「捨てられる恐怖感」について。

今回はとても個人的な事を書いてみようと思います。
僕は恋人がいる時、多分、恋人以外にも人と接する時に、相手に嫌われないようにしようとする。
それ自体は、日本人の特性ととして、自己主張を避けて周りと合わせるという事で説明が出来そうですが、ここでもう一歩踏み込んで考えてみます。

他の人がどれだけ他者に嫌われるの恐れているのかは分からないですが、僕自身は友人知人、特に恋人に対して「いつフラれるか分からない」っという恐怖感を常に持っています。
つまり、いつも心の何処かに不安感があり、心から安らげない。

そこで思い巡らせてみれば、もしかして、過去に親に、親父に捨てられた。正確に言うと捨てられた訳じゃなく、2歳かな3歳かな、親が離婚して親父が出て行って、親父は「遠くに仕事行ったから、また帰ってくるよ」っと、子供すぎて離婚とか何も知らない僕は、その言葉を信じ切っていた。

でも1年も2年も経つと薄々感づいてくるよね。感覚的に「もう帰ってこねーな」って気づくのもあるけど、子供同士の世界も大人同士の世界に負けず劣らず残酷でドロッとしていて、団地に住んでたんで年齢なんか関係なく外に出りゃ誰かがいて、よく遊んでたけど、「お前の親父もう帰ってこねーよ」っとか、それに対して「絶対帰ってくるもん」っと言い張ってたっという昔話も、昔よく聞いたなぁ。当時の記憶無いけど。。。

中学の時にも親父が奈良にちょいちょい遊びに来てて、でも、また 同じような事があって、親父の言葉が信用できなくて、一時嫌いな時期もあったけれども、もうこの歳になるとどーでもよくて、親には大人の事情があっただろうし、その辺は、理解を示したい。
今はどこで何してんのか知らないけどねん。
興味無いから知りたいとも思わないし。

なので、この人は僕を裏切らないであろうっという相手の事情も知らないで安易な思い込みから、自分勝手に裏切られたと解釈してしまう。
子供だったから仕方ない部分もあると思うけどね。
子供にとっては、家という世界が全てで、保育園や幼稚園なんかは「可愛い可愛い」で甘やかせてくれるしね。

つまり、僕が常に抱いている「捨てられる恐怖」が強いのは、トラウマから生じる恐怖感ではないだろうか?
っという、推測。

いつまで親に甘えて親の世界で生きてるんかな?
もうそろそろ精神的自立をしましょう!
たけちゃん!!!
ってとこですかね。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

#エッセイ

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