「愛」について

愛とはなんでしょうか?
愛という事について3年ほどずっと考えて絵を描いてきた。
それを表現してきた。

たった3年で理解できるほど簡単な概念じゃないけど、それでも薄々気付いた事はある。

ここでいう「愛」とは、男女間、他者間での「愛とは?」を思考を巡らし考えてきたものだけど、今の僕には、いわゆる「純粋な愛」っと言うのは無いのじゃないかと思う。

母と子のような無償の愛を「愛」だと思ってる人が多いと思うが、「恋と愛の違いは、相手を想いやれるか」だとかいう言葉もあるが、結局のところ、無償の愛なんて無いもんなんだと気付いた。そう思った。

っというのも、男女間、他者間の間で愛を語る時、そこには「気に入って欲しい」「嫌われたくない」「自分を受け入れてほしい」「一緒にいたい」などなど、何かしらの思惑があると思う。
それは「愛じゃない」っと批判する人もいるだろうけど、無償の愛が無いと仮定すれば、結局「愛」とは全て自分のため。っとなる。

っと言っても、それが悪いとかじゃなくて、それが愛なんだと思う。
マザーテレサだって、僕が思うに「自分が人を救いたい」と思ったから行動して、世に語られるまでになった。
そこで間違っちゃいけないのが、「自分が決めたんだ」という認識があるかどうか。

「自分が決めてきたんだ」という認識が無い人は、どれだけ愛を誰かに注いでも愚痴を吐いたり、何も返ってこない時に「あれだけしてあげたのに」っと怒る。
それは、愛ではなく、なんだろうか、世の中的に褒められるような事をしたいだけの自己中。

要は、愛とは他人に期待することではなく、自分自身が誰かのために何かをやりたいと行動に移した時に、何も返ってこなくても、誰に批判されても、「全ては自分が決めたんだと」思える人が愛を持っている人。

さっき、褒められたい感謝されたいだけの人を自己中と言ったが、「愛」とは究極の自己中でもある。
「自己中」と「究極の自己中」の差は「自分が決めたんだと納得出来ているかどうか」だと思う。

ここで少し恋愛について書くと、昨今、婚活なんてものが流行ってるけど、女子は収入と外形を見、男子は相手の器量と容姿を見る。
どれだけ外見が良かろうが、好みの相手だろうが収入の低い男は見向きもされないし、男子は男子で第一印象で好みじゃなければ相手にしない。
世知辛い世の中だz、、、、

果たして、婚活で条件の満たした相手を見つけたところで、その結婚生活は上手くいくのだろうか?
婚活って、どうみても表面しか相手を見てないように見えて、そのまま良かれと結婚まで行ったとしても離婚、もしくは相手が浮気や不倫したりでイビツな結婚生活が待ち受けているんじゃなかろうか?っと邪推してしまう。

そこに愛はあるのか?っとなると、もうそんなの無いよね。
むしろ生活するのに「愛」なんて要らないと一蹴されそう。

っと、まぁ、恋愛や結婚に限らず、男女関わらず会社の後輩先輩とか、友達だったり趣味の仲間だったりいろんな繋がりのある中で、相手に対していろんな愛の形があるけれども、相手に何かを期待するんじゃなくて、いや、期待はいいんだ。それは相手の実力と将来性を認めてるからだろうから。
要は、他者に期待するにしろ、愛を剥き出すにしろ、人のせいにするんじゃなくて「全ては自分が決めたんだと」思えれば、それが「愛」なんだと思う。

「人のせいにしない」そんな人達が増えていけば、これだけで素敵な世の中になると思うの。

まぁ、でも、難しくもあるよね。
なんでもかんでも悪い方に自分のせいにしちゃうと、最悪、行き詰まって過労死やら自殺なんてことにもなりかねない。
開き直る事も大切。

「愛について」書いてたのに、最終的にいつの間にか「人のせいにしない」ってことについて書いちゃってるよ。。。

まぁ、いいかぁ。

#エッセイ

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