「生きる意味」について。

「生きる意味」について。

断言しよう。
生きる意味は無い。
生きてること自体に人々が考える高尚な意味なんて無い。
意味があるとすれば、それは生き物として、たまたま誕生し、誕生しちゃったから生きてるだけ。
つまり「生まれたから」が生きる意味。

他の生き物は知らないけど、人間は知恵を手に入れた生き物だから、進化していって、環境に何不自由無く生きれるようになってきた現在、音楽や映画、小説、などフィクションの世界で気軽に「生きる意味」を問うてる今、それは外に向かって意味を問うても何も答えは無い。

自分の中で「家族」だったり「趣味」、「仕事」と生きてく中で自分なりの生きる意味を
、目的を、目標を決めていくもの。

霊感っていうのか、そういう人達は人の見えないものを見て、「あなたには、これこれだから生きる意味があるんですよ」っと高尚なこと言うけど、それはそれで、言われた人が意味を見つけ、前向きに生きて行けるならそれでいいと思う。
僕自身も守護霊とか見えちゃう人に、一回見てもらいたいなってずっと思ってるし。

ただ、僕自身は「生きる意味」ってのは根本的には無いと思っていて、それは生きてく上で、自分で探し見つけるものだと思っています。

考える時間も、自分探しをする時間も大事だけど、それを外に求めたところで何も答えは見つからない。

もっと自分の内側にあるもの。
忙しさに思考も理性も奪われがちだが、それすらも見つめ、日々丁寧に生き、生きてく中で自分の中で生きる答えがふと見つかるものなんじゃないかなと。

有名な曲にも「探すのをやめた時、見つかる事もよくある話で」っと誰かが歌ってた。

一番最初に「生きる意味は無い」っと言ったが、決して生きることを否定していない。
ただ、「生きる意味」ってのは、そんなに高尚なもんじゃなくて、もっとシンプルに、案外と身近にあるのかもねっと言いたい。

なんて事をね、車乗って音楽を聴いていたら「生きる意味」っという言葉が耳に残ったので、それを自分の中で考え出したら止まらなくなって、今回、こんな事を書いてみました。

文章を書く際に丁寧な言葉で書きたいと思いながら語彙がないのでこんな表現になるが、ぶっちゃけ、意味なんて有ろうが無かろうがどっちでもいいのよ。

個々人それぞれが、昨日でも明日でもなく「今日」を満喫してればそれでいいと思うのよ。

生きることに不安を抱え、過去に積み重ねてきたものに不安を抱え、現実的な面で将来に不安を抱え、たった今、生きる意味を見失い不安を抱えてる人がいる。

不安を感じるという事は、見方を変えれば生きようとする意志から生まれるもの。

だったら、とにかく、今日という日を生きれたらいいじゃん。
とりあえず「今日を生き抜く」が目的であり、生きる意味。
っと、毎日そんな風に思えれば今日という日は毎日来るんだから、生きていけるんじゃないかなと。
そうこうしているうちに、何か見つかるかもしれないし、見つからないかもしれないけど。

それは単純すぎるのかしら?

楽天的すぎるのかしら?

#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?