きし、現実は帰ってこない、出来ない、やらない、稼ぎが少ない旦那にイラついてSNSに毒づく一部であろう嫁。
ネット社会の中で育児に関して父親が責められること
「マスメディアとSNSと警戒心」
「マスメディアとSNSと警戒心」
最近っと言ってももう1ヶ月以上(発症者が出たのは去年か?)経つのですがコロナが凄い事になってますね。
最初に報道された時、僕は呑気に2〜3週間もすれば治るだろ。と思ってました。
そして今現在パンデミックです。
世界中が大変な時期ですね。
まだ有効なワクチンが無いからだろうけど、致死率がインフルエンザの10倍だとネットの記事で読みました。
大切な人達には苦しん
「生きる意味」について。
「生きる意味」について。
断言しよう。
生きる意味は無い。
生きてること自体に人々が考える高尚な意味なんて無い。
意味があるとすれば、それは生き物として、たまたま誕生し、誕生しちゃったから生きてるだけ。
つまり「生まれたから」が生きる意味。
他の生き物は知らないけど、人間は知恵を手に入れた生き物だから、進化していって、環境に何不自由無く生きれるようになってきた現在、音楽や映画、小説、な
「明日死んでもいいように生きなさい」について。
「明日死んでもいいように生きなさい」という言葉について。
こんなポジティブな言葉があるけれども、僕はポジティブでもネガティブでもない、あるがままの言葉として「明日死んでもいいように生きる」と思っている。
っというのも、ポジティブな言葉だと捉えた時、極論を言うと「明日死ぬかもしれないんだから自分の好きな事を頑張れ」っと言っている。
なんでも揃ってるこの時代に「明日死ぬかも」なんて現実的じ
「捨てられる恐怖感」について。
今回はとても個人的な事を書いてみようと思います。
僕は恋人がいる時、多分、恋人以外にも人と接する時に、相手に嫌われないようにしようとする。
それ自体は、日本人の特性ととして、自己主張を避けて周りと合わせるという事で説明が出来そうですが、ここでもう一歩踏み込んで考えてみます。
他の人がどれだけ他者に嫌われるの恐れているのかは分からないですが、僕自身は友人知人、特に恋人に対して「いつフラれるか分
いったい私はどこを目指しているのだろうか?
もうね、胡散臭くても、偽善でもなんでもいいの。
俺の絵が、現在、未来、で誰かの光になればそれでいい。
そうやって理由や意味を自分で付け足していかないと、全てが無意味に見えて、何も出来なくなる。
意味なんかなくても、目的なんてなくても、結局は描くんだけどね。
ただ、目指すとこがないとクウォリティは落ちる。
誰にも見せないんだったら少々の塗りムラも絵の具のはみ出しも気にしないし。
僕
僕は、案外と自分の人生ってやつを楽しんでいるのかもしれない。
僕は、案外と自分の人生ってやつを楽しんでいるのかもしれない。
辛い辛い辛いと叫いて、悩んで、苦しんで、でも、その時々力になってくれる人がいて、元気になっては、また悩み出す。そんなのの繰り返し。
辛い、苦しい、という感情で生きてる実感を感じて、いつもギリギリを楽しんでるのかもな。
常にdead or aliveで力になってくれる人が現れなくなったら死。
人生博打。
皆様に生かされてます。
「死にたい」という言葉について
僕は何かあればすぐ「死にてぇ」とつぶやく。思う。
思春期の時に引きこもってた1番辛い時には本気で自殺も、方法も考えたもんだが、日常で呟く「死にたい」とは、本気の時とは少し違う。
ネットを検索してみると、要約すると「死にたい=辛い現実から抜けたい」。
まぁ、今の状況を良くしたいって事だよね。
本気で死にたいわけじゃない。
誰にも助けてと言えないから、でも誰かに助けて欲しいから「死にたい」「消え