「死にたい」という言葉について

僕は何かあればすぐ「死にてぇ」とつぶやく。思う。
思春期の時に引きこもってた1番辛い時には本気で自殺も、方法も考えたもんだが、日常で呟く「死にたい」とは、本気の時とは少し違う。

ネットを検索してみると、要約すると「死にたい=辛い現実から抜けたい」。
まぁ、今の状況を良くしたいって事だよね。
本気で死にたいわけじゃない。
誰にも助けてと言えないから、でも誰かに助けて欲しいから「死にたい」「消えたい」っという言葉の表現になる。

でも「死にたい」なんて言った日には、どっかの狂信的な正義を信じ切ってる人達には「簡単に死ぬとか言うな」っとか「生きたくても生きれない人がいるんだ」「世界には、、、」っとか云々かんぬんだんだんマトの外れた言葉を発してくる。

そんなのみんな分かってんのよ。
じゃあ「今の自分がどれだけ幸せな立場にあるか?」って考えるけど、そりゃ、飯食えて、布団で寝れて、風呂は入れて、それはとても幸せなことだけどさ。。。

そーじゃないんだ。
そーじゃないの。
なんだろうか、たぶん、生真面目ゆえに世の中の常識とかモラル、ルールから逸脱したらダメだと苦しんじゃうんじゃなかろうか?

そこで「消えてしまいたい」「死にたい」って言葉がふと出てくるんじゃないだろうか?

決して誰もが死にたいわけじゃない。

決して誰も誰かを死なせたいわけじゃない。

だけど、世の中の常識に苦しめられる人々がいるのも事実で、その常識を押し付けてくる人達がいるのも事実。
でも、みんながみんなそうじゃなくって、多様性を知ってる人もいるし、ただただ相手を認めて側にいてくれる人もいる。

今いる場所に1人も認めてくれる人がいなければ、勇気を出して他の世界を見に行けばいい。
勇気というか、自分自身の「こうしなきゃいけない」っという思い込みに逆らって、一回抜け出せばいい。

簡単じゃないよ。

苦しいと思うよ。

でも、その先に今までと違う世界が見えるはずだから。

「死にたい」という声が少なくなる、絶滅する素敵な世界が来いよ!

くろこちゃんが愛のバクダンを落っことしにいくぜ!

偉そうなこと書いてるけど、かくいうワタクシも、違う世界に目が向けられない1人。
こんなこと書いてるからには知識としては「今この場所が辛いなら、他所の世界もあるよ」っと知ってはいるんだけど、他所の世界を見に行く方法も知らないし、この今いる場所から、今まで生きてきたルールとか常識とか、そんな物から離れる勇気もないんだよな。

今いる自分が、自分じゃなくなるんじゃないかという恐怖から動けなくなって、結局、今の居場所でうずくまってブツブツ言ってるんだろうね。

だから、ホントは僕なんかが、今苦しんでる人に「別の世界もあるよ」「今あるルールも常識も実は曖昧な物なんだよ」っと簡単に言えるもんでもないんだよな。実際のところ。

絵でそれを表現してるけど、たぶん、きっと、誰かをじゃなくて、まだ自分自身が救われたくて、そんな事を絵にしてるんだろうな。

#エッセイ

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